2018年06月19日

いちおうW杯に言及する

今日はサッカーW杯の日本対コロンビア戦があるらしい。
といってもわたしはサッカーにはあまり興味がないのでどっちが勝ってもあまり関係はない。
聞くところによるとコロンビアはFIFAランキング16位の強豪で、日本は前回ブラジル大会でけっこうな点差で敗れている。
そのときに話題になったハメス・ロドリゲス選手が今回も健在で、しかし数日前のニュースでハメス選手が風邪をひいたらしいので日本に追い風、みたいのが流れていたが、相手主力選手が病気になって喜んでいるようでは日本メディアの精神レベルの低さがうかがい知れようというものである。

それでFIFAランク61位の日本としては順当にいけば負ける可能性が高い。
何かと物議を醸しているサッカー解説者のセルジオ越後が、ラジオかなんかで日本は11人で守って0−0の引き分けに持ち込めばいいと言っていたけれど、わたしも今回の日本の最良の作戦はそれしかないと思えてしょうがない。

日本は絶対的なエースがいるわけでもなく、数年前に比べると国際的な力関係は明らかに落ちているように見える。
ただサッカーのゲームとしての面白さは、ボールテクニックがすごいとか走るのが早いとかパスがよく繋がるとか、選手のフィジカルや技術の高さだけで勝敗が決まらないところにある。
これは野球やアメフトやラグビーとかでも同じだと思うが、いわゆるタクティクス、作戦の妙によって勝敗を左右することができる。(と見える)

特にサッカーの場合、ある程度の技術の選手が多人数でゴール前を固めたらなかなか点が入らない(と聞いたことがある)ので、今回のようにかなり格上のチームとやるときは、いっそ割り切って全力で0−0の引き分けを目指すべきではなかろうか。
それで後の2チームの中で勝てる可能性の高いチームに対し、点を取りに行くゲームをすべきだ。
と思って残りの2チームを調べたら、ポーランドはFIFAランク8位でひょっとしたらコロンビアよりも手強いかもしれない。
FIFAランク27位のセネガルがもっとも勝つ可能性が高いと言えるわけだが、それでも日本の不利は否めないのだろう。

というわけで「1勝2分け」ねらいが妥当な線だと思うのだが、それでグループリーグを突破できるのかどうかはよく分からない。

かつてベトナム戦争で北ベトナム軍は米軍相手に、泥沼のゲリラ戦に持ち込んで最終的な勝利をもぎ取った。
あの戦争は死傷者数の比率では北ベトナムの方がはるかに損害が大きく、実態的には、米軍は勝てなかった、北ベトナム軍は負けなかった、というのが正しい。
北ベトナムとしては負けなかったことが結果としての勝利につながった。

格好にかまわず泥臭く「負けない」戦い方、というのは案外日本人には不得手なことなのかもしれない。
「泥臭く負けない」ことよりも「華々しく負ける」ことの方が日本人の好みなんじゃないかとも思ったりするのだが、まあそういうことも思いながら今晩の試合結果を明日朝のTwitterでチェックしようかと思っている。
posted by ヤス at 10:32| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月18日

大阪地震

今朝7時58分に大阪市北部を震源とする地震があった。
最大震度が大阪市内で6弱を観測し、けが人90人以上死者3人という報道も流れている。
震源地が市内の10kmくらいの浅いところのようで、マグニチュードは比較的小さいが大きな揺れにつながったようである。
この地震は九州から四国山脈を通じて日本列島を横ぎる「中央構造体」に起因するもののようである。
直接的には有馬高槻断層帯が原因で発生したものらしいが、この断層が原因の地震は400年前、1596年の慶長伏見地震以来ということだ。
慶長伏見地震では伏見城が全壊するほど激しい揺れが生じたらしいが、この当時は大小の地震が頻発していたそうで、今回の地震も近年稀な大阪地域における大きな地震だったということだが、今後の余震発生が心配される。
現在警察などが被害状況を調査していると思われるが家屋の中で家具倒壊などでけがをしている人がまだたくさんいるのかもしれない。
今回の地震では高槻市で火災が発生している映像が流れているが大規模な火災は今の所は発生していないようである。

また鉄道の停止は続いているようだが道路の通行止めは徐々に復旧しているようでもある。
今後の報道に注視していきたいと思う。
posted by ヤス at 13:29| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月17日

正しい炎上商法

昨日はAKBの「世界選抜総選挙」が名古屋であったらしい。
「総選挙」は今年が10回目で、今回からイベント名の頭に「世界」がついた。
それでわたしとしては、以前からそれなりにAKB関連の動向はチェックしてきたわけであるが、しかし気がつくと最近あんまりその手の情報収拾ができていないのだった。
だから今回の選挙で誰が1位になるのか手に汗握りながらネットで速報をチェックする、ということもなく、しかしそれでも少し気になったのでTwitterで夜中の9時過ぎに一通り順位を確認しておいた。

1位は名古屋の松井さんだったらしい。
それで37位の新潟の中井さんが、徳光さんとのやりとりの中で文春砲に直撃された件を吐露して、それでまた軽く炎上したらしい。
昨年の須藤りりぽん結婚宣言ほど爆発的に燃えたわけでもなかったが、しかし炎はそれなりの勢いをもって中井さんの情報が世の中に拡散し、彼女の認知度も相応に上がったものと思われる。

こういうのを炎上商法というのだろうか。
それで少なくないファンの人々からネットを通じて「カネ返せ」的な批判の嵐が寄せられたわけであるが、しかし真のファンならばそこは「どこまでも信じているよ」とかなんとか言うのが正しい対応なのではないか。
などと少し思ったりもしたが、まあファンとしてのコミットの仕方は人それぞれなのでそこはまあよい。

それで炎上商法について少し考えた。
このように2年連続で炎上ネタが登場すると、今後この手法がある種のお約束として定着してしまうのではないか。
つまり来年はその手で行こうと思いつく人が出て来て、選挙シーズンに合わせてわざと「当たり」に行く人が出てしまうのではないか。
そういうことが当然懸念される。

ただ炎上商法は一種の自爆テロであって、多くの場合これを実行すると自分も爆死することになる。
今回の新潟の中井さんがこの先爆死するかどうかはまだ予断を許さない状況であるが、しかし昨年のりりぽんは爆煙の中からひょっこり生還して、その後もオモテ舞台で活躍しておりその生命力の強さを見せている。

最大公約数的な人気の取り方が必要なTVタレントにとって、炎上商法は致命的ネガ要素の要因となりかねず危険が大きい。
だからネット的世界で炎上して軽く成功を収めることはできても、テレビの世界ではむずかしいと思う。
そしてそこを乗り越えるためには「当たり屋」的炎上手法ではダメなのだと思う。

あくまでもナチュラルに、「素の自分」を通してその結果として炎上してしまった、というのでないと、生きて帰ることはむずかしいのではないか、などとマジどうでもいいことを考えたりした。
posted by ヤス at 14:15| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月16日

インフレと賃金増

最近、ECB(ヨーロッパ中央銀行)が年内の資産買い入れ停止を決定、アメリカのFRBも本格的な利上げ方針に舵を切るなど、欧米での金融緩和からの脱却姿勢が鮮明になっている。
一方の日本は、日銀が先日の政策決定会合で緩和維持の姿勢を決定していて欧米とずいぶん対照的な感じになっている。
おそらく近未来の日本経済にとって、現在の金融緩和状態からどう「脱出」するかというのが大きい課題である。

日銀が2%のインフレ目標を掲げたのは2013年1月22日だったらしい。
それから日本のインフレ率は平均して年1%水準を超えることもなく、結果この目標は今では「達成期限なし」ということになってしまった。

日銀の「インフレ化」政策は、銀行が購入した国債を毎年80兆円買って、その大量の代金が日銀当座預金に入る、それが出回って世の中の現金の総量が増えインフレになる、ということだった。
しかし世の中の資金需要、つまり新しい工場を建てて製品を作ろうとか、新規事業に投資をしようとかいう需要が思いがけず盛り上がらなかったので、大量の日銀当座預金が積み上がるばかりで一向にインフレにはつながらない、ということになっている。

それでちょっと仮に想像してみると、例えば来年あたりに日本で突然新しい産業が沸き起こって資金需要が急激に増えたらどうなるのだろう。
現実にはそういう可能性はまったく無いわけだが、もしそうなったらどうか。
例えばロボット・AIのベンチャーが沸き起こって、あれよあれよという間に成長して100兆円くらいの巨大産業が突然出現した場合。

この新産業には巨額の「成長資金」が必要になるが心配はいらない。
各銀行は日銀に大量の「貯金」があるので、それを引き出してベンチャーに貸すことができる。
そうなると市中に出回る現金が急に増えて、めでたくインフレになる。
この想像はロボット・AI産業が発達するというのがミソで、このために成長とともに深刻化するはずの人手不足が解決できるのである。

ただ世の中がインフレになっただけだと何の意味もなくて、インフレ率以上に労働者の収入が増えないと人々の生活がどんどん苦しくなる。
インフレになるということは円安になるということでもあり、そうなるとガソリンとか食料品とかもインフレ進行に伴って上がる。

わたしの眼には、今の日本の経済政策はほぼ企業サイドの立場で行われており、労働者セクターから企業セクターへの利益移転がその本質だろうと映る。
だからロボット・AIでなくても何か新しい産業が起こって経済成長が実現し、その結果マイルドインフレ状態が生起したところで、その結果わたし自身も含む大多数の人々の生活が豊かになるのかというとかなり疑問なのである。
つまり企業サイドがインフレ政策に期待するのは、インレフ進行による「人件費率の自然減」だろうと思うので、人々がそろそろそのことに気がついて小さい暴動のひとつやふたつ起きても不思議ではないのになあ、と思ったりするのだが、この想像は間違っているのだろうか。
posted by ヤス at 14:17| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月15日

普通名詞とは発見である

名詞には普通名詞と固有名詞がある。
そのように昔学校で習ったと思う。
ややうろ覚えだが、「漏れ無く重複無く」分類した場合、普通と固有以外には分けられそうにもない感じがするので、たぶんそれで合っているはずだ。
普通名詞とは、世界のある事物現象の中で似たものを集めて、その集合体に対して付けられた名詞であろう。
「犬」といえば、セントバーナードもチワワも、4軒向こうの家で飼われている薄茶色の雑種犬も、全部ひっくるめて犬である。
それに対して、「ヒロシ君ちのお父さん」ということになると、その人物はおそらく地球上のたった一人のことを指す。
「ヒロシ君ちのお父さん」は、普通名詞やら固有名詞やら助詞やらがくっついて出来上がっているが、しかしその出来上がった言葉は紛れもなく固有名詞的存在であることはいうまでもない。

普通このように、「普通名詞」と「固有名詞」について文章を書き始めた場合、その文章のオチの持って行き方として、「固有名詞」というのはオンリーワンな感じがする、だから「固有名詞」は「普通名詞」より偉い、という風にしたくなるような気がする。

しかしここで書きたいのは「普通名詞」の偉大さについてである。
今新しい「普通名詞」が出来上がるということの意味を考えてみると、そこにはある種の発見があったのだ、と考えていいと思うのである。
前述の「犬」という普通名詞は、いつ頃出来たものかは知らない。
おそらく、人類が狼を家畜に飼い慣らして狩猟のお供に連れたりするようになった時分に、「犬」という普通名詞は出来上がったのに違いない。
それは犬と野生の狼を分けるために出来た言葉かもしれず、あるいは家畜として役に立つ犬の機能を定義する意味合いがあったりしたのかもしれない。
いずれにせよ今となっては「犬」といったら、でっかいのもちっちゃいのも、働く犬も、メシと散歩と昼寝のサイクルをひたすら繰り返している犬も、同じ普通名詞の「犬」にくくられる。

あるいは人類の創作物である料理の名前にも、いろいろと普通名詞がつけられている。
たとえば「ラーメン」というのがあって、ただラーメンには味噌や豚骨や具材の種類とかつけ麺とか、無限のバリエーションがある。
ただ、今まで見たことのない新しいラーメンを見たときにも、我々はほとんどの場合、「ああこれはラーメンだな」とつい思ってしまう。

ラーメンを見たとき、我々はそこに何か「ラーメン性」とでも呼べるオーラのようなものを感じてそれがラーメンであると認識する。
その「ラーメン性」は、料理としてのラーメンが発見され、人々の間でその「ラーメン性」が形作られ共有されていく中で出来上がったのである。
その結果人々が「ラーメン性」を感じる料理は、「ラーメン」という普通名詞で呼ばれるようになった。
「ラーメン」という普通名詞の誕生である。

今までにない「普通名詞」を何かつくることが出来たら、それはものすごく面白そうだ、と思った。
posted by ヤス at 09:52| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月14日

オジサン的

一般に、オジサン的であることは世の人々から嫌われることが多いのではないかと思う。
これは決しておじさん一般が嫌われるということではなく、あくまでも「オジサン的要素」が嫌われるということである。
まあオジサンではなかったとしても、オバサンでもオジイサンでもオバアサンでもニイチャンでもネエチャンでも、嫌われる人は嫌われるものではあろうが。

しかし中でも特にオジサン的要素はいろいろとあぶない要素をはらんでいるのではないかと想像される。
今わたしの脳裏にぱっと思い浮かぶオジサン的要素は、自慢と言い訳であったりする。

オジサンに自慢が多かったりするのは、これはひとつには必要に迫られて、という面があることは否めない。
今ではかなり時代が変わったのかもしれないが、基本この世はオトコ社会である。
あるいはオジサン社会であるといってもよい。
男性主体の社会構造に年功序列システムがあわさって、オジサン社会はできあがる。
だからたまに仕事の会議に行っても、座っているのはほぼ99%オジサンばかりである。

それで世の中の偉い人のかなりの部分をオジサンが占めることになるわけだが、その人のポジションとその人の中身に大きく乖離があったりすると、少し具合が悪い。
それで少なくないオジサンが必要以上にマウンティング的行動に走って、必要以上におのれの権威づけのための自慢行動に走りがちだ。
あるいは、おのれの実力不足を塗糊するために言い訳がましくなったりする。

この間ハリウッドの戦争映画を観ていて思ったのであるが、映画の中でそのオジサン的要素が散見されてちょっと面白かった。
軍隊というのは、現場指揮官でも中尉や少尉の将校は「学校出」のエリートで、この人たちがたたき上げの軍曹や伍長や兵卒たちを統率する。
そうすると多くの場合現場指揮官の将校の方が若かったり現場経験が少なかったりする。
そうするとその将校は、出来の悪い将校であればあるほど言い訳がましく、自慢げになる。
軍隊における小隊長や分隊長はまだオジサンというには早い20代の若者だろうが、しかし映画の中では見事にオジサン的に見えた。

それで思ったのであるが、オジサン的であるには必ずしも現実におじさんである必要はない。
おじさんだからオジサン的になるのではなく、オジサン的であるからオジサンになるのである。
あとわたし自身が、ややオジサン的である場合が万が一にもあるかもしれないが、それはわたしがおじさんなのでしょうがないということにしておく。
いやしかし、できることならオジサン的でない何かで居続けたいものである。
posted by ヤス at 14:27| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月13日

鍵は中国が握る

さて、昨日歴史的な米朝首脳会談が行われ、合意文書に署名がされた。
また会談は予定通り1日限りで終わった。
合意の内容は主に以下の四つ。

1 米朝が互いの平和と繁栄に向けた新しい関係構築に取り組む
2 半島の平和維持に向けた努力
3 北朝鮮は「朝鮮半島の完全非核化」に向けて努力
4 戦争捕虜や行方不明者の帰還に取り組む

残念ながら4は朝鮮戦争のことで「拉致事件」の話ではない。

それで会談直後の報道では、完全非核化には「検証可能」や「不可逆」を担保する詳細が入っておらず、その部分が骨抜きにされているのではという論調もある。
また朝鮮戦争終結に向けた内容は含まれなかった。
さらに拉致問題に関する項目も合意文書には入らなかった。
さらにさらに、会談後の会見でトランプは北への制裁は当面継続すると断言した。

結局のところこの会談合意だけでは具体的な話は前に進まないのだと思う。

ポイントはこの後の中国の意向だ。

金正恩はすぐに中国と今後の動きについて相談するものと思われる。
北の経済制裁は、対北貿易の大半を握る中国のさじ加減ひとつである。
そういう意味で中国の対北朝鮮政策(経済制裁のさじ加減)は、大きな対米外交カードになっている。

だから北が核兵器を完全廃棄するかどうか、そこのところは中国次第という側面が大きい。
おそらく金正恩としては、次のステップとしてはケ小平式の改革開放路線で経済を成長に導き、国内政治を安定軌道に乗せたいのだろうと想像する。
北朝鮮は、そのためには中国が行なっている制裁を解除してもらわないといけない。
中国は北の制裁解除を外交カードにしてアメリカと交渉し、トランプが火をつけた貿易問題の火消しにつかうのだろうか。

いずれにせよ今回の米朝合意は、上記のような米朝中の外交的連鎖が全部うまくいって初めて現実のものになる。
ただ非核化が不可逆的でも検証可能でもないとはいえ、方向として世界各国にとって悪い話ではない。
だから事態はそっちの方(非核化・制裁解除・北の改革開放)になんとなくでも進むのだろう。

ただそうなるとひとつだけ取り残される国があって、それはいうまでもなく日本である。
日本には拉致問題があって、米朝が勢いで作った合意の流れにひと思いに乗ることが難しい。

ただし日本にとって今の流れは、もちろん悪い話ではない。
とりあえず列島越しにミサイルが飛んでくることは今後はない。
ただ北のミサイル飛来は、現政権にとっては危機感醸成による支持率引き上げの材料にもなっていたので、そこは複雑なところかもしれない。

いずれにせよ、日本が拉致問題を解決するには北との直接対話ももちろん必要だが、それ以上に中国への働きかけが重要になる気がする。

そういうことで今回の米朝合意が実のあるものになるか、一時の話題づくりに終わるか、その鍵は中国が握っていると想像するのである。
posted by ヤス at 09:34| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月12日

米朝会談まもなくスタート

間も無く、シンガポールのカペラホテルで米朝首脳会談が始まる。
二転三転の後開催にこぎつけたこの会談の結果は非常に気になる。

今回の会談が実現した直接的要因は、直接的には対北朝鮮の経済制裁の「効果」があがって、金正恩がもうこれ以上もたないと思ったからだろう。
経済制裁が効き始めたのは、昨年来トランプが習近平をせっついてやっと中国が制裁に向けて重い腰を上げたからだと思われる。
そういうことではトランプの外交手腕が賞賛されるべきなのかもしれない。
また中国の立場で考えてみると、実質的最大の輸出相手国アメリカとの関係は付かず離れずである程度良好に保っておきたい。
中国としては北朝鮮がこれ以上暴走して半島情勢をきっかけに対米関係が壊れるといいことがないので、アメリカに貸しをひとつ作る意味でも北制裁に舵をきったのかもしれない。

それで北朝鮮の貿易の9割を占める中国が制裁に本気になって、その結果北の経済ダメージがいよいよ大きくなったらしい。
特に、北の経済を影で支えていた闇市に流れていた物資も止まって、いよいよこれは大変だということになった。
経済が困窮するとやぶれかぶれになった人民が暴動反乱を起こして体制維持が難しくなる。

それで金正恩としては直接的には制裁解除を求めて、最終的には当面の体制維持を目的に対米会談を実施することにした。
アメリカとしてはもともと、金正恩を交渉テーブルに引っ張り出すのが目的なので当然会談に応じる。
またこの会談実施は11月の中間選挙に向けた大きな材料になる。

こうして客観的に眺めてみると、窮乏して会談を切望しているのは北の方だろう。
トランプ的には、もちろん核放棄などの手柄が上がれば申し分ないが、交渉決裂してもそれほどのダメージはない。
しかし北としてはとにかく経済制裁を解除しないと未来がない。

会談直前の動きとして、トランプがこの交渉はこの一回限りでなく今後数回にわたって継続になるかもしれないと言っていたようだが、たぶん金正恩は今日の会談でそれなりの譲歩を示すのではないか。
昨日のニュースで金正恩は12日一日限りで延長はないと宣言したらしい。
トランプは日をまたぐことにやぶさかでなかったようなので、これは意外な宣言だと感じるわけであるが、たぶん金正恩はそれなりの「お土産」を持って会談に望んでいる。

場合によってはCVIDに応じる、ということかもしれない。(後日その約束を守るかどうかは別)
また朝鮮戦争の終戦協定締結ということになると歴史的一大事になる。

それで金正恩としては会談場所のシンガポールや「保護者」の中国のように独裁体制を保ちつつ経済成長したいと考えているのではないか。
今や経済を成長させて安定軌道に乗せることがキム王朝存続の最大の肝と言える。

後、終戦協定が成立すると在韓米軍の撤退問題が持ち上がるだろう。
そうなると在日米軍の撤退も俎上に上る可能性が高い。
そうするとまた日本国内が蜂の巣を突いた騒ぎになるのかもしれない。
いずれにせよ会談の結果が出るのが待たれる。
posted by ヤス at 09:35| Comment(4) | 徒然なるままに

2018年06月11日

頑張り過ぎないこと

さて、世の中では働き方改革がいろいろと物議をかもしている。
国会を通った働き方改革法案の是非はともかくとして、うつになったり自殺したりするまで働くような労働者が出現することはなんとか改善しないといけない。
本来は、働いて給料を稼いでそれで美味いものを食ったり海外旅行したりして楽しく豊かに楽しむのが幸せな人間のあり方のはずなのに、そうではなくて労働者にとってかなりストレスフルな会社というのがやっぱりまだ存在する。

というか、会社で働くというのには多かれ少なかれストレスがあるものだ。
それはある程度は資本主義社会の、自由競争社会の宿命である。
隣にモーレツにがんばっている会社がいた場合、のんびりしている会社は倒産しかねない。
倒産しないためには隣の会社以上にモーレツに働かないといけない。
そういう無限ループ的、ドツボ的な企業社会の構造が、ある意味日本社会の問題点なのであろう。

オリンピックでは、たまに同タイム同着順で、同一種目金メダル二人とかいう珍事が起きることもあるが、ほとんどの場合勝者は一人である。
企業社会も同じことで、ある「経済空間」の中では勝者は一人、というか一社しか存在しない。
それ以外は基本的に敗者なのであり、ただ敗者であっても安月給に甘んじるとかいう屈辱的条件を飲みさえすればなんとか生きていける。
そしていつか取って代わって金メダルが取れる日を目指してがんばる。

しかしあんまりそんなにモーレツに頑張りたくない会社はどうすればいいのか。
その場合は「経済空間」の新しいのを自分なりにこしらえて、そっちに引越しをするしかない。
八百屋がダメなら魚屋に、魚屋で負けたら肉屋になればいい。
肉屋でもダメならコロッケ屋にでもなったらどうだろうか。

ただことはそんなに簡単ではなくて、新しい空間に移ろうといってもそこには見えざる心理的ハードルがあったりする。
人間には、百円を得る喜びよりも十円失くす喪失感の方がよほど大きいという特質がある。
一度手に入れたものを失うことの心理的ストレスはよほど大きいのである。
経済競争で負けたからといって、一度手に入れた自分の生存空間を自ら手放すのはなかなか思い切りがいる。

ましてや引っ越す先の新天地にはどんな猛獣が待ち受けているか分かったものではない。
しかしたいていの新天地は、荒れ野だったり砂漠だったりして猛獣すらいない不毛の地であることが多いのだ。
というか、我々の祖先のホモ・サピエンスが生まれたての頃は、そうやってジャングルから追い立てられて、荒れ野での生き方を覚えてどうにかこうにか今の人類になったのである。

そう考えると、今の日本の多くの会社は、ひとつところで頑張り過ぎのような気がする。
いや、あんまり頑張り過ぎないで、たまにはホイホイ逃げ出すのがいいと思う。
posted by ヤス at 14:19| Comment(4) | 徒然なるままに

2018年06月10日

創造性とは

よく家電製品の注意書きに「こんな使い方は絶対にしないでください」みたいなのがある。
たとえば暖房器具のコタツに、上下ひっくり返した上から布団を掛けたり横倒しにして使う絵が描いてあって、その絵の上に大きくバツ印がしてあったりする。
はたしてそんな使い方をする奴がいるんかいな、とか思うわけであるが、まあ中には変わった使い方をする人もいるのかもしれない。
本来の使用法からは隔絶した使い方をされて事故が起きたりしても、そこまではメーカーとしても面倒は見きれないであろうから、ああいう注意書きを書く理由もまあなんとなく分かる。

しかし世の中には、メーカーが想定していなかった使用方法をあえてユーザーに考えてもらうというような、従来にはあまりなかった製品もあったりする。
それでぱっと思いつくのは360度パノラマカメラのリコーのシータである。
ユーザーが考えたこのカメラの「新しい撮影方法」の中には、空中高く放り投げて、その飛行中の動画を撮るというのがあったと思う。
当然ながら放り投げた後、落ちて来たカメラをキャッチし損ねるリスクが想定される。

しかしこの撮影方法はよほど面白い絵が撮れたのだろう、後に空中放り投げ専用のボール型360度カメラをドイツのメーカーが開発したとかいうニュースが流れているのを見かけた気がする。

このように当初の想定を大幅に超える使用方法がある製品というのは、なんだか非常にクリエイティブな感じがする。
というか、創造主の意図を超えてさまざまな使われた方をするというのは、創造性そのものだと思われる。

それに比べるとコタツの注意書きは創造性に乏しい感じがする。
むろん電熱を使った暖房器具の場合、火災事故の可能性もあるのであんまり創造的な使い方をされるのは困る。
逆に考えると、多少乱暴に使っても危険がないような製品は、創造的使用に関し可能性が高いと言えるのかもしれない。

芸術作品なんかでも、絵画でも音楽でも映画や小説でも、創造主がある思いを込めて作った作品が、受け止め手のところに到達した時点でそれぞれの多様な受け止め方をされるということがある。
そういう懐の深さ、解釈の幅の広さこそが芸術の本質であろう。
受け止め手ごとにいろんな「響き方」をする作品こそが、きっと良い芸術作品なのである。

そうやって考えると、「作者の意図は正確にお客さんに伝わったか」というような作品の評価方法は少し違うような気がしてくる。
作品とそれを鑑賞する受け取り手の関係性の中で、受け取り手が10人いれば10通りの思いが創造されること、そういう部分にこそその作品の創造性や芸術的価値はあるのだ、というようなことをちょっと思った。
posted by ヤス at 11:37| Comment(2) | 徒然なるままに