2017年12月07日

UFOと雪男の行方

大昔、テレビで川口浩探検隊とかをやっていた頃、たぶん雑誌の「ムー」とかが創刊間もない1980年くらいの当時。
世の中は今よりずっと、UFOとかネス湖のネッシーとかヒマラヤの雪男とかがブームだったと思う。
この頃は広島県北の比婆郡西城町(現庄原市)で未確認生物ヒバゴンが話題になったりもしていた。
それで最近、ヒマラヤの雪男のニュース記事が出ていたりして、久しぶりだなあと思って読んでみると、ヒマラヤの雪男のものとされていた皮や骨をDNA鑑定したらヒグマだった、とか夢の無い記事だった。

ネス湖のネッシーにしてもしばらく前まではしつこく潜水調査をして「それらしき影を発見」とかやっていたけれど、それも最近はとんと見ない。

最近の定説によると世界各地に伝わる雪男伝説の正体はヒグマなど熊類の見間違い、ということになっているらしい。
それでいくと比婆郡のヒバゴンもツキノワグマよちよち二足歩行していたのを見間違った線が濃厚である。

未確認動物=UMAのネタは、最近はどうも低調であるようなのだが、その原因は先に述べたDNA鑑定技術の発達というのがあるのだろう。
UMAの残した皮や毛など体の一部さえあれば、現在ではクマだかサルだかその他の何であるかがたちどころに分かる。
どこかのお寺に伝わるカッパの遺骸とか、人魚のミイラとか、そういうものも科学の力の前ではまったく化けの皮のかぶりようもない。

そういうことで、世界各地のUMAの正体がうっすらバレていくうちにUMAの存在自体に説得力が薄れてきて、そうなると今まで謎の猿人に見えていた毛むくじゃらの怪物もただのクマにしか見えないということになる。

ただDNA鑑定技術の発達ではUFO関連のネタの低迷は説明出来ない。
昔はよくビルの屋上で人々が円陣を組んでUFOを呼ぶ儀式とかやっていたように思うけれど、最近でもそういうのはあるのだろうか。
「UFO全盛期」には「宇宙人に誘拐された」という人物が世界中にわんさか居て、体験談を語っていたと記憶しているが、あの人たちはどこへ行ったのか。

宇宙に人間以外の知的生命が居る可能性、そして地球に飛来している可能性については、1980年頃カール・セーガンとかによって科学的に丁寧に完全否定されていたと思うけれど、その程度で人々のUFOを信じる気持ちは挫けてしまったのだろうか。

雪男にしてもUFOにしても、信じている人には見えるし信じていないとたぶん見えない。
とりあえず昔のUFOや雪男のテレビ番組はそこそこ面白かった。
ということで人間が合理的になって世の中から面白いことが少し失われたとしたらなんだか寂しい、と思わないでもない、と思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 11:58| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年12月06日

羽生永世七冠誕生

昨日の夕方、iPadのスイッチを入れてアベマTVの将棋チャンネルを起動したら渡辺・羽生の竜王戦ライブ中継をやっていた。
驚いたのは、iPadの起動からまだ数秒しか経っていなというのに、渡辺竜王が斜め上を見上げた表情から次の瞬間「負けました」と投了したことだった。
ネットTVは数秒のタイムラグがあるので厳密に「その瞬間」ではないのだろうが、ほぼその瞬間、羽生善治の竜王奪還と同時に長年持ち越しになっていた永世竜王称号獲得が決定した。

羽生さんは現在47歳で、今回の竜王獲得は史上4番目の高齢タイトル獲得であるらしい。
将棋は頭脳スポーツであり、肉体的な若さはさほど必要とされない。
しかし現実問題として、棋士の全盛期はだいたい30代までくらいのようである。
たぶん思考の絶対的速度という点では20代でピークは過ぎるのだろう。
世界的な数学者や物理学者などでも主な業績は20代であげていることが多い。

ただ対人スポーツである将棋には、脅しやすかしの技術とか経験値とかいう戦略的要素もあって、その辺がコンピューターで序盤研究を重ね頭の回転も速い若手棋士に対する40代以上の棋士のアドバンテージになっているのだと思う。

将棋の解説の先生がよく言う羽生永世七冠の評価は、あらゆる戦型を指しこなし、とにかくミスが少ない、ということだ。
驚くような奇策はほとんど用いず、淡々と指して知らない間に勝っている、というのが一般的な羽生さんの印象であるらしい。
おそらくその辺りのスタイルが、羽生さんが40代後半でなお棋界の頂上に居続けている秘訣なのだろう。

わたしはごく最近のにわか将棋ファンなので昔のことはよく知らないのだが、現在の棋界には強い若手がゴロゴロいるように見える。
史上最年少プロ棋士の藤井聡太が注目されているが、藤井聡太以外にもプロ入間もない四段棋士で抜群の成績をあげている人もいる。
また瞬間最大風速的な強さという点では、20代棋士の数名が現在の棋界の最強レベルなんじゃないかと思う。
そういう中で羽生さんは戦って、時々負けているけれど概ね勝っているのである。

個人的な次の興味は、羽生さんが50代を超えても現在レベルの強さを維持できるかどうかである。
もし東京オリンピックの頃を過ぎても羽生さんが棋界の頂点に君臨しているとすれば、それは本当にすごいことだと思う。
何より我々中高年にとっての、脳みその使い方の理想のお手本として大変な励みになる。
ということで羽生さんの脳みその使い方の秘密をちょびっとでも自分のものに出来たらなあ、と思ったりしている。
posted by ヤス at 09:55| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年12月05日

福岡国際の大迫選手快走

この間の日曜日、第71回福岡国際マラソンが開催された。
お昼12時スタートのこのレースを、わたしはリアルタイムでは見られなかったのであるが、月曜日にYouTubeにあったのでそれを観た。
レースの結果はベストタイム2時間10分台のノルウェー人選手モーエンが2時間5分48秒というすごい記録で優勝した。
2位は五輪金メダリストのウガンダのキプロティクが2時間7分10秒、そこから9秒遅れで大迫傑が3位に入った。

大迫の2時間7分19秒は低迷続きの日本マラソン会には久々に明るいニュースである。
大迫選手は5kmごとのラップでコンスタントにほぼ15分ちょうどで走り、最後の35−40kmはやや疲れて15分18秒かかっていたが見事なレースだったと思う。

大迫選手は現在アメリカのオレゴン州に移住していて、「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」に所属して活動している。
かつては1年だけ日清食品で実業団選手もやっていたようだが、現在は生粋のいわゆるプロランナーである。

今後の日本のマラソン界を考える上で大迫選手の活動方式は非常に興味深い。
プロランナーの先駆はロンドン五輪代表の藤原新や長らく女子マラソンを引っ張ってきた高橋尚子などがいるが、今後はこのスタイルが主流になってくるような気がする。
競泳でも北島康介や萩野公介などのトップスイマーがプロ宣言し、スポンサー企業と契約して活動している。

日本のマラソンが長らく低迷していた原因として、ひとつに実業団の駅伝偏重があるとよく言われる。
特に男子の場合、国内に有名な駅伝大会がいくつかあり、実業団としてはそこで好成績を収めることが至上命題とされる。
1人20km程度の駅伝と42kmのマラソンでは当然走り方も違う。
しかし最近の高速化するマラソンではトラックで好成績を踏み台にマラソンに転向するパターンの選手も数多く、そういう面から考えると短い駅伝でスピードを磨くことは必ずしもマラソンに不利に働くとも言えない。

駅伝ばかりやっているからたまのマラソンで好成績が出ないのではなく、実業団所属という「職場環境」が影響しているのではないか、という気がしなくもない。

日本人選手は1万や5千メートルの絶対的なスピードではケニアやエチオピアの選手に今のところ太刀打ち出来ない。
したがってスピードに頼り過ぎず、ペース配分や駆け引きなどの戦略を磨くことが絶対に必要だ。
そのためにはトラックや駅伝のスピード練習も必要だが、ある時期にはマラソン練習に特化しないといけない。

そのためにはプロ化してスケジュールを自分の自由に使える環境を整えないといけない。
そしてプロ化するためには好成績を収めて「有名選手」になる必要もあるし、マラソンがエンターテイメントとして世の中にもっと定着する必要がある。
ただ日本人は元々マラソン好きだし、現在はランナー人口もものすごく増えているのでその素地は十分に出来ている。
また大迫傑選手は小顔のイケメンなのでそのうちいろんな企業のCMにも出て来るんじゃないだろうか。(ただし妻帯子持ち)

大迫選手はトラックのスピードでもマラソン日本最高記録の高岡寿成と遜色ないし、2時間5分台くらいは出す潜在的能力はあると思うので、ぜひがんばって欲しいと思った。
posted by ヤス at 14:58| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年12月04日

テスラ社の財務状況

さっきネットでニュースを見ていたら、テスラのイーロン・マスクが愛車の「テスラ・ロードスター」を来月火星めがけて打ち上げる、というのがあった。

このイーロン・マスクという人は、電気自動車を作ったりトンネルを掘ったりロケットを打ち上げたり、いろいろと忙しい。
ニュースによると、新型ロケット「ファルコン・ヘビー」のテスト打ち上げで搭載貨物を火星の周回軌道に乗せることを目指すらしい。(ロケットを打ち上げるのはマスク氏の「スペースX」社である)
そのテスト用の貨物に自分の愛車、それも自社製の電気自動車を使うというのは、なんともシャレが効いているというのか、ふざけているというのか、とにかくすごいと思う。

イーロン・マスクは、この間のニュースでは本格的なEVの貨物トラックと新型のロードスターを発表していた。
少し前には本格的な量販が期待される「モデル3」の生産遅延が大問題になり、工場ライン専門のコンサル会社を買収したりてんやわんやで、千ドルの予約金を払った注文客4万人に対して直近で300台足らずしか製造できていないらしい。

それでもイーロン・マスクは涼しい顔だった、とニュースは伝えているが本当だろうか。

報道によると、テスラの財務状況は創業以来火の車であるらしい。
それがどの程度なのかちょっと気になったので調べてみた。
するとテスラの財務データがYahoo!ファイナンスに乗っている。
2016年12月期のデータを見ると、売上ちょうど70億ドルというから今のレートで7840億円。
対して当期利益はマイナス6億75百万ドル、756億円の赤字。
売上比では10%弱の大赤字だ。
有利子負債は59.7億ドル、6686億円でかろうじて売上より低い水準。
その前の決算は、売上はさらに低く損失は大きい。
こんな状況をずっと続けているにも関わらず自己資本は47.5億ドル、5320億円の自己資本比率20%である。

かつてのアマゾンとかもそうだったが、業績がずっと赤字続きでも莫大な先行投資を続けてアグレッシブに「未来」を買う、というのがアメリカのベンチャーの流儀らしい。
ただしテスラの株価が維持され、マーケットが増資を受け入れてくれたりするのもテスラの提示する未来が相応に明るく魅力的であるからだ。
イーロン・マスクの描く未来がマーケットの期待を裏切るようなことになればあっという間にテスラはこの世から消えて無くなるのだろう。

しかしイーロン・マスクはよくこんなで胃潰瘍とかにならないものだ。
こういう変態的な企業の存在がマーケットに支持されるかどうかという点が、日米産業界の元気の差ということなのだろう。
今日の結論はそういうことにしておく。
posted by ヤス at 15:56| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年12月03日

ピーク・ワン400A

季節はいつの間にか冬である。
先日掃除をしていたら、押し入れの奥から懐かしい品物が出て来た。
コールマンの「ピーク・ワン400A」というガソリンストーブである。
ストーブと言っても暖房器具ではない。
最近は登山やトレッキングが静かなブームなので知っている人も多いのだろうけれど、ピーク・ワンはガソリンが燃料の「野外用調理器具」、いわゆる携帯コンロとでも言うべきものである。

わたしのピーク・ワンは、たぶん27年ほど前に買ったものだ。
コールマンの「一体型ガソリンストーブ」には長い歴史がある。
この400Aという型番は1989年頃発売のものであるらしい。
似たような形の製品は、今ではコールマンの新製品や中華製の類似品などもいくつかある。
だが押し入れの奥から出て来た400Aにはこれらの現行品にはない特徴があって、そこがわたし的にはいくらか自慢したいポイントである。

それは「2レバー」であるということだ。
世の中のガソリンストーブには、当然ながら燃料コックが付いていて、火を出すときにはコックを開けて使う。
ピーク・ワン400Aには、赤い取っ手が付いたメインのコックレバーの他に火力調整用の黒い取っ手が付いたサブのレバーが付いているのである。
そして最近のコールマンは、黒い取っ手のレバーが無くなって赤いの一つになっている。
黒い取っ手のレバーがあると何のご利益があるかというと、火力をぎゅうっと絞ってとろ火の弱火が出来る。

ガソリンストーブのいいところは、昔からガスストーブと比べて火力が強いのが相場と決まっていた。
だが同時に弱点は、とろ火が出来ない、だから炊飯とかコトコト煮物をするとかが出来ない、ということであった。
それが2レバーの昔の400Aは出来る。
その400Aが今目の前にある。
しかしだからといって、野外で炊飯したりおでんをしようとかは思わないが。

一説によると、世の中のガソリンストーブがほとんど「1レバー」なのは、あまり弱火を多用していると煤が溜まったり異物が詰まったりなどのトラブルの心配が出てくるからであるらしい。

さて、この400Aはたぶんもう10年以上火を入れていないので、実際に使えるかどうか非常に不安であった。
タンクの中がサビサビになっていないか、ガソリンの流路の細いところが詰まっていないか、などなど不安は尽きない。
しかし先だって思い切ってホワイトガソリン(添加物の入っていない低オクタン価の「素」のガソリン・モンベルショップや好日山荘で売っている)を買って400Aに注入し、点火してみた。

ピーク・ワンは、最初にポンピングと言ってタンクに手動エアポンプで圧力をかけて燃料をバーナー部に押し出す。
そしてこの時、久しぶりに50回くらいポンピングしたのだが、耳を澄ますとかすかに「シュー」とどこからかエアが漏れる音がするような気がした。
しかし構わずエイヤと火をつけたら赤い小さめの火だるまがボッと出て、そのうち安定した青い炎に変わった。
しばらく消したり付けたりしてみたが爆発しそうな気配はない。
さすがに27年の風雪でパッキンがどこかイカれているらしいが、とりあえずは使えそうである。

こういう点いかにもメイドインUSAらしく、荒っぽい工作精度の製品であるけれど、若干コンディションがくたびれてもとりあえず使えるというのは非常にうれしい。
ということで、とりあえずそのうち野宿のお供に連れ出して、カップヌードルでも作って食おうかと思ったりしているところである。
posted by ヤス at 12:20| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年12月02日

年号表記の統一について

天皇陛下の退位日が平成31年4月30日に決まったらしい。
このニュースをちょっとネット検索してみたのだが、検索結果を見て少し不思議なことに気が付いた。
ニュースの見出しが「2019年4月退位」とか「19年4月30日決定翌日から新元号」とかいうふうになっている。
ときたま見出しが平成表記になっているものもあるがかなり少数派である。

おそらくメディア業界の年号表記は現在ほぼ西暦表示がスタンダードになっているのだろう。

いずれにせよ、再来年の5月から元号が新しくなる。
元号が新しくなると、クレジット取引や自動車保険の契約書とかで生年月日を書き込む欄に「M・T・S・H」にもうひとつ新しいアルファベットが加わることになるに違いない。
また日本の役所は公式文書には「伝統的」に昭和、平成などの元号表記を使っている。
だから元号が変わるとあらゆる公式書類に影響が出る。

一説によると新元号によって「ハンコ業界」に特需が生まれるとか、コンピューターソフトにも変更の必要性が生じるとかいう話である。
元号ひとつ変えることで新たな需要が生まれるとすればけっこうなことだが、しかし色々考えるにもうそろそろ、公式文書等から和暦元号表記をなくし西暦に統一した方がいいのではないかと強く思う。

色々と情報を参照する限り、公式文書への和暦使用を定める法律などは存在していないようであり、これは単なる慣例ということらしい。
折しも最近は「生産性革命」が政府いち押しの政策となっている。
この機会に年号表記の西暦統一をすれば事務効率が少々改善するのは確実なので検討してはどうだろうと思う。

この元号というのは、その大元は古代中国にあるらしい。
前漢の武帝時代、紀元前115年というから今から2132年前、「建元」という元号が定められ、以降皇帝が替わるごとに年号も変わるという原則とともに清の時代まで続いた。
ただし皇帝によっては治世の途中、気分転換に元号を変えることもあり、元号の数と皇帝の人数は必ずしも一致しない。
この中国の元号の風習が周辺諸国にも伝わって日本でも西暦700年代に定着したということである。
ちなみに日本最初の元号はあの大化の改新(645年)の「大化」である。

元号の使用が中国から始まったのというのは非常に興味深い話である。
おそらくこれは歴史記録好きの中華民族ならではのアイデアだと思う。
歴史を記録するためには連続した年代表記があった方が何かと便利だ。

今世界の国で日本の他に、西暦以外の年代表記を併用している国はほとんどないらしい。
ただ台湾だけは建国以来の年号を「民国紀元」として使っているという。
共産党中国があっさり西暦表記を採用しているのに対して、台湾が独自の年代表記をいまだに使用しているというのはなんだか興味深い話ではある。

何はともあれ、年代表記が二つあると計算が面倒臭いし色々と煩わしい。
天皇退位という歴史的大イベントに際し、年号表記の統一もついでに検討してもらいたいと思う。
posted by ヤス at 11:16| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年12月01日

近所がファミマだらけの件

昨日、以前までサークルKで営業していたコンビニが模様替えしてファミリーマートになって再オープンした。
調べてみると、ファミマとサークルKサンクスの経営統合が発表されたのが昨年2月だったらしい。
その時に将来的にサークルKサンクスのブランドを全部ファミマに替えることも発表されていた。
そこから2年足らずの間にずいぶんとブランド転換も進んだようである。
そして気がついたら近所はファミマだらけになっている。

現在の日本には5万5千店舗のコンビニがあるらしい。
ずいぶん以前には日本のコンビニは3万店でそろそろ頭打ちとか言っていたような記憶があるのだが、しかしそこからさらにたくさん増えたもんだと驚く。

日本の小売業は、というか世界の小売業界はめまぐるしく変化している。
かつての高度経済成長時代を支えたスーパーマーケットとかGMSとかいう業態が、ダイエーの経営危機の頃から振るわなくなり、代わって家電専門店とかのカテゴリーキラーが成長する時代もあった。
それがそういう専門量販店もだんだん厳しくなり、ひとり快進撃を続けていたヤマダ電機の成長も突然止まったのが2013年頃だった。
そしてこの間の9月には、アメリカのトイザらスが通販業界との競合激化などから事実上倒産した、ということがあった。

そのような流れの中でも一貫して成長軌道を描いてきたのがコンビニであった。
いったいコンビニはいつまで拡大を続けることが出来るのだろうか、ちょっと気になる。

わたしの想像では、たぶん日本の「リアル店舗」は将来的にみなコンビニに収斂していくような気がする。
今、日本の人口は1億2700万人なので全国5.5万店のコンビニ1店当り人口はざっくり2300人。
コンビニ各社の国内売上の合計は年間7兆円ほどであるらしい。
他にスーパーとかは17兆円、百貨店が7.7兆円、家電量販は5.3兆円とかで、小売業界全体としてはおよそ60兆円くらい。
依然としてコンビニ以外の業態の売上が意外にも多い。

わたしとしては、日常多頻度で買うようなものはみんなどんどんコンビニで買うようになるのではと思っている。
近い将来、無人ドローンが宅配をするようになって物流業の人手不足問題が解決した暁には、年に数回以下とかの低頻度の買い物は基本無店舗の通販にとって代わられるのではないか。

そして先日ファミマがコインランドリー事業に参入するというニュースもあった。
今後コンビニは、コインランドリー以外にもさまざまな生活サービス機能を付加していき、将来的には銀行窓口とか郵便局の機能なんかも吸収していくことだって十分にあるような気がする。

そしてたまにしか買わないロングテール的な品物は、みんなスマホ画面を通じてネット通販で買うようになるのではないか。

今、わたしの近所はファミマだらけになって異様な感じがするけれど、将来さらにコンビニが増えるとこの感じが案外普通になるのかもしれない(そうでもないかもしれないが)、と思ったりした。
posted by ヤス at 13:42| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年11月30日

今後の成長の軸について

最近ちょいちょい「銀行が危ない」みたいなニュースを見る。
確かに低金利が続き国内はさほどに企業投資が盛り上がる気配もなく、銀行が収益を上げるには厳しい環境のようである。
しかし主要各行の決算内容がかなり悪いかというと、そういうわけでもない。
東京三菱・三井住友・みずほのメガバンク3行では、2017年中間決算でみずほがかなり厳しい結果だったようだがそれでも一応黒字は確保している。
他の2行はまずまずの内容。
にも関わらず、この3行では今後合わせて3.2万人の人員削減を進める計画が進行中だという。

銀行の収益性が今後とも厳しくなるのは、おそらく間違いない。
金融業というのは、世の中の余っているお金を広く薄く集めてきて投資のためのお金を必要としている企業に融通する商売である。
だからお金を必要としている企業がたくさんある状況の中でこそたくさん儲けることが出来る。
しかし今の日本は総人口も若年人口も減って成長率もほとんどゼロなので銀行としては儲けようがない。

そこへ持ってきて最近はクラウドファインディングなど新手のサービスが登場してきた。
あるいは個人間の送金がスマホ同士で出来たりとか、今まで銀行の専売特許だった決済機能もどんどん様変わりしていくものと思われる。
多くの銀行が危機意識を持つのも当然だと思う。

少し俯瞰で時代を眺めるならば、産業革命以降19世紀、20世紀くらいまでは産業の大規模化によって世の中が進化してきた時代だったと思う。
それが20世紀の終わり頃から21世紀にかけて情報化というのが急に進んだ。
コンピューター技術が進化してそれまでのメインフレームのシステムが分散化した。
その流れの究極形が現在手のひらに収まるスマホなわけで、一昔前のビジネスパーソン1人にPC1台の時代がさらに進んで消費者1人にスマホ1台の時代に急速に移行しつつある。

IT化というのは効率化、無駄減らしを極限まで進める性質がある。
今の先進各国の低成長というのは、ITによる効率化がもたらしている面が多分にあると思う。
みんなが無駄なコストを使わなくなったので、従来成立していた職業や商売がどんどん無くなってきた。
その延長線上で無人ドローンが宅配荷物を届けるようになれば宅配業界も様変わりするだろうし、人工知能があらゆる知的職業に進出し、キャッシュレス化や非接触チップの低価格化でレジ打ちスタッフも早晩この世から消えるだろう。

そういう意味では銀行以外の業界も今いろいろブルっている状況のような気もする。
とりあえず銀行とかイオンやセブン&アイとかの物流業界とか、規模の経済でやりくりしてきた産業は今後厳しい状況が続くのだろうと予想する。

逆に映画とか文芸、芸術、アニメ、お笑いとかのクリエイティブな分野が今後の日本の成長の軸になると予想するのだけれど、実際にどうなるかはもうちょっと長生きして確かめてみようと思っている。
posted by ヤス at 12:26| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年11月29日

ルールの効用について

ここのところ気になるニュースが続いている。
電機メーカーなど日本製造業の凋落が続く中、超優良企業の看板を維持していたと思っていた東レでも検査不正が発覚した。
そして日馬富士の引退。
さらに今朝の北朝鮮の、過去最高高度到達のICBM発射などである。

現代の人間社会は、いろいろなルールを設定することで一定の秩序が保たれている。
東レなど一連の企業の不正問題は企業間の「契約」というルールに反するものである。
一連の検査不正は、製品の製造精度のバラツキの正規分布の端の方にある合格ラインギリギリの製品を、契約で定められた値から少しだけ出てしまっているけれど、ほぼ合格値に近いから正規の合格品と混ぜて出荷してしまえ、という感じで行われているようである。
合格値は100なんだけれど99や97も合格ということで記録を100に書き換えて出荷する。
それなら合格値そのものを97にして契約改定すべきなのだろうが、そういう面倒臭いことにはならない。

しかしやや語弊があるが、東レや神戸製鋼の検査担当者がそのような掟破りに手を染めたその心理はよく理解できる。
人間社会の他のところ、例えば交通ルールの世界では、速度超過や黄色信号の無視などは日常茶飯事で厳密に100%交通規則を守っているドライバーはこの世界に存在しないのではないかと思う。
しかし交通規則の存在のおかげで、世の中のドライバーの運転には一定の自制が作用し、交通事故の抑制には確実に貢献している。

その観点から言うと、東レや神戸製鋼の製造品質ルールも、契約による品質基準が正規分布の端の方で若干うやむやになってはいたが、製造品質の維持にはそれなりに役立っていたものと思われる。
東レや神戸製鋼の社員に言わせれば、当然そういう思いがあるだろう。

世の中の交通違反は、100%完璧に取り締まりはできない。
取り締まりは完璧にはできないけれど、しかしあまり取り締まりがいい加減だとだんだん規律が緩んできて交通事故も増えるだろう。
そうしたら、警察の方も今まで速度超過は10km以上だけ捕まえていたがこれからは5km超過もどんどん取り締まっていこう、とか、引き締めにかかる。
それで世の中のドライバーもピリついてきて、運転も次第に慎重になってくるのだろう。

今の日本の製造業も少し規律が緩んでいるようなので、この際徹底的に各社ピリついた方がいい時期なのではないかと思う。

強引に相撲に話を移動すると、相撲界の暴力問題は以前に「かわいがり」の死亡事件以来沈静化していたが、ここで新たな問題が発覚したわけである。
わたしは以前、今回の問題はチンギス・ハーンの末裔のモンゴル人がらみなので大目に見ては、と書いたけれど、現実はより深刻だったようで、相撲界もこの機会にちょっと気を引き締め直した方がいいのかもしれない。

最後に北朝鮮ミサイルだが、今朝の発射が意味するところとかは不明である。
また核不拡散などの軍縮ルールそのものが近年かなりゆるゆるになってきており、ルール違反を取り締まることもきわめて困難で、この問題だけはほんとうに頭が痛い。
posted by ヤス at 10:16| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年11月28日

子連れ議会出席の件

熊本市議会で生後7ヶ月の子どもを連れた議員の件が話題になった。
42歳のこの女性市議は、結局協議の結果友人に子どもを預けて議会出席することで決着したらしい。
この一件のせいで議会は40分遅れになる騒動となり、ついでに全国区のニュースになった。
この女性議員は東京外大出身でアメリカの大学に行っていたこともあり、市議になったのも子育てのしやすい社会環境を整えたかったからということらしい。
子連れ議会出席の行動も批判覚悟のデモンストレーションであったようである。
おかげで議会への子ども同伴が全国的な話題になり、おそらく今後具体的な検討が始まったりする雰囲気が出ている。

現在の議会は、地方議会でも国会でも、たいていの場合議場入場は議員以外NGとなっているようだ。
この点から見れば女性議員の行動は明確なルール違反なわけだが、しかし子育てのしやすい社会づくりにはかなりのインパクトがあったようである。

わたしは個人的には、議員が女性でも男性でも、子連れで議会に出席するのは別にかまわないんじゃないかと思う。
おそらく子連れの場合でも、議会に出席する仕事にはほとんど支障がないように思える。
最近は議場の傍聴席にも、小さい子ども連れで座れるガラス張りの防音室とかがあったりするらしい。
場合によっては子連れ議員用にそういう施設を整備してもいいとさえ思う。

今の日本では少子化問題が叫ばれている割に、具体的な施策がとぼしいように見える。
なんだか「産めよ増やせよ」的なスローガンばかりが飛び交っていて、子どもがいても働きやすい社会環境になっているとはとてもいい難い。

少子化で子どもが少ないことももちろんだが、若年人口減少で労働力不足も大きな問題である。
この国では、結婚・子育てを機に高等教育を受けた女性が早々と労働市場から抜けていくのが普通のことである。
これは社会的リソースの無駄遣いにほかならない。

子連れだと難しい仕事というのも確かにあるだろうが、そうでない仕事もたくさんある。
また子連れでいくらか業務上のパフォーマンスが落ちるのかもしれないが、それも家庭に眠っていたはずの労働力の有効利用の分と差し引きすれば日本全体でプラスになるに違いない。

だから民間企業に対するアピールという意味でも、議会の子連れ参加のルール化やそのために必要な設備へのコストは許容されてしかるべきだと思う。

ただこの議論については、女性も含めて反対の人が思いのほか多いらしい。
その辺りの「心理的障壁」が、結局のところ子連れ就業以外にもさまざまな場面で日本の生産性の足を引っ張っているということなのではないか、と思うのだった。
posted by ヤス at 12:47| Comment(0) | 徒然なるままに