2018年06月29日

日本の作戦勝ちについて

昨日夜にW杯の日本対ポーランド戦があって、今朝確認したら日本は負けたけれど決勝T進出を決めたというのを知った。
「フェアプレーポイント」という単語も初めて知った。
ポーランド戦の最後の方で、セネガルがコロンビアに1点差で負けそうだということになって、フェアプレーポイントの差でわずかにセネガルを上回っていた日本は、無理攻めを回避して「逃げ切り」を図った。
1点リードしてポーランドもすっかり安心したということもあったのだろう、試合は最後の約10分は日本が時間潰しのパス回しに終始する展開になったらしい。(観ていないから実際のところは知らないのだ)

それでその時間潰し作戦に会場でブーイングが起きたりネット上で批判が沸き起こったりしたらしいが、しかし日本の作戦は個人的にはきわめて妥当なものだったと思う。

残念ながら日本チームは弱い。
FIFAランク61位というのは低すぎるのではないかという声もあるようだが、しかし実際その辺がいいところなんじゃないかという気もする。
戦力的に弱い日本が勝ち進むためには勝ち方の美醜にこだわっていられないのだ。(今回は負けて勝ち上がったわけだが)

まあそういう作戦面も含めての実力ということでいえば、現在の日本は十分に決勝T進出に値するということなんじゃないか。
選手の平均年齢の高さが一部で問題視されていたようだが、今回はそれが経験値の高さとして有利に働いているのは間違いない。
その象徴がGKの川島で、彼はいくつか大失敗もやらかしたということだが(わたしにはどの程度の失敗かよく分からない)、その都度彼は気持ちを立て直していくつかファインセーブも見せている。

今大会の日本チームは川島に象徴されるようなメンタルタフネスで勝ち上がるチームなのだ、という風に見える。
で、このメンタルタフネスというのは日本語で言うところの「根性」とはやや趣を異にする概念であり、それは技術的なものであって適切なトレーニングによって強化可能なものなのである。

「メンタルタフネスで勝った」件で思い出すのは、やや昔の話だが1988年ソウル五輪水泳競技・100m背泳ぎの現スポーツ庁長官・鈴木大地の金メダルだ。
鈴木大地は午前の予選が55.90秒で、対するアメリカのバーコフが当時の世界新となる54.51秒という驚異的なタイムで1.39秒の絶望的な差をつけられた。
100m種目でこの差は、逆立ちしても昼寝をしてもひっくり返らないというくらい絶対的な差だと思われたのだが、鈴木大地は決勝レースで潜水バサロキックをいつもより5m延ばしてバーコフを慌てさせ、プレッシャーのかかったバーコフは泳ぎが硬くなって鈴木大地は日本新55.05秒で先着し見事金メダル。

この時の鈴木大地は実力的にはバーコフより劣っていたが、本人2回目のオリンピック(バーコフは初五輪)の経験を生かして冷静を保ち、実力だけでは勝てないので大一番で賭けに出て、結果その賭けを成功に導いた。
それだけのいろんな技術を全部持ち合わせていたということだと思う。

それでサッカー日本代表の次の相手はものすごい強敵のベルギーだが、どんな戦い方をするのか今から楽しみになってきた。(リアルタイムでは観ないけどね)
posted by ヤス at 09:26| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月28日

ハーレー貿易問題続編

昨日、トランプとハーレーのEU報復関税をめぐる一件を書いたが、その後のニュースで続報があった。

ハーレーの海外生産移管の発表に激怒して「重税を課す」と息巻いたトランプであったが、トランプが怒ったのはハーレーがアメリカ国内向けも海外に移すものと早合点したからで、「もしアメリカ向けのハーレーを海外工場から輸入したらものすごい高い関税をかけてやるぞ」ということだったらしい。
それで罰としての「重税を課す」ことの意味がやっと分かった気がした。

メイドインUSAにこだわるハーレーとしては、当初からアメリカ国内の需要は国内工場でまかなうつもりであり、トランプの激怒は空振りだったということである。
まあことの一部にトランプの勘違いがあったのが分かってそれはそれでよかったのだが、しかしだからといって問題が根本的に解決したわけではない。

アメリカ(というかトランプ)が仕掛けたEUや中国や日本などのからの鉄鋼・アルミニウムへの輸入関税措置は4月頃から実施に移されている。
日本がアメリカに輸出する鉄鋼材料などにも適用されているわけであるが、しかしアメリカ企業が日本から買う鉄鋼製品はほぼ代替のきかないものばかりとのことで、実際の貿易量への影響はほとんどないらしい。

ということはつまり、アメリカの企業は今年の4月以降25%の関税分が上乗せされた金額で日本製鉄鋼材料を買っており、その分は確実に経営的な負担になっているはずである。
最終的にこのコスト増の大部分はアメリカの消費者によって負担されることになるのだろう。(絶対額はそんなに大きくはないらしいが)
「アメリカ国内の雇用を守る」という掛け声で始まった関税措置がアメリカの消費者の負担増につながるとしたら、これは皮肉な出来事である。

また今回のハーレーの一件で、貿易相手国による報復措置が今後の新たな問題になることが予測される。
EUはアメリカ製バイクに報復関税を掛けたわけであるが、アメリカ製の輸出バイクといえば事実上ハーレーしかない(「インディアン」「ビクトリー」もあるにはある)ので、これは事実上のハーレー狙い撃ち関税である。
ハーレーの本拠地ミルウォーキーは共和党ライアン下院議長という人のお膝元だそうで、一説によるとEUはこの人物を狙い撃ったのではないか、という話もあるらしい。

またハーレー以外にも昨年メキシコ工場移転を断念したフォードは、アメリカ工場からの中国向け輸出強化を計画しているそうで、この辺でも中国の報復措置が懸念される。

あと個人的に心配なのはアップル製品であるが、しかしよく考えてみるとiPhoneもMacBookもホンハイの中国工場製なので、こちらはまあ大丈夫なのか。

いずれにせよトランプの保護貿易政策は各所(とりわけアメリカ国内)に悪影響を及ぼしかねず、こんなんでは11月の中間選挙は共和党はかなり危ういのではないか、などと思ったりした。
posted by ヤス at 10:02| Comment(0) | 徒然なるままに

2018年06月27日

ハーレーとEU報復関税

アメリカのオートバイメーカーのハーレー・ダビッドソンがアメリカ国外に生産拠点を移転するかも、それに対してトランプが激怒、というのがニュースになっている。
ハーレーの生産海外移転はトランプの始めた貿易戦争のあおりを食った結果であり、EUが報復関税措置としてアメリカ製オートバイにかけていた関税を現状の6%から31%に引き上げる動きに対応したものである。

ハーレーは、1970年代に一度倒産している。
その後新しい経営陣のもとで地道な品質改善などに取り組み、ビューエルなどいくつかのオートバイブランドを買収したりして今では世界で5番目(1〜4番はたぶん日本の4メーカー)のオートバイメーカーとして確固たる地位を築いている。
特に1リットルを超える大排気量クラスでは大きな販売シェアを獲得しており、日本における昨年(2017年)の401cc以上クラスの車種別販売台数ではベストテンのうち3車種はハーレーが占めているほどである。

そのハーレーは、メイドインUSAにこだわってきたメーカーであることは確かなわけだが、現状でもブラジルとインドに生産拠点を持っているらしい。
そしてハーレーは売上高50億ドル強のうちアメリカ国内での販売が過半を占めているが、2番目に大きな市場がEUで売上の16%くらいあるらしい。
それで今回のトランプ貿易戦争のEUの報復関税でハーレーのオートバイは1台平均24万円ほど消費者負担が増えることになるそうで、おそらくハーレーのバイクは200万円くらいが中心価格帯だと思うが、24万円の負担増はかなり影響が大きいのは疑いない。
そういうこともあって、関税回避のためにアメリカ以外で作ったのをEUに出そうということである。
しかしトランプがそれにストップをかけて「生産をアメリカ外に移したらかつてない重税を課す」とか言って脅しをかけているらしい。

自由主義経済のアメリカで大統領の意向に逆らって重税を課せられるなどということが果たしてありえるのか、ものすごくわけが分からないが、そういえば以前四輪のフォードがメキシコへの工場建設を取りやめた「実績」もあるので今後の展開はどうなるか分からない。
ただハーレーの株価は確実に下がっている。

経済政策のありようということでは、日本のそれも部分最適でややゆがんだものになっていると思うのだが、しかしアメリカの(というかトランプの)経済政策もかなりいびつになっているように思われる。

ただ日本とアメリカで違うと思うのは、日本の場合もっぱら経団連企業の要請によって経済政策が決定される一方、アメリカでは(というかトランプは)「ラストベルト」の労働者たちの意向を想定して政策を決めているように見えることである。

今回のハーレーのようなちぐはぐなケースは、大企業の発言力が強い日本ではまず起こり得ないだろう。
そういう意味でアメリカは良くも悪くも民衆の力がまだまだ強い(日本に比べたら)のだなあ、などと思ったりした。
posted by ヤス at 10:36| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月26日

デマ情報の拡散

このあいだの大阪の直下型地震で動物園からシマウマが脱走したとかいうデマが流れたというのがニュースになっていた。
2016年の熊本地震でも、ライオンが逃げ出したとかいうデマが流れて問題になったことがあった。
SNSの時代にはそういうデマが以前に増して広まりやすくなっている。
例えば地震などで動物園から猛獣が逃げたとかいうデマが広がると、ただでも忙しい警察や役所の人がそのために無駄な手間を取られて、救助活動に支障をきたして最悪の場合救われるはずの人命が助からない、ということだってあるだろう。

SNS等によるデマの拡散は、刑事罰の取り締まり対象としては名誉毀損罪、信用毀損罪、業務妨害罪などにあたるのだと思う。
先述のライオンが逃げたとかいうデマは偽計業務妨害罪に該当する可能性がある、ということになるのだろう。
わたしは法律は門外漢なので、この記述自体がある種の「デマ」になっている可能性もあるわけだが、だからあまりまっすぐ鵜呑みにしてもらっても困るような気もするが、まあかまわず書き進める。

それで偽計業務妨害罪というのは、「偽計」によって「業務」を妨害したことが認定されると成立する、ということであろう。
この場合の「偽計」ということであるが、これは「人を欺き・誘惑し、または人の錯誤、無知を利用する」ことをいうらしい。
この解説情報を見る限り嘘が「意図的」である場合に偽計が成立するように見える。

ここでTwitterとかFacebookとかのリツイートやいいねが偽計にあたるのか、という問題が出てくる。
誰か知らない人が流したデマ情報を信用して、ある種の親切心からそれをネット上に拡散した場合、リツートやいいねをした場合、その嘘と知らずに拡散した人は罪に問われるのか。
いろいろとネットを見た感じでは、今のところは嘘と知らずに拡散した場合は罪に問われない、ということであるようだ。

しかしデマの発信元は、いかにも本当に見えるデマを流して、それをうっかり信用して拡散する人のいることを予測しながら嘘情報の作成に精を出していることだろう。
そしてけっこう知能指数の高そうな人でもデマにひっかかったりしている。

あるいは別のパターンとして、デマ情報の拡散を目的に「私はデマと知りませんでした」という風を装ってデマを拡散する人々もいるかもしれない。
だから今後は意図的でない「偽計」についても何らかの法的処置が必要な気がする。

ということで、ネット時代における「その辺に落ちている面白そうな、または有益そうな情報」については、よくよく考えてからリツイートなりいいねしたりするのが望ましい情報拡散の在り方だと思う。

ヘルマン・ヘッセによれば、言葉というのは「ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられ、いくらか愚かしくなる」ものであるそうである。
世の中に流れている情報は、いくら本当そうに見えても常にいくらか(あるいはほぼ全部)嘘であると思って間違いない。

そういう気構えでリツイートなりいいねなりした方がいいのだと思っている。
posted by ヤス at 10:30| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月25日

W杯とナショナリズム

サッカーW杯はグループリーグが進んできてだんだん結果が出てきている。
昨晩は日本とセネガルの一戦もあって、日本は惜しくも引き分けになり決勝トーナメント出場はグループリーグ最終戦のポーランド戦に持ち越しになった。
というのは今朝ネットをチェックして初めて知ったのであるが、昨晩のセネガル戦のテレビの視聴率は平均で30%を超えていて、日曜深夜としては驚異的な数字であったらしい。

わたしも普段はサッカーとかほとんど興味がないのだが、さすがにW杯の場合、社会現象としての興味もあってチェックせざるを得ない。
それにそうやってチェックしていると、最初はなるべくクールに平静に見ようと思っていても、ついつい日本チームを応援する気持ちが湧き上がってくるものである。

その一方多くの日本人が日本代表チームを応援しているところに水を差すようで無粋かもしれないが、サッカーW杯の熱狂とナショナリズムの関係についてふと考えたりした。

スポーツイベントとしてのW杯は国別対抗戦であって、出場国の国民が自分のところのチームを応援するというのがある種の重要な舞台装置になっている。
まあ日本人が日本チームそっちのけでブラジルやイタリアを応援してもいけないことは何もないと思うのだが、おそらく各国の国民の大半は自分の国の代表チームを応援すると言う図式が自然に生じる。
だからW杯は興行として盛り上がるということがある。

しかしW杯で各国国民が自国チームを応援して盛り上がる図式がきちんと成立するのは、20世紀的な「国民国家の成立」が重大な前提にある。

19世紀にW杯を開催するとしたら、アフリカは言うに及ばず、アジア地域も大半が欧州の植民地なので、W杯=ヨーロッパ選手権のようになってしまったに違いない。
さらに遡って中世以前では国家としてのイギリスやフランスとかも出来上がっておらず、地方豪族が離散集合して権力闘争を繰り広げていた時代であり、何より当時の一般庶民は自分らがどこかの国の国民であるとは思っていなかっただろう。
それはかつての日本も同じで、日本人が自分たちが日本人だと真に自覚し始めたのは、幕末のペリー来航以降、アメリカやロシアの圧力・脅威を肌身に感じてからの話だと思う。

ナショナリズムというのはW杯で盛り上がるのに重要なものでもあるし、一方で国家が戦争や外交で外国としのぎを削るのにも必要不可欠なものである。
ヨーロッパのEUが今ひとつうまく行っていないのは「EUに対するナショナリズム的なもの」がまだ全然出来上がっていないからだろう。

しかし20世紀的ナショナリズムということで言えば、W杯を見る限り地球上にかなり根付いているように見える。

何はともあれ日本のW杯第3戦対ポーラド戦はあまりややこしいことを考えず素直に応援しよう。
posted by ヤス at 11:37| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月24日

SNS時代の感情のやり取り

言うまでもないけれど、SNSの時代というのは現代人の心理状態にかなりの影響を与えている。

人々がSNSに何かを投稿する、何かをつぶやくというのはある種の「感情の発露」であって、そこには投稿する人の気持ちの表明(意識的無意識的を問わず)と、投稿を見る人の受け取り・解釈というものがある。
こういうコミュニケーションは以前にはなかった。

かつては会って話をするか、電話や手紙でやり取りをするか、人づてに間接的に話や噂を聞くか、そのいずれかしかなかった。
それがSNSの時代には、スマホを開けば知り合いがなにかつぶやいている、写真を投稿している。
それらの投稿には比較的明確なメッセージが込められている場合もあるし、ただ単に暇つぶしに適当に投稿しただけかもしれない。

しかし何気なくの投稿に対しても、そこには投稿者と受け取り手の感情のやりとりが生じている。
SNSの時代では、そういう感情のやりとりがとりあえず回数的に昔よりずっと多く生じている。
その気持ちのやりとりにおいては、いい感情のやり取りばかりでなく、嫉妬や嫌悪の感情を少々刺激することもあるだろう。
というかSNSの時代には、そういう負の感情のやり取りが問題とされることが多いと思う。
それで目の前に相手がいる時には、そういう負の感情のやり取りは生じにくい。
これは目の前の相手に面と向かって負の感情をぶつけるのはかなり勇気がいるからで、顔を突き合わせてコミュニケーションしている限り無難な感情状態に終始する可能性が高い。

しかし相手が電波の向こうに隠れて直接見えない、かつ、やり取りに多少のタイムラグがあってコミュニケーションの失敗を即座に処置できにくい状態では、面と向かっての場合より負の感情が行ったり来たりする状況が増えるのだろう。
それで知り合いとのやり取りで気まずい思いをする件数が、現代の方が昔よりずっと増えているものと想像される。

そしてそれは、男性よりは女性の方がコミュニケーション頻度が高いので、そういう機会が多いだろう。
あるいはもっと若い女子高生とか女子中学生とか、ちょいちょい失敗して「やべえなあ」とか思っているのではないかと想像する。

それでやっぱりおじさんの場合、この手の感情のやり取りに対する感度とかスキルが、若い女子よりもだいぶ遅れをとっているのではないか、そんな心配もするのである。
ついでにSNS時代で感情のやり取りが先鋭化し過ぎるあまり、それが中学生や高校生にとって大きなストレスになっていじめや自殺の問題につながっているのではないか、などとおじさん的に心配したりもする。

しかしおじさんが真に心配すべきなのは、感情のやり取りにおける自分とSNSネイティブ世代の感度の差異を自覚することであるのかもしれない。
そしてそれはSNS時代以前から変わらぬ宿題であったのかもしれないと思ったりしたが、なんにせよネット時代のコミュニケーションはいろいろと気を遣うことが多いなあと思うのだった。
posted by ヤス at 13:21| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月23日

携帯料金削減の戦い

先月の初旬に携帯電話(iPhone)をソフトバンクからauに乗り換えた。
現代に生きる我々にとって、携帯電話をはじめとする通信コストの削減はきわめて重要な課題である。

わたしも折に触れてはソフトバンクショップに訪れ、携帯代削減に関する有効策を質問する、ということをやったりしていた。
その時までのわたしのiPhoneは7の32GBのやつであったわけで、これの2年払いの機種代金が月3670円、これにデータ定額5GBのプランなどと合わせて毎月約7000円、というのがそれまでのiPhone料金だった。

データ定額のプランには最低容量のプランとして1GBというのも2016年4月に導入されている。
これは総務省の指導で、高過ぎるとされていた携帯料金の是正を目的に導入されたものなのだろう。
わたしとしてはこのプランに切り替えたかったわけだが、実を言うと別にiPad Proを持っていて、そちらのデータ使用量と容量をシェアするプランでは、最低5GBでないとダメというので5GBのプランで、iPhone料金として月約7000円を払っていたわけである。

しかしこのたびiPad Proの2年縛り契約が晴れて終了した。
これで夢の1GBプランへの乗り換えの道が拓けた。
ちなみにこの頃のわたしの毎月のモバイル通信データ量はおおよそ1.6GBほどである。
モバイル通信での動画視聴を控えるように気をつけていればこの程度の通信容量に抑えられることが経験上実証できていたわけである。
さらにSNSにおける画像のやりとりなども自粛すれば、月1GBもいけるんじゃないか。

しかしもうひとつ通信代のかかるものがあって、それはソフトバンク光であった。
これが毎月8000ほどもかかっていた。
10ヶ月前までau光だったのを携帯とセットにすると割引がある、というので乗り換えたのだが、料金内訳をみると、謎の工事代金とかが入っていたりしてなんだか高いなあと思っていたのである。

それで当初はソフトバンクのままでiPhoneを1GBプランにしてコスト削減を図ろう、と思っていたのであるが、思い切ってauに行っていろいろ見積もりしてみたらiPhone8の64GB・4年払いにau光のセットにするとiPhoneが約月5000円(2GB使用時)、光が5100円の合わせて約1万円になるという。
それでauの言うことが真実ならだいぶ安くなるのでホイホイ乗り換えることにした。

ついでにいうとiPhoneの通信プランは「auピタットプラン」っていうやつで、これは通信料を1GBに抑えると月約4000円で済む。
光と合わせても1万円でおつりがくる。
それでひと月あまり使った結果でいうと、Wi-Fiのないところでは原則SNSを使わない、というのを徹底(実際には週2〜3回使用)すると、余裕で1GBを下回ることが実証された。

ということで携帯代など通信費用は料金体系が複雑で理解不能なことも多いわけであるが、通信コスト削減をめぐる戦いはまだまだ続くのである。
posted by ヤス at 14:14| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月22日

ガソリン価格が上がっている

ガソリンの値段が上がっている。
おととい給油した時はレギュラー147円/Lだった。

ガソリン価格が上がっている直接の原因には、その元になる原油価格の上昇がある。
ちょっと調べてみると2016年初頭に原油価格は1バレル30ドル程度で底値になったあと、多少ジグザグしながらずっと上昇基調を続けており、最近は1バレル70ドルくらいになっている。
2年あまりで2倍以上に上がっているわけである。

リッター約150円というガソリン価格はもう十分に高いと思うが、この先どれくらいまで上がるのだろうか。

調べてみたら2016年前半のレギュラーガソリン価格は105〜115円/Lだった。
2年半でリッターあたり30〜40円も上がっているわけであるが、たぶん1リッター中の純粋な材料代としてのガソリン価格は60円くらい(たぶん)で、そこに輸送費や税金や卸業者とガソリンスタンドの利益が乗ってリッター147円とかいう値段になる。(ちなみに揮発油税は53.8円/Lである、他に消費税もかかるが)

そういうことを考えると業者の利益マージン、特にガソリンスタンドの取り分は非常に少ないのだろうと想像する。
特に今のように原油価格の上昇局面では、仕入れの上昇分を全部そのまま小売価格に乗っけるわけにも行かず、利幅はますます減っていくものと想像される。

原油価格が上がっているのには、いろんな専門家からいくつかの理由が説明されている。
ひとつは単純に産油国の減産が進んで原油在庫が減っていることがあるらしい。
もうひとつは不安定な中東地域情勢で、シリア内戦やイランの経済制裁、サウジアラビアの政情不安など。
あとアメリカを中心に沸き起こっていたシェールオイルのブームが一段落したということもあるようだ。
シェールオイルについては環境破壊を心配する声も根強く、また価格が下がり過ぎて破綻するシェールオイル企業も出たりしたので適当に生産調整も行っているのだろう。
そういうこともあってシェールオイルによる価格波乱要因が落ち着き、原油価格が再び上昇基調に入ったものと思われる。

だがたぶん一番大きい原油価格の上昇要因は「需要の増大」である。
中国をはじめ、インドとか東南アジアとか、あとアフリカあたりも、経済発展が目覚ましく石油の消費量がどんどん増えている。
だから長期的に原油価格は上昇基調にある。

中東情勢の状況緩和や産油国の生産調整の動向次第で、短期的に下がることもあるかもしれないが長期的にはずっと上がるものと予想するのである。
このままだと、おそらくリッター180円くらいまではすんなり行くんじゃないか、という気がする。(日本における過去最高値が180円くらいである)

ということで個人的には、ガソリンをなるべく燃やさない生活を目指そうと思っているところである。
posted by ヤス at 12:33| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月21日

二種類のやる気について

最近のわたしの発見は、といっても大した発見ではないのだが、それは「やる気」についての発見である。
心理学や脳科学の本を読んでいると、やる気というものの性質が出てくる。
それらによると、「やる気があるからやる」のではなくて「やるからやる気が出る」という。

まあそんなことは考えるまでもなく当たり前のようにも思える。
やる気だけはあるがまだ実際にやってない、という状況は一種の矛盾状態であり、この時のやる気には実体がない。
だから実際に何もやっていない状況でいくらやる気だけはあります、といっても、この時のやる気が本物なのか偽物なのか判別しようがない。
やっていない段階の「やる気」は実質としては存在しないのだ、という命題は、脳科学というよりは社会科学的問題かもしれない。

いずれにせよ、何もやっていない状況における「やる気」は存在証明のしようがなく、かつ脳科学的には行動を起こすことによってだんだんとやる気が出てくる、という脳の性質がある。

それでちょっと疑問に思うことがあって、脳科学的には行動を起こすことで初めてやる気が発生するとして、ではそもそも人間をその行動に至らしめるものは何なのか。

それでちょっと考えてみると、人が腹が減ってメシを食う時に大したやる気はいらない。
健康な人が腹が減って目の前にゴハンを出されたら、そのゴハンを食うのに何の努力もいらない。
次の段階として目の前にゴハンはなくて、コンビニに買い物に行かないと行けない場合。
さらに、コンビニで買い物するお金がなくてまずそれを稼がないといけない場合。
メシを食うという最終目標は同じであるが、その目標が遠くなるごとにより多くのやる気が必要になるような気がする。

さてここで矛盾が生じた。
人のやる気は行動の中で生じるものであるというけれど、そもそもその行動を起こさせる大もとのやる気は、やはりどうしてもないと困る。
その大もとのやる気は、食欲であったり女にモテたいということであったり、そういう原初的な欲望である気がする。

ただ原初的な欲望の解決手段が目の前のちゃぶ台に乗っている状況では、大したやる気は要らないのである。
原初的な欲望を満たしたいが、そのためにはちょっとした難行苦行が待っている、そういう状況において「やる気のようなもの」が必要になる。

だから行動しているうちに湧き上がってくる脳科学的なやる気は、難行をやり遂げるためのもの、難しいことを飽きずにやり遂げさせるためにあるもの、ということができる。
そしてそもそもその行動を起こさせるもの、人を難行に駆り立てる「やる気のようなもの」は、原初的な欲望に結びついてこの欲望をなんとか実現したいというものである。
そういう風にやる気にはふたつの種類があるような気がする、というのが今日のところの結論のようなものである、ということにしておく。
posted by ヤス at 10:19| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月20日

W杯予想はずれる

昨日のW杯サッカーは日本代表が大方の予想を覆して2-1でコロンビアに勝利した。
この勝利には、相手DFがやや不運かもと思われる一発退場をくらって数的優位の状況が転がり込んできたことや、後半から入ったエースのハメス・ロドリゲスが状態が悪かったことなど、いろいろとラッキーもあった。(そのような解説記事を見た)
だが最初の一発退場・PKも最初から果敢に攻め込んで行った結果転がり込んできたものであり、日本選手の攻めの意識が生み出したラッキーということが言えるのかもしれない。
また後半に本田のCKからの大迫のヘディング勝ち越しも、これまでに培ってきた技術と経験が生きた場面だったのかもしれない。
何よりも勝ち越したところで必要以上に固くなることなく、相手の猛攻をしのぎ切ったというのも、これは「平均年齢が高い」と言われたチームの良い面が出たような気がする。

ということでわたしの戦前予想はまったくはずれたわけであるが、まあ日本が勝って何よりである、とは思う。
その一方で、この一戦の解説記事を見ると、もっと点が取れたはずだとか後半から入った本田はCK以外にはミスが多くて良いところがなかったとか、いろいろと苦言を呈する向きもあるようだが、これも次戦で勝って決勝Tに進んで欲しいという気持ちの現れであろうことは言うまでもない。

ところで昨日は午前中に加計理事長の会見があった。
W杯日本戦の当日、かつ大阪の地震直後で午前中の開催を直前2時間前に告知、しかも地元記者クラブメディアのみ出席可の会見だった。
会見を開いたことで加計理事長は、問題発覚後一度も表舞台で発言していない、というそしりは免かれることにはなった。
理事長は国会招致に関しては「お待ちしています」という立場であるらしい。
もう一回東京等のメディアも出席可能な会見を開くかどうかの質問に対しては、一度目は華麗にスルーし、最後の方でもう一度聞かれた時には「検討します」と応えた。

しかしわたしの予想では国会に出ることもあらためての会見を開くこともないと思う。
この会見は「世間に向けて今回の件を釈明したこと」の実績をつくることのみが目的だと見えた。
これをもって理事長からの意見陳述は打ち切りである、ということなのだろうと勝手に想像している。
このわたしの勝手な予想が、W杯予想と同じくはずれるといいのにと思う。
posted by ヤス at 11:12| Comment(3) | 徒然なるままに

2018年06月19日

いちおうW杯に言及する

今日はサッカーW杯の日本対コロンビア戦があるらしい。
といってもわたしはサッカーにはあまり興味がないのでどっちが勝ってもあまり関係はない。
聞くところによるとコロンビアはFIFAランキング16位の強豪で、日本は前回ブラジル大会でけっこうな点差で敗れている。
そのときに話題になったハメス・ロドリゲス選手が今回も健在で、しかし数日前のニュースでハメス選手が風邪をひいたらしいので日本に追い風、みたいのが流れていたが、相手主力選手が病気になって喜んでいるようでは日本メディアの精神レベルの低さがうかがい知れようというものである。

それでFIFAランク61位の日本としては順当にいけば負ける可能性が高い。
何かと物議を醸しているサッカー解説者のセルジオ越後が、ラジオかなんかで日本は11人で守って0−0の引き分けに持ち込めばいいと言っていたけれど、わたしも今回の日本の最良の作戦はそれしかないと思えてしょうがない。

日本は絶対的なエースがいるわけでもなく、数年前に比べると国際的な力関係は明らかに落ちているように見える。
ただサッカーのゲームとしての面白さは、ボールテクニックがすごいとか走るのが早いとかパスがよく繋がるとか、選手のフィジカルや技術の高さだけで勝敗が決まらないところにある。
これは野球やアメフトやラグビーとかでも同じだと思うが、いわゆるタクティクス、作戦の妙によって勝敗を左右することができる。(と見える)

特にサッカーの場合、ある程度の技術の選手が多人数でゴール前を固めたらなかなか点が入らない(と聞いたことがある)ので、今回のようにかなり格上のチームとやるときは、いっそ割り切って全力で0−0の引き分けを目指すべきではなかろうか。
それで後の2チームの中で勝てる可能性の高いチームに対し、点を取りに行くゲームをすべきだ。
と思って残りの2チームを調べたら、ポーランドはFIFAランク8位でひょっとしたらコロンビアよりも手強いかもしれない。
FIFAランク27位のセネガルがもっとも勝つ可能性が高いと言えるわけだが、それでも日本の不利は否めないのだろう。

というわけで「1勝2分け」ねらいが妥当な線だと思うのだが、それでグループリーグを突破できるのかどうかはよく分からない。

かつてベトナム戦争で北ベトナム軍は米軍相手に、泥沼のゲリラ戦に持ち込んで最終的な勝利をもぎ取った。
あの戦争は死傷者数の比率では北ベトナムの方がはるかに損害が大きく、実態的には、米軍は勝てなかった、北ベトナム軍は負けなかった、というのが正しい。
北ベトナムとしては負けなかったことが結果としての勝利につながった。

格好にかまわず泥臭く「負けない」戦い方、というのは案外日本人には不得手なことなのかもしれない。
「泥臭く負けない」ことよりも「華々しく負ける」ことの方が日本人の好みなんじゃないかとも思ったりするのだが、まあそういうことも思いながら今晩の試合結果を明日朝のTwitterでチェックしようかと思っている。
posted by ヤス at 10:32| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月18日

大阪地震

今朝7時58分に大阪市北部を震源とする地震があった。
最大震度が大阪市内で6弱を観測し、けが人90人以上死者3人という報道も流れている。
震源地が市内の10kmくらいの浅いところのようで、マグニチュードは比較的小さいが大きな揺れにつながったようである。
この地震は九州から四国山脈を通じて日本列島を横ぎる「中央構造体」に起因するもののようである。
直接的には有馬高槻断層帯が原因で発生したものらしいが、この断層が原因の地震は400年前、1596年の慶長伏見地震以来ということだ。
慶長伏見地震では伏見城が全壊するほど激しい揺れが生じたらしいが、この当時は大小の地震が頻発していたそうで、今回の地震も近年稀な大阪地域における大きな地震だったということだが、今後の余震発生が心配される。
現在警察などが被害状況を調査していると思われるが家屋の中で家具倒壊などでけがをしている人がまだたくさんいるのかもしれない。
今回の地震では高槻市で火災が発生している映像が流れているが大規模な火災は今の所は発生していないようである。

また鉄道の停止は続いているようだが道路の通行止めは徐々に復旧しているようでもある。
今後の報道に注視していきたいと思う。
posted by ヤス at 13:29| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月17日

正しい炎上商法

昨日はAKBの「世界選抜総選挙」が名古屋であったらしい。
「総選挙」は今年が10回目で、今回からイベント名の頭に「世界」がついた。
それでわたしとしては、以前からそれなりにAKB関連の動向はチェックしてきたわけであるが、しかし気がつくと最近あんまりその手の情報収拾ができていないのだった。
だから今回の選挙で誰が1位になるのか手に汗握りながらネットで速報をチェックする、ということもなく、しかしそれでも少し気になったのでTwitterで夜中の9時過ぎに一通り順位を確認しておいた。

1位は名古屋の松井さんだったらしい。
それで37位の新潟の中井さんが、徳光さんとのやりとりの中で文春砲に直撃された件を吐露して、それでまた軽く炎上したらしい。
昨年の須藤りりぽん結婚宣言ほど爆発的に燃えたわけでもなかったが、しかし炎はそれなりの勢いをもって中井さんの情報が世の中に拡散し、彼女の認知度も相応に上がったものと思われる。

こういうのを炎上商法というのだろうか。
それで少なくないファンの人々からネットを通じて「カネ返せ」的な批判の嵐が寄せられたわけであるが、しかし真のファンならばそこは「どこまでも信じているよ」とかなんとか言うのが正しい対応なのではないか。
などと少し思ったりもしたが、まあファンとしてのコミットの仕方は人それぞれなのでそこはまあよい。

それで炎上商法について少し考えた。
このように2年連続で炎上ネタが登場すると、今後この手法がある種のお約束として定着してしまうのではないか。
つまり来年はその手で行こうと思いつく人が出て来て、選挙シーズンに合わせてわざと「当たり」に行く人が出てしまうのではないか。
そういうことが当然懸念される。

ただ炎上商法は一種の自爆テロであって、多くの場合これを実行すると自分も爆死することになる。
今回の新潟の中井さんがこの先爆死するかどうかはまだ予断を許さない状況であるが、しかし昨年のりりぽんは爆煙の中からひょっこり生還して、その後もオモテ舞台で活躍しておりその生命力の強さを見せている。

最大公約数的な人気の取り方が必要なTVタレントにとって、炎上商法は致命的ネガ要素の要因となりかねず危険が大きい。
だからネット的世界で炎上して軽く成功を収めることはできても、テレビの世界ではむずかしいと思う。
そしてそこを乗り越えるためには「当たり屋」的炎上手法ではダメなのだと思う。

あくまでもナチュラルに、「素の自分」を通してその結果として炎上してしまった、というのでないと、生きて帰ることはむずかしいのではないか、などとマジどうでもいいことを考えたりした。
posted by ヤス at 14:15| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月16日

インフレと賃金増

最近、ECB(ヨーロッパ中央銀行)が年内の資産買い入れ停止を決定、アメリカのFRBも本格的な利上げ方針に舵を切るなど、欧米での金融緩和からの脱却姿勢が鮮明になっている。
一方の日本は、日銀が先日の政策決定会合で緩和維持の姿勢を決定していて欧米とずいぶん対照的な感じになっている。
おそらく近未来の日本経済にとって、現在の金融緩和状態からどう「脱出」するかというのが大きい課題である。

日銀が2%のインフレ目標を掲げたのは2013年1月22日だったらしい。
それから日本のインフレ率は平均して年1%水準を超えることもなく、結果この目標は今では「達成期限なし」ということになってしまった。

日銀の「インフレ化」政策は、銀行が購入した国債を毎年80兆円買って、その大量の代金が日銀当座預金に入る、それが出回って世の中の現金の総量が増えインフレになる、ということだった。
しかし世の中の資金需要、つまり新しい工場を建てて製品を作ろうとか、新規事業に投資をしようとかいう需要が思いがけず盛り上がらなかったので、大量の日銀当座預金が積み上がるばかりで一向にインフレにはつながらない、ということになっている。

それでちょっと仮に想像してみると、例えば来年あたりに日本で突然新しい産業が沸き起こって資金需要が急激に増えたらどうなるのだろう。
現実にはそういう可能性はまったく無いわけだが、もしそうなったらどうか。
例えばロボット・AIのベンチャーが沸き起こって、あれよあれよという間に成長して100兆円くらいの巨大産業が突然出現した場合。

この新産業には巨額の「成長資金」が必要になるが心配はいらない。
各銀行は日銀に大量の「貯金」があるので、それを引き出してベンチャーに貸すことができる。
そうなると市中に出回る現金が急に増えて、めでたくインフレになる。
この想像はロボット・AI産業が発達するというのがミソで、このために成長とともに深刻化するはずの人手不足が解決できるのである。

ただ世の中がインフレになっただけだと何の意味もなくて、インフレ率以上に労働者の収入が増えないと人々の生活がどんどん苦しくなる。
インフレになるということは円安になるということでもあり、そうなるとガソリンとか食料品とかもインフレ進行に伴って上がる。

わたしの眼には、今の日本の経済政策はほぼ企業サイドの立場で行われており、労働者セクターから企業セクターへの利益移転がその本質だろうと映る。
だからロボット・AIでなくても何か新しい産業が起こって経済成長が実現し、その結果マイルドインフレ状態が生起したところで、その結果わたし自身も含む大多数の人々の生活が豊かになるのかというとかなり疑問なのである。
つまり企業サイドがインフレ政策に期待するのは、インレフ進行による「人件費率の自然減」だろうと思うので、人々がそろそろそのことに気がついて小さい暴動のひとつやふたつ起きても不思議ではないのになあ、と思ったりするのだが、この想像は間違っているのだろうか。
posted by ヤス at 14:17| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月15日

普通名詞とは発見である

名詞には普通名詞と固有名詞がある。
そのように昔学校で習ったと思う。
ややうろ覚えだが、「漏れ無く重複無く」分類した場合、普通と固有以外には分けられそうにもない感じがするので、たぶんそれで合っているはずだ。
普通名詞とは、世界のある事物現象の中で似たものを集めて、その集合体に対して付けられた名詞であろう。
「犬」といえば、セントバーナードもチワワも、4軒向こうの家で飼われている薄茶色の雑種犬も、全部ひっくるめて犬である。
それに対して、「ヒロシ君ちのお父さん」ということになると、その人物はおそらく地球上のたった一人のことを指す。
「ヒロシ君ちのお父さん」は、普通名詞やら固有名詞やら助詞やらがくっついて出来上がっているが、しかしその出来上がった言葉は紛れもなく固有名詞的存在であることはいうまでもない。

普通このように、「普通名詞」と「固有名詞」について文章を書き始めた場合、その文章のオチの持って行き方として、「固有名詞」というのはオンリーワンな感じがする、だから「固有名詞」は「普通名詞」より偉い、という風にしたくなるような気がする。

しかしここで書きたいのは「普通名詞」の偉大さについてである。
今新しい「普通名詞」が出来上がるということの意味を考えてみると、そこにはある種の発見があったのだ、と考えていいと思うのである。
前述の「犬」という普通名詞は、いつ頃出来たものかは知らない。
おそらく、人類が狼を家畜に飼い慣らして狩猟のお供に連れたりするようになった時分に、「犬」という普通名詞は出来上がったのに違いない。
それは犬と野生の狼を分けるために出来た言葉かもしれず、あるいは家畜として役に立つ犬の機能を定義する意味合いがあったりしたのかもしれない。
いずれにせよ今となっては「犬」といったら、でっかいのもちっちゃいのも、働く犬も、メシと散歩と昼寝のサイクルをひたすら繰り返している犬も、同じ普通名詞の「犬」にくくられる。

あるいは人類の創作物である料理の名前にも、いろいろと普通名詞がつけられている。
たとえば「ラーメン」というのがあって、ただラーメンには味噌や豚骨や具材の種類とかつけ麺とか、無限のバリエーションがある。
ただ、今まで見たことのない新しいラーメンを見たときにも、我々はほとんどの場合、「ああこれはラーメンだな」とつい思ってしまう。

ラーメンを見たとき、我々はそこに何か「ラーメン性」とでも呼べるオーラのようなものを感じてそれがラーメンであると認識する。
その「ラーメン性」は、料理としてのラーメンが発見され、人々の間でその「ラーメン性」が形作られ共有されていく中で出来上がったのである。
その結果人々が「ラーメン性」を感じる料理は、「ラーメン」という普通名詞で呼ばれるようになった。
「ラーメン」という普通名詞の誕生である。

今までにない「普通名詞」を何かつくることが出来たら、それはものすごく面白そうだ、と思った。
posted by ヤス at 09:52| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月14日

オジサン的

一般に、オジサン的であることは世の人々から嫌われることが多いのではないかと思う。
これは決しておじさん一般が嫌われるということではなく、あくまでも「オジサン的要素」が嫌われるということである。
まあオジサンではなかったとしても、オバサンでもオジイサンでもオバアサンでもニイチャンでもネエチャンでも、嫌われる人は嫌われるものではあろうが。

しかし中でも特にオジサン的要素はいろいろとあぶない要素をはらんでいるのではないかと想像される。
今わたしの脳裏にぱっと思い浮かぶオジサン的要素は、自慢と言い訳であったりする。

オジサンに自慢が多かったりするのは、これはひとつには必要に迫られて、という面があることは否めない。
今ではかなり時代が変わったのかもしれないが、基本この世はオトコ社会である。
あるいはオジサン社会であるといってもよい。
男性主体の社会構造に年功序列システムがあわさって、オジサン社会はできあがる。
だからたまに仕事の会議に行っても、座っているのはほぼ99%オジサンばかりである。

それで世の中の偉い人のかなりの部分をオジサンが占めることになるわけだが、その人のポジションとその人の中身に大きく乖離があったりすると、少し具合が悪い。
それで少なくないオジサンが必要以上にマウンティング的行動に走って、必要以上におのれの権威づけのための自慢行動に走りがちだ。
あるいは、おのれの実力不足を塗糊するために言い訳がましくなったりする。

この間ハリウッドの戦争映画を観ていて思ったのであるが、映画の中でそのオジサン的要素が散見されてちょっと面白かった。
軍隊というのは、現場指揮官でも中尉や少尉の将校は「学校出」のエリートで、この人たちがたたき上げの軍曹や伍長や兵卒たちを統率する。
そうすると多くの場合現場指揮官の将校の方が若かったり現場経験が少なかったりする。
そうするとその将校は、出来の悪い将校であればあるほど言い訳がましく、自慢げになる。
軍隊における小隊長や分隊長はまだオジサンというには早い20代の若者だろうが、しかし映画の中では見事にオジサン的に見えた。

それで思ったのであるが、オジサン的であるには必ずしも現実におじさんである必要はない。
おじさんだからオジサン的になるのではなく、オジサン的であるからオジサンになるのである。
あとわたし自身が、ややオジサン的である場合が万が一にもあるかもしれないが、それはわたしがおじさんなのでしょうがないということにしておく。
いやしかし、できることならオジサン的でない何かで居続けたいものである。
posted by ヤス at 14:27| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月13日

鍵は中国が握る

さて、昨日歴史的な米朝首脳会談が行われ、合意文書に署名がされた。
また会談は予定通り1日限りで終わった。
合意の内容は主に以下の四つ。

1 米朝が互いの平和と繁栄に向けた新しい関係構築に取り組む
2 半島の平和維持に向けた努力
3 北朝鮮は「朝鮮半島の完全非核化」に向けて努力
4 戦争捕虜や行方不明者の帰還に取り組む

残念ながら4は朝鮮戦争のことで「拉致事件」の話ではない。

それで会談直後の報道では、完全非核化には「検証可能」や「不可逆」を担保する詳細が入っておらず、その部分が骨抜きにされているのではという論調もある。
また朝鮮戦争終結に向けた内容は含まれなかった。
さらに拉致問題に関する項目も合意文書には入らなかった。
さらにさらに、会談後の会見でトランプは北への制裁は当面継続すると断言した。

結局のところこの会談合意だけでは具体的な話は前に進まないのだと思う。

ポイントはこの後の中国の意向だ。

金正恩はすぐに中国と今後の動きについて相談するものと思われる。
北の経済制裁は、対北貿易の大半を握る中国のさじ加減ひとつである。
そういう意味で中国の対北朝鮮政策(経済制裁のさじ加減)は、大きな対米外交カードになっている。

だから北が核兵器を完全廃棄するかどうか、そこのところは中国次第という側面が大きい。
おそらく金正恩としては、次のステップとしてはケ小平式の改革開放路線で経済を成長に導き、国内政治を安定軌道に乗せたいのだろうと想像する。
北朝鮮は、そのためには中国が行なっている制裁を解除してもらわないといけない。
中国は北の制裁解除を外交カードにしてアメリカと交渉し、トランプが火をつけた貿易問題の火消しにつかうのだろうか。

いずれにせよ今回の米朝合意は、上記のような米朝中の外交的連鎖が全部うまくいって初めて現実のものになる。
ただ非核化が不可逆的でも検証可能でもないとはいえ、方向として世界各国にとって悪い話ではない。
だから事態はそっちの方(非核化・制裁解除・北の改革開放)になんとなくでも進むのだろう。

ただそうなるとひとつだけ取り残される国があって、それはいうまでもなく日本である。
日本には拉致問題があって、米朝が勢いで作った合意の流れにひと思いに乗ることが難しい。

ただし日本にとって今の流れは、もちろん悪い話ではない。
とりあえず列島越しにミサイルが飛んでくることは今後はない。
ただ北のミサイル飛来は、現政権にとっては危機感醸成による支持率引き上げの材料にもなっていたので、そこは複雑なところかもしれない。

いずれにせよ、日本が拉致問題を解決するには北との直接対話ももちろん必要だが、それ以上に中国への働きかけが重要になる気がする。

そういうことで今回の米朝合意が実のあるものになるか、一時の話題づくりに終わるか、その鍵は中国が握っていると想像するのである。
posted by ヤス at 09:34| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年06月12日

米朝会談まもなくスタート

間も無く、シンガポールのカペラホテルで米朝首脳会談が始まる。
二転三転の後開催にこぎつけたこの会談の結果は非常に気になる。

今回の会談が実現した直接的要因は、直接的には対北朝鮮の経済制裁の「効果」があがって、金正恩がもうこれ以上もたないと思ったからだろう。
経済制裁が効き始めたのは、昨年来トランプが習近平をせっついてやっと中国が制裁に向けて重い腰を上げたからだと思われる。
そういうことではトランプの外交手腕が賞賛されるべきなのかもしれない。
また中国の立場で考えてみると、実質的最大の輸出相手国アメリカとの関係は付かず離れずである程度良好に保っておきたい。
中国としては北朝鮮がこれ以上暴走して半島情勢をきっかけに対米関係が壊れるといいことがないので、アメリカに貸しをひとつ作る意味でも北制裁に舵をきったのかもしれない。

それで北朝鮮の貿易の9割を占める中国が制裁に本気になって、その結果北の経済ダメージがいよいよ大きくなったらしい。
特に、北の経済を影で支えていた闇市に流れていた物資も止まって、いよいよこれは大変だということになった。
経済が困窮するとやぶれかぶれになった人民が暴動反乱を起こして体制維持が難しくなる。

それで金正恩としては直接的には制裁解除を求めて、最終的には当面の体制維持を目的に対米会談を実施することにした。
アメリカとしてはもともと、金正恩を交渉テーブルに引っ張り出すのが目的なので当然会談に応じる。
またこの会談実施は11月の中間選挙に向けた大きな材料になる。

こうして客観的に眺めてみると、窮乏して会談を切望しているのは北の方だろう。
トランプ的には、もちろん核放棄などの手柄が上がれば申し分ないが、交渉決裂してもそれほどのダメージはない。
しかし北としてはとにかく経済制裁を解除しないと未来がない。

会談直前の動きとして、トランプがこの交渉はこの一回限りでなく今後数回にわたって継続になるかもしれないと言っていたようだが、たぶん金正恩は今日の会談でそれなりの譲歩を示すのではないか。
昨日のニュースで金正恩は12日一日限りで延長はないと宣言したらしい。
トランプは日をまたぐことにやぶさかでなかったようなので、これは意外な宣言だと感じるわけであるが、たぶん金正恩はそれなりの「お土産」を持って会談に望んでいる。

場合によってはCVIDに応じる、ということかもしれない。(後日その約束を守るかどうかは別)
また朝鮮戦争の終戦協定締結ということになると歴史的一大事になる。

それで金正恩としては会談場所のシンガポールや「保護者」の中国のように独裁体制を保ちつつ経済成長したいと考えているのではないか。
今や経済を成長させて安定軌道に乗せることがキム王朝存続の最大の肝と言える。

後、終戦協定が成立すると在韓米軍の撤退問題が持ち上がるだろう。
そうなると在日米軍の撤退も俎上に上る可能性が高い。
そうするとまた日本国内が蜂の巣を突いた騒ぎになるのかもしれない。
いずれにせよ会談の結果が出るのが待たれる。
posted by ヤス at 09:35| Comment(4) | 徒然なるままに

2018年06月11日

頑張り過ぎないこと

さて、世の中では働き方改革がいろいろと物議をかもしている。
国会を通った働き方改革法案の是非はともかくとして、うつになったり自殺したりするまで働くような労働者が出現することはなんとか改善しないといけない。
本来は、働いて給料を稼いでそれで美味いものを食ったり海外旅行したりして楽しく豊かに楽しむのが幸せな人間のあり方のはずなのに、そうではなくて労働者にとってかなりストレスフルな会社というのがやっぱりまだ存在する。

というか、会社で働くというのには多かれ少なかれストレスがあるものだ。
それはある程度は資本主義社会の、自由競争社会の宿命である。
隣にモーレツにがんばっている会社がいた場合、のんびりしている会社は倒産しかねない。
倒産しないためには隣の会社以上にモーレツに働かないといけない。
そういう無限ループ的、ドツボ的な企業社会の構造が、ある意味日本社会の問題点なのであろう。

オリンピックでは、たまに同タイム同着順で、同一種目金メダル二人とかいう珍事が起きることもあるが、ほとんどの場合勝者は一人である。
企業社会も同じことで、ある「経済空間」の中では勝者は一人、というか一社しか存在しない。
それ以外は基本的に敗者なのであり、ただ敗者であっても安月給に甘んじるとかいう屈辱的条件を飲みさえすればなんとか生きていける。
そしていつか取って代わって金メダルが取れる日を目指してがんばる。

しかしあんまりそんなにモーレツに頑張りたくない会社はどうすればいいのか。
その場合は「経済空間」の新しいのを自分なりにこしらえて、そっちに引越しをするしかない。
八百屋がダメなら魚屋に、魚屋で負けたら肉屋になればいい。
肉屋でもダメならコロッケ屋にでもなったらどうだろうか。

ただことはそんなに簡単ではなくて、新しい空間に移ろうといってもそこには見えざる心理的ハードルがあったりする。
人間には、百円を得る喜びよりも十円失くす喪失感の方がよほど大きいという特質がある。
一度手に入れたものを失うことの心理的ストレスはよほど大きいのである。
経済競争で負けたからといって、一度手に入れた自分の生存空間を自ら手放すのはなかなか思い切りがいる。

ましてや引っ越す先の新天地にはどんな猛獣が待ち受けているか分かったものではない。
しかしたいていの新天地は、荒れ野だったり砂漠だったりして猛獣すらいない不毛の地であることが多いのだ。
というか、我々の祖先のホモ・サピエンスが生まれたての頃は、そうやってジャングルから追い立てられて、荒れ野での生き方を覚えてどうにかこうにか今の人類になったのである。

そう考えると、今の日本の多くの会社は、ひとつところで頑張り過ぎのような気がする。
いや、あんまり頑張り過ぎないで、たまにはホイホイ逃げ出すのがいいと思う。
posted by ヤス at 14:19| Comment(4) | 徒然なるままに

2018年06月10日

創造性とは

よく家電製品の注意書きに「こんな使い方は絶対にしないでください」みたいなのがある。
たとえば暖房器具のコタツに、上下ひっくり返した上から布団を掛けたり横倒しにして使う絵が描いてあって、その絵の上に大きくバツ印がしてあったりする。
はたしてそんな使い方をする奴がいるんかいな、とか思うわけであるが、まあ中には変わった使い方をする人もいるのかもしれない。
本来の使用法からは隔絶した使い方をされて事故が起きたりしても、そこまではメーカーとしても面倒は見きれないであろうから、ああいう注意書きを書く理由もまあなんとなく分かる。

しかし世の中には、メーカーが想定していなかった使用方法をあえてユーザーに考えてもらうというような、従来にはあまりなかった製品もあったりする。
それでぱっと思いつくのは360度パノラマカメラのリコーのシータである。
ユーザーが考えたこのカメラの「新しい撮影方法」の中には、空中高く放り投げて、その飛行中の動画を撮るというのがあったと思う。
当然ながら放り投げた後、落ちて来たカメラをキャッチし損ねるリスクが想定される。

しかしこの撮影方法はよほど面白い絵が撮れたのだろう、後に空中放り投げ専用のボール型360度カメラをドイツのメーカーが開発したとかいうニュースが流れているのを見かけた気がする。

このように当初の想定を大幅に超える使用方法がある製品というのは、なんだか非常にクリエイティブな感じがする。
というか、創造主の意図を超えてさまざまな使われた方をするというのは、創造性そのものだと思われる。

それに比べるとコタツの注意書きは創造性に乏しい感じがする。
むろん電熱を使った暖房器具の場合、火災事故の可能性もあるのであんまり創造的な使い方をされるのは困る。
逆に考えると、多少乱暴に使っても危険がないような製品は、創造的使用に関し可能性が高いと言えるのかもしれない。

芸術作品なんかでも、絵画でも音楽でも映画や小説でも、創造主がある思いを込めて作った作品が、受け止め手のところに到達した時点でそれぞれの多様な受け止め方をされるということがある。
そういう懐の深さ、解釈の幅の広さこそが芸術の本質であろう。
受け止め手ごとにいろんな「響き方」をする作品こそが、きっと良い芸術作品なのである。

そうやって考えると、「作者の意図は正確にお客さんに伝わったか」というような作品の評価方法は少し違うような気がしてくる。
作品とそれを鑑賞する受け取り手の関係性の中で、受け取り手が10人いれば10通りの思いが創造されること、そういう部分にこそその作品の創造性や芸術的価値はあるのだ、というようなことをちょっと思った。
posted by ヤス at 11:37| Comment(2) | 徒然なるままに