2017年07月21日

値下げ戦略について

商売をやっていると、「値下げの誘惑」にかられることがしばしばある。
値段を安くするとお客さんが喜ぶ。
また、よく練られた値下げ戦略は時として売上を倍増させ利益を大幅に増やすことがある。

吉野家がそれまで一杯400円だった牛丼並盛りを280円に大幅値下げしたのは2001年のことだったらしい。
実に120円、30%の値下げである。
この時吉野家はまだ牛丼一本足打法の時代だったと思うけれど、この値下げによって売上が大幅に増えて利益も拡大したと記憶している。
しかしこの後2004年にBSE騒動があって主力の米国産牛肉の輸入がストップしてこの成功はほんの一時的なものに終わってしまう。

それどころか、定食メニューの拡大などでオペレーションコストが増えたこともあり従来は業界屈指の利益率を誇っていたのが恒常的な赤字状態に陥ってしまう。

似たような事例はマクドナルドでもあった。
マクドナルドも100円マックの導入など、大々的な値下げ戦略で一時的に業績を改善した時期があった。

しかしご案内の通りマクドナルドもやがて行き詰まるのである。

昨日のニュースで日銀の黒田総裁が、インフレ目標2%の達成年次を「2018年頃」から「2019年頃」に先延ばしした、というのが出ていた。
世の中デフレであるという。
最近のインフレ率は1%をやや下回る水準らしいが、1990年代の終わりころから2000年代初めはゼロないしマイナスの状況が続いていた。

特に家電などの製品価格において、価格下落が激しかった。
これは中国やアジア圏の工業化がどんどん進んで安い労働力で高品質のものを作るようになったからである。
だからまあ理屈としてはそれら輸入製品が安くなるのは道理である。

一方で食品価格というのは、1990年代初頭の農産物輸入自由化とかがあって徐々に下がっていたわけだが、最近では投機市場の影響などで上昇する年も珍しくない。
だから今の時代、外食産業で一本調子の値下げ戦略を行うとどのみち行き詰まるのは当たり前だろう。

業界にはサイゼリヤや餃子の王将など、「お値打ち価格」のイメージで商売をやっているところもあるが、そういう企業は仕入れや現場コストも含めて利益の出る原価率設定を行い、価格をほとんど動かしていないように見える。

そして前述の吉野家もマクドナルドも、最近は高単価商品を矢継ぎ早に投入して客単価アップの方向に舵を切り、それなりにうまく行っているようだ。

おそらく今の商売で重要なのは、単純な安さよりもそこそこ高い客単価でいかにお値打ち感を出していくかというところ、それがお客さんも惹きつけ利益も確保する上でポイントではないかと思う。

そういう意味では商品別の原価率をよく吟味して、お値打ち感が出ているかどうか考えることが大切だと思う。
posted by ヤス at 10:53| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月20日

戦争と経営と、個人の才能

人類の歴史は戦争とともにあった、とは巷間よく言われることである。
そして戦争の物語では、天才的戦略家やカリスマ将軍が登場して大活躍するのがおきまりのパターンである。
2千年以上昔に世界帝国を創り上げたアレキサンダー大王やローマ時代のハンニバルやカエサル、諸葛亮孔明や源義経、やや時代が下るとナポレオンや砂漠の狐エルヴィン・ロンメルなど、立場や率いた軍隊の規模はまちまちだが、戦争の歴史には色々と魅力的な人物が登場する。

科学技術の進化はいつの時代も戦争が大きな原動力だったわけであるが、今の時代、技術の進化で戦争の様相は昔とはかなり変わっている。

技術進化が戦争にもたらした最大の変化は、個人的才能が活躍する余地がどんどんなくなっていることではないかと思うのである。
現代の戦争では、敵情偵察は監視衛星や偵察用ドローンで行う。
そうなると経験に裏付けられた個人の感やひらめきは、相対的に地位が低下するのではないか。

必要な情報はモニター画面にクリアに映し出されており、その情報を元に、訓練された士官であれば適切な命令が下せるに違いない。

カラシニコフとRPGを手にゲリラ戦を行なっているような非正規軍であればまだ個人的戦略の才能に活躍の場はあるかもしれないが、少なくとも先進国軍隊の戦闘指揮は個人的才能を必要としなくなったのではないか。


同じようなことが企業活動にもひょっとしたらあるのではないか、とふと思ったのだがどうだろう。

しかし企業における経営の才能というのは、今でもかなり重要であるように見える。
というか近年ますます、経営者の優劣による差が目立ち始めているようにも見える。

世界的に潜在成長率が低下し、20世紀の古き良き時代に比べると企業を急成長させることがおしなべて難しくなっている。
にも関わらず、いくつかの企業は優秀なリーダーに率いられて成長を遂げている。

企業経営の場合、企業の成長と経営者の資質は100%リンクしているように見える。
テクノロジーが進化して経営技術も日進月歩しているが、この分野では個人の才能は依然として必要不可欠である。

戦争と違って経営が相変わらず個人的才能に駆動されているというのは、経営の方が戦争よりかなり複雑で関与する変数が多いということなんだと思う。
将棋の棋譜の可能性は10の220乗のパターンがあるらしいが、経営の場合はさらにそれを上回る複雑系の世界になっているのではないか。

したがって、全く同じシチュエーションというのは二度とは現れず、同じような状況で正反対の結果が出たりする。

そういう複雑系の世界では、リーダーの資質というのが組織の行方をかなり左右する、ということなのだろう。
posted by ヤス at 10:27| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月19日

1日8時間労働など

日本の今の法律では、サラリーマンは原則として一日8時間、週40時間が労働時間の上限ということになっている。
そしてこれを超えて働く場合は残業手当が支給される。
さらに、昨今の働き方改革の議論を通じて残業時間の上限を100時間にしようとかいうニュースが伝わってくる。
この一日8時間、週40時間労働というのはアメリカあたりでも同様の規制があるらしい。

そもそも「8時間労働」は産業革命後の欧米の各種の労働運動の結果、20世紀に入ってから始まったもののようである。
1919年に国際労働機関の第一回総会で1日8時間週48時間を国際的労働基準として確立した、とウィキペディアに書いてあった。

続いて1980年代に日本でも週休二日制が定着して週労働時間が40時間になり現在に至っているわけであるが、しかし一日8時間労働制というのは始まってそろそろ100年経過する制度なわけである。


一日や一週間の労働時間の上限を定める必要というのは、これは世の中にサラリーマンという就業形態が増えたことが根本的な理由なのだろうと思う。
産業革命以前の社会では、人口の大多数が農業従事者であったはずであり、しかも彼らは小作農とは言えいちおう自営業者だったわけで、建前上は労働時間決定の裁量権を自分で持っていた。
一方、街の商工事業者で丁稚奉公する使用人とか、大工や鍛冶屋の弟子とかのサラリーマン的な種類の人々も居たには居ただろうがごく少数であったと思われる。

それがイギリスで勃興した産業革命により、「工場」というものが出来て膨大な労働力を必要とする時代が来た。
そこで田舎の農家から、家で遊んでいる次男三男坊を工場に送り込んで現金収入を得る、という新たな経済構造が出来上がったであろうことは想像に難くない。
しかし工場では一日16時間労働は当たり前、寝る時間以外はすべて労働に充てて効率を最大化しようとしていて、労働者は過労死ラインを超える劣悪な環境を強いられていた。

そこから労働運動というものが発生してマルクス主義なるものも出現し、やがて8時間労働制が出来上がるわけである。(たぶん)

最近100年間の経済構造の流れというのは、ある意味、世の労働者のあらかたがサラリーマンになるという時代変化であったと捉えることが出来る。
そしてこれは「豊かな中産階級」という現代社会を支える経済構造の完成に向けた動きでもあった。

おそらく次の時代はこのサラリーマン構造の変化なんじゃないかという気がする。
ロボットや人工知能の進化は、この変化にとどめを刺す一撃になるのではないか。

そうなると残業時間の上限が100時間とかいう議論も、早晩あまり意味はなくなるよなあ、などと思った。
posted by ヤス at 10:56| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月18日

直感に頼る

先入観というのは、一般的にはマイナスの意味で捉えられることが多いと思う。
昔の人はこの地球は平らな円盤で端に行ったらそこは滝になっていると思っていた。
各種の観測から古代ギリシャ時代に地球は丸いのではないかという人もいるにはいたが、丸いとやっぱり端っこの方から滑り落ちそうで、だから地球は平らに違いないと思ったのも無理はない。

しかし先入観というものはなぜあるのか。
これは、生存確率を高めるための高等哺乳類の学習機能の一つだと思う。
(いつも同じようなことを書いている気がする)

つまり、先入観がない人間よりは先入観のある方が生き残る確率が高いということがあって、人類は先入観機能を保持するに至ったのものと思う。

そういう動物としての生存確率という意味では、先入観は間違いなく良い機能であったのだ。
しかし生き物のその手の機能は、確率的に見ればちょっとだけ正しいというものであって、少なくとも的中率が5割を下回らない、その程度のものである。

しかし人間の場合、他の哺乳類からは数段進化した大脳を持ち複雑な推論も可能であり、かなり先の未来まで正確に見通せるようになっている。
だから論理的推測による意思決定と先入観による意思決定の内容がまるで違う、ということはしばしば起こりうる。

多分そんな時は論理的推測の方が正しいことが多いような気がする。
それどころか、手練れのプランナーによって入念かつ慎重に練られた合理的計画が、素人の先入観によって阻害されて台無しになることだってあるだろう。

人類の論理的緻密さに対し、先入観による生存戦略はそろそろ間尺が合わなくなっているのであろうか。

先入観というのは、やや角度を変えて見ると「直感」と言い換えることもできるだろう。
前言を翻すようだが、ある種のプロフェッショナルの直感は、素人の論理的推論を軽々と凌駕することがありうる。
分かりやすい例としては将棋がある。

将棋というのは駒の動かし方くらいはわたしでも分かる。
そしてここをこう歩で突いたら次にそこの銀が出てきてそしたらこっちの飛車が取られるとか、素人でも目先の1〜2手くらいならなんとか先読みができる。
しかし4手先、5手先と先に進むにつれ、駒の動かし方のパターンが幾何級数的に増えてとてもそれ以上は読み切れない。

だから適当に直感で指して負ける。

しかしプロ棋士の第一人者羽生善治氏によると、プロだって指す時は直感で手を選ぶのだ、と言っていた。

おそらくプロ棋士の場合、その直感の背後にはそれまでの実戦や棋譜研究の膨大な積み重ねがある。
つまり膨大な積み重ねに裏打ちされた直感や先入観は、生半可な論理的推論を凌駕する。

この世界は複雑系であり、どんなに正確に論理を重ねても正解にたどり着くとは限らない。
したがって当分の間人類は、ややあやふやだが己の直感に頼るしかないのだろう、というのが今日の結論。
posted by ヤス at 12:26| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月17日

人工知能は人間の仕事を奪うのか

近い将来人工知能が発達して、今人間がやっている仕事があらかた奪われる、という議論を聞くようになってすでに久しい。
この議論では、人工知能に職を奪われた多くの失業者が発生するというマイナスの捉え方が一般的なのかもしれない。
しかし他方では、いよいよ人間があくせく働かなくても豊かな文明生活を享受できる世界が来る、とプラスに捉える向きも少数派ながらあると思う。

どっちが正解かというのは現段階では分からないのだが、しかし人工知能が職業的に人間を代替していくことは、まず確実に進んでいくと思わざるを得ない。

根拠としては、肉体労働の機械化・動力化の歴史がある。
4500年前にエジプトでピラミッドが造られていた当時は重機もトラックもなかったから1個2.5tの石材をすべて人力で運ぶしか無かった。
現代なら2.5tの石材は10t積みトラックなら4個積める計算だし、現場で石を積み上げるのもクレーンを使えばほとんど人力をかける必要がない。

もう少し新しい時代で言えば、自動車をはじめとする機械類の組み立ては1970年代以降急速に産業用ロボットが導入されてそこでも省力化が進んだ。

仕事の現場でこのような機械化が進行するいちばんの動機はコスト効率であろう。
人間に給料を払って作業をやらせるよりも、機械を買って代替した方が経済的である場合、もれなく機械化が進むのが資本主義社会の常道である。

同様に、人間のホワイトカラーにやらせるよりも人工知能にやらせた方が経済的であるということになれば、容赦なく職場における人工知能化は進行していくものと考えられる。

過去、肉体労働の機械化が進行した時代には余剰になった労働力は別の産業に徐々に移動していった。
したがって製造業の就業者数が減ってサービス業にシフトする、という現象が進行したはずである。

と思ってネットで調べてみると、日本における第2次産業の割合は、ピークの昭和50年頃が34%、今が26%で思ったほど減っていない。
減っているのは第一次産業でこちらは昭和30年頃は4割超だったのが今は5%足らず。
第2次産業と言っても、その中身が現場労働者からホワイトカラー主体の構造に変化しているのかもしれないが。


とりあえず昔は職業としては少数派だった第三次産業であるサービス業が近年は日本における職業の過半を占めている。

それともうひとつデータとしてあるのが、最近の物価動向は分野別にかなりばらつきがあって製品分野では激しく物価が下落する一方で、サービス分野ではむしろ物価は上昇しているということだ。
製品価格下落の原因は製造業における機械化や技術進化、海外生産の進展などと考えられる。
最近のパソコン価格の下落と性能向上がその象徴である。

となると将来人工知能が人間の仕事を代替し始めると当然この分野のコストダウンが進み、サービス業でも物価下落が発生することが考えられる。
例えて言えば弁護士や会計士や経営コンサルタントの仕事を人工知能が代替し、今まで弁護士さんに100万円で頼んでいた仕事が千円くらいで出来るようになるということだ。

そういう時代がもし現実化した場合、人間の行う何か新しい職業分野が出てくるのか、あるいは貨幣経済の構造や意味合いが変わってしまうのか、その辺はわたしの脳みそでは想像が難しいので、出来れば頭のいい人工知能に考えて欲しい、と思ったりした。
posted by ヤス at 14:53| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月16日

政党政治の是非

今、わたしの目には日本の政治は著しく混乱しているように見える。
混乱の原因は色々考えられるが、一つ考えられるのは今までの日本を支えて来た様々なシステムがそろそろ寿命を迎えつつある、ということだろう。
それは年金システムがこのままでは破綻必至とかいうこともあるし、20世紀までのように為替を円安に誘導しておきさえすれば日本人がみんなハッピーになる、とかいうのもある。

それらの日本オリジナルの問題以外に、世界的に普遍性を得ているシステムもいくつか寿命を迎えつつあるものがあると思う。
その一つに政党政治が挙げられる。

政党政治というのはよく考えてみると不思議なシステムである。
特に日本では異常に強い党議拘束の力とかがあって、これだと議員個人の中身はボンクラでも木偶の坊でも構わない、ということになりかねない。

本来の代議制民主主義は、議員個人こそがその主役であって政党はそれを補完するものであったはずだ。
政党というのは政策や政治思想を同じくする議員同士が結束して多数派を形成し、自分たちの主張を通りやすくするための政治的手段であったはずだ。

しかし今の政治ではまず政党を作ることが目的化している。
そして政策や思想は後からとってつける。

特に最近は政党交付金の制度が出来て、何はともあれ5人以上で政党を作ることが政治闘争の一里塚になっている。
そして政治家希望の立候補者も、どの政党に所属すべきかというのを自分の思想を軸に考えるのではなくて、どこから出るのが通りやすいかということでしか考えていないように見える。

今の政党で政党らしいと言えるのはおそらく共産党くらいだろう。
もう一党、この数年「明治的政治」の復興を目指す勢力が台頭しているけれど、これなんかは信念を持ってやっている人はごく少数で、やはり選挙で票になるからそっちになびいているのが大半であると見えるし、そうであってほしいとも思う。


現代人類であるホモ・サピエンスの歴史を約10万年とすると、それまでの遊動生活が定住生活が始まるのが1万年前。
そこから農耕社会が発展し、社会が複雑高度化して権力構造が多層化高層化して貧富の格差が始まって5千年くらいだろうか。
やがて国民国家の世界になって大規模戦争もいくつかあったのがこの100年。

国民国家も政党政治も人類史の中ではついこの間始まった若いシステムである。
それはあくまでも過渡的なシステムで、やがて個人本位の社会システムに取って代われられるような気がするし、そうなった方が個々の人類は幸せになれるのではないか、と思ったりするのである。
posted by ヤス at 11:29| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月15日

攻撃的姿勢

プロ野球の強いチームには、大抵勝ちパターンというのがある。
そしてそれは、ほとんどの場合先取点を取って先発・中継ぎピッチャーが試合を作って抑えピッチャーが抑えきって逃げ切る。
野球における勝ちパターンの基本は、ピッチャーを中心にする堅実な守りが中心に来る。
わたしは野球のことをそれほど詳しくは知らないのであんまり断言は出来ないのだが、ここでは一応そういうことにしておく。

野球における勝ちパターンがピッチャーを中心に守り勝つ形になる理由については、いくらか想像するところがある。

プロ野球におけるバッターは打率3割で一流とされる。
そしてプロ野球のチーム打率というのは、2割8分もあればかなり良い方である。
逆に言うとピッチャーの側はおおむね7割以上の確率でバッターを抑えていることになる。

少し調べてみると一流ピッチャーの被打率は2割そこそこで、2017年のセリーグでは巨人の菅野が被打率.208であるらしい。
少し力の落ちるピッチャーでも5割も打ち込まれることは稀だろう。

つまり打撃より守備の方が、明らかに確実性が高い。
だから先取点を取った試合は継投で確実に守り勝つという戦略が成立する。

少し話は跳ぶ。

今の日本はやれ消費不況、やれ少子高齢化の人口減少とかいって商売をするのもなかなか大変である。
飲食店をするのでも小売業をするのでも、世の中には美味しいものがたくさんあって、欲しいものも一通りは手元にある。
そういう厳しい中では、自分の商売に勝ちパターンが出来ていると精神衛生上非常に良い。
野球の例えから推測するに、商売における勝ちパターンも守備を確実にして不用意の失点をしないことが重要になるのかもしれない。

商売における守備はコスト管理なのであろう。
売上に対する仕入を抑える、無駄な経費をチェックして無くしていくということが大事になると思われる。
特に市況が厳しく競争が激しい中では、昔より勝率が悪いのでますます守備の確実性は重要になる。

しかしただ守備を強化すること、仕入を抑えたり経費を削ったりっていうのだけしていればいいわけではもちろんない。

野球でも、勝つためには敵を0点に抑えるだけでなくこっちも最低1点以上取らないといけない。

商売でも、当たり前だが売上がゼロだといくらコストが少なくても利益は出ない。

売上のためには営業する、広告を打つ、店を綺麗にするなどそれなりのチャレンジが必要だ。
勝ちパターンに持っていくためには、その前提として少々確実性は落ちるけれど果敢な攻撃的姿勢というのはやっぱり欠かせない。
あたり前のことだがあらためてそのことを思い出したのでちょっと書き留めておく。
posted by ヤス at 16:21| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月14日

夏のマラソン

暑い日が続いている。
こう暑いとマラソンの練習にも差し支える。

2020年の東京オリンピックも7月に開幕しマラソンは女子が8月2日、男子が8月9日にあるらしい。

実施時間はまだ正式には決まっていないようだが、ある情報サイトには朝7時半スタートの線が濃厚と出ていた。
これまでも夏のオリンピックにおけるマラソンの時間は真昼を避けて早朝や夕方に実施されることが多かった。

野口みずきが金メダルを獲ったアテネは夕方スタートだった。
しかし東京の場合、暑さとともに問題になるのが湿度の高さであるそうだ。
アテネの夏の湿度は40%程度、非常にからりと乾いているが、東京の場合70から80%くらいになるらしい。
湿度が高いと汗をかいても蒸発量が少なくなって体熱が下がりにくくなる。
そうなると熱中症の心配も高まってランナーのパフォーマンスはかなり下がるだろう。

ただその分日本の蒸し暑さの中で育った日本選手には有利になる気もする。
ケニアやエチオピアの有力選手も大半が涼しい高地育ちなので暑さには弱い。

これまでも夏のオリンピックでは絶対的なスピードを持つ選手よりは暑さに強い粘り腰型の選手がたびたび勝っている。

男子の場合、2時間10分かかる展開になると日本選手にもいくらか勝機が出て来るんじゃなかろうか。

夏のマラソンの大変さを考えると、マラソンっていうのはやっぱり冬のスポーツなんだなあと思う。
私も過去に気温がマイナス2度くらいのコンディションで走ったことがあったが、その時でもけっこうしっかり汗をかくくらい暑くなった。

ということは、マラソン中の身体は余程の熱を発生しているに違いない。
計算してみると、体重60kgの人がkmあたり5分のペースで走った場合、電気ストーブ的に表現すると840Wの熱を出しているらしい。

なるほど暑いはずだ。

ましてやこの熱を出しながら真夏に走って平気なわけはない。
個人的にはシューズの中が時々たまらなく熱くなって、そういう時はマメが出来て皮が破けたりして痛いから困る。

だから比較的暖かい日のマラソンではシューズごと足先を水浸しにしてからスタートしたりする。
あと足の熱さ対策に地味に効いているのに靴下があると思う。
たまに素足にランニングシューズを履いて歩き回ったりすると、靴下を履かない時より蒸れて熱くなる。

靴下の布切れ一枚が間にあるだけで、通気や吸湿にけっこう効いているのだろう。
最近は体感温度を下げる高機能繊維とかも出ているので、今後はそういうのも試してみようかなと思ったりした。

いずれにせよ真夏の東京オリンピックを走る選手は大変だなあと思ったのでした。
posted by ヤス at 09:53| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年07月13日

最近の政局について

国会閉幕中というのに何やら政局がきな臭くなってきた。
各種メディアの調査で内閣の支持率が軒並み低下して30%強くらいになり、一方の不支持率が一部では50%を超える数字も出ているらしい。

当初のわたしの個人的予想では、あくまでも素人考えだが、森友・加計と続いた一連のスキャンダルも持ち前ののらりくらりでかわして一時的に支持率が下がるが、ほとぼりが冷めた頃に経済や外交がらみなどで盛り返してちょうどそのタイミングで総選挙を打つ、というものだった。

特に来年はロシアの大統領選挙もあり、北方領土がらみのウルトラCが出るかもしれない。
またトランプとの交渉で何かプレゼントを引き出すこともできるかもしれない。

しかし今回の様子を見ているとそう簡単に行きそうにない。

首相悲願の憲法改正では、おそらく来年12月の衆院任期ギリギリまで引っ張って衆参3分の2の勢力があるうちに改正発議を行う方針に腹を決めたようにも見える。
そうなると最重要課題は来年9月の総裁選になるだろう。

ここで自民党員が間近に迫る総選挙の看板として安倍さんが適当かどうかを判断することになる。
もし安倍さんでは戦えないとみんなが思えば安倍さんの3選目はなくなる。
だから総選挙と自民党総裁選の順番の前後がどっちに転んでも、安倍さんは支持率浮揚のための強力な一手を指す必要から逃れられない。

まず支持率回復の第一手として来月早々に内閣改造がある。
小泉進次郎の入閣が噂されている。
あるいは野田聖子の名前もニュースでちらりと出ていた。
しかし今回、政治的に首相から遠い人物はみんなポスト安倍のことを一生懸命考えているので、いずれも入閣しない公算が強いと思う。
今回の改造は「問題閣僚」の整理という守りの一手に終始するに違いない。

それともう一つ安倍さんにとって苦しいのは、ここへ来て金融緩和政策が完全な行き詰まりを見せ、加計問題で第三の矢の成長戦略にも味噌がついたり、経済政策で大きな巻き返しが難しそうなことだ。

そういえば数年前に「三本の矢」なる経済政策があり、その後「新三本の矢」に衣替えしてその後すっかり消息を聞かなくなった。
最近は「一億総活躍」というフレーズもだんだんフェードアウトしていっているように見える。

残るは外交における成果が頼みだ。
あるいは現在の北朝鮮情勢のきな臭さは、国内政局挽回を考える首相にとっては悪魔的な魅力があるかもしれない。
政治がそういう変な方向に向かないように注意が必要だと、少しだけ思った。
posted by ヤス at 10:51| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月12日

藤井四段31勝目と高校進学問題

昨日は将棋の加古川青流戦があって、藤井聡太四段が都成竜馬四段を下してベスト8に進出した。
都成四段とは3度目の対戦だったが今回も鮮やかな勝利であった。(ようである)

藤井四段は今回が14歳最後の対局だったらしい。
彼は名古屋大学附属中学というなにやら偏差値の高そうな学校の3年生である。
ネットニュースに藤井四段の高校進学問題が載っていた。
果たして彼は高校に行った方がいいのか。

これまでに誕生した中学生プロ棋士4人はいずれもタイトルを獲得して大活躍しており、藤井四段もこれまでの戦いぶりを見るにつけ、おそらくそれに続きそうな勢いである。
つまり高校に進学しようがしまいが、就職の心配はしなくても済みそうである。

一方でもし高校に進学すると、義務教育の中学と違って最低限必要な出席日数というのが出てきて、将棋の仕事に多少なりとも差し障りが生じることは間違いない。
ちなみに中学生棋士の先輩である谷川、羽生、渡辺は高校に行ったらしい。

ネットニュースでは藤井四段の母親が高校進学を熱望していると書いてあった。
本人の意向ははっきりとは書いてなかったが、本人が行かないと思っている可能性もあるのかもしれない。

こうなると学校に行く意味というのが問題になる。
高校っていうのは、一体何をしに行くところなのだろう。
高校に限らず学校では、英数国理社など基本科目と体育とか技術家庭科、美術などの授業がある。
あと、クラブ活動があって、その上に運動会とか学園祭とかのイベントもあったりする。
基本科目の授業を通じて将来の職業生活に必要な知識を習得し、課外活動などで集団生活とか人間関係とかを学ぶ、という感じになっている。

また直接的には、特に普通科高校は大学などに進学するための受験教育を行う場所という意味合いが強いと思う。
今の日本では高校生の半分が大学に行く。
大学を出ているのといないのでは就職後の生涯賃金もかなり違う。
藤井四段が通っている学校は中高一貫なのでエスカレーターで高校に行けるらしい。
しかし頭の良さそうな学校なので、周りはみんな大学を目指して勉強するのだろう。
その中に進学することは、「世の中もけっこう大変だなあ」というのを身を以て実感する社会勉強にはなるかもしれない。

ネットニュースには高校に行ったら友達ができるから行った方が良いと書いてあったけれど、将棋で成功すれば学校では出会わない人と友達になれることだろうからあんまり意味があるようにも思えない。
むしろ周りの「友達」の方が史上最年少プロ棋士と友達になったということで自慢できるかもしれない。

まあ最後は本人が決めるのだろうからとやかく言うのはこれくらいにしておこう。
posted by ヤス at 14:40| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月11日

サントリーCM炎上

なにやらサントリーのビールのCM動画が炎上しているらしい。
くだんの動画は7月6日にYouTubeのCMとして配信が始まったところ、クレームが相次いだので翌日には配信が停止された。
なんでもCMに出てくる女性の、「コックーン」という色っぽいセリフ回しが性的なメタファーを感じさせるというクレームらしい。

ネット上には今でも各所に問題の動画コピーが貼り付けられていて簡単に観ることができる。
観た感想は、それほどエロい感じでもないと思ったが、しかしやっぱり制作側の意図としては、かなり明確に性的なメタファーを意識しているように思った。

だいたいにおいて広告の世界では、ビジュアルや音声、コピーライティンの中に性的なメタファーをそっと忍ばせるというのはかなりベタな手法として昔から行われていることであろう。
その場合、そのメタファーはあくまでもそっと忍ばせる、視聴者が普通に見聞きした分にはすぐには気がつかない、というのが広告におけるセンスというものだと思う。

その点、このサントリーのCMはメタファー=暗喩というにはあまりにも開けっぴろげな感じであって、天下のサントリーのCMの割にはあんまりセンスを感じさせない仕上がりになっているような気がする。

ハフポストに今回の炎上の件についてサントリーの広報担当者に取材した記事が出ていて、それによるとサントリー側としては性的なメタファーを込める意図についてはかなりはっきり否定している。
しかし前述の通り、わたし的にはとてもその言を信じる感じにはならない。

あるいはサントリー広報担当として公式には「そういうこと」になっているのかもしれない。
しかし制作の現場では性的な感じの入れ込み方についてあれこれ議論が行われ、その方針に基づいて女優陣に対する演技指導なども行われたのだろうと、勝手に推測する。

そのわたしの勝手な推測に基づいて考えると、サントリー広報担当の木で鼻をくくったような回答はなかなか残念な感じがする。
まああくまでわたしの勝手な推測であるが。

この動画は多分ネット専用に制作したのだと思うが、そうなると実は最初から炎上狙いで分かりやすい性的メタファーを入れ込んだのでは、という疑念も湧く。
あと、動画を観た感じ無名の女優を使って普通の飲食店を借りてかなり安上がりに制作しているように見え、制作費に対する炎上マーケティングの「広告効果」はそこそこ効率的であるように思われる。

そうやって考えると、これはサントリーとしては炎上マーケティングの一つの実験であり、その実験は一応成功したのであろう、というのはあくまでもわたしの勝手な推測であることは念を押しておく。
posted by ヤス at 09:56| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月10日

パソコンエラーに思う

少し前からうちのパソコンが調子わるい。
まだ買って1年ほどしか経っていないというのに、やたらと細々したエラーが出るようになった。
Google ChromeやExcelを立ち上げても当分反応がなかったり、Windowsボタンが反応しなくなったりする。

しかし今までのところ再起動、もしくは強制再起動によって一応症状が治まるのでまあよしとする。

そもそもコンピューターというのは、中で恐ろしく複雑なプログラムが蠢いている。
そのプログラムの情報量が、新聞に換算して何百ページ分くらいになるのか知らないが、21世紀になってもパソコンのソフトウエアエラーが絶えないということは、なかなかに感慨深い。
ソフトのデバッグ技術も時代とともに進化しているのだろうが、それを上回るくらいにプログラムの方が複雑怪奇になっているのだろう。

パソコンというのは、いうまでもなくエラーが出ずに快適に動作することが理想である。
しかし技術が進化してもエラーは出続ける。
その状況を見るにつけ、何か人間の言いようのない業というか、サガのようなものを感じざるを得ない。
パソコンを製造する人間の立場に立つと、彼らは多分エラーの出ないマシン開発を目指しているに違いない。
しかしパソコンにインストールするプログラムは複雑であり、また継ぎ接ぎで新しいのが入ってきたりする。

だからエラーの出ないパソコンというのは見果てぬ夢である。

そう考えてみるとそもそもエラーの出ないパソコンを目指すこと自体に無理がある気がする。

大体において、人間自体がかなり不完全で忘れっぽい、ソフトウエアエラーの塊のような存在である。
不完全な創造主が完全なパソコン製造を目指すことに、かなりの矛盾を感じてしまうのである。

やや話は跳ぶが、生物進化というのは、DNAの複製コピーのミスが積み重なって生じていたのではなかったか。
そうなのだ。
生き物というのはその存在自体が行き当たりばったりで、出たとこ勝負の存在なのである。
その中で環境に適応したのだけが生き残る。
生き物というのは言うなれば、基本的にその行動はエラーまみれであって、偶然の正解手が稀に生じることがある、そういうものだろう。

その生き物の進化系統樹の端っこの方にいるのが人間という生き物である。

だから人間だって、その行動は基本デタラメで時々正しい手を打つ、その程度のものだと思う。
ただ人間の場合、記憶力や推論機能が発達して他の生き物に比べると正解手の確率がちょっとだけ高いのである。

そう思うとパソコンのエラーもフェイクニュースの世の中もあまり怖くない、と言えなくもない気がするのである。
posted by ヤス at 09:43| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月09日

藤井四段30勝目など

にわかファンでやや気恥ずかしいが、最近将棋が面白い。
2〜3年前、わたしがニコニコ動画のプレミアム会員だった頃にも将棋の番組はけっこう観ていて、その時も面白いと思っていたのだけれど、今回のハマリ方は少し違う。
昔はただ面白キャラの棋士のトークを楽しむくらいが関の山だったのだが、今回は手筋の読み方とか戦法の内容にもかなり興味を持つようになった。

しかもその辺は、普通のテレビのバラエティー番組などでもけっこう解説するようになっている。
そういう分かり易い番組を見ているうちに、わたしも藤井聡太四段の30万分の1くらいの「読みの能力」が備わってきているのではないかと思う。

この間の7月6日も、藤井四段初敗戦後の一戦が中田功七段との間で行われて、アベマTVでチラチラ観た。
夜に入ってほぼ互角の感じで進んでいって、20時半過ぎた辺りから後ひと押しで中田七段の勝ちというギリギリの状況になるのだが、たぶん藤井四段はそのギリギリ具合を読み切っていたのだろう、平然と攻撃を続けて最後勝ちきった。

将棋に詳しい人はよく知っているのだろうが、終盤に、金とか香車とか前に進める駒があれば中田七段の詰めが成立する場面が出来るのだが、中田七段の持ち駒には前に進めるのが歩しかない。
「打ち歩詰め」といって最後歩を打って詰めるのは禁じ手なので、この場面詰めきれなかったのである。

この場面、藤井四段の手元が少しでも狂って歩以外の前に進める駒を取られるとそこで中田七段が勝ちになる。(のだと思う)
そこを冷静に、ひとつも間違えずに打ち続けられる精神力が藤井四段の強さであるのだろう。

ところで、7月8日には藤井四段に初の黒星を付けたイケメン佐々木勇気五段が、竜王戦の勝ち上がりで強敵阿久津主税八段と戦って、それも最後の方ずっと観ていたのだが、今回の佐々木五段は優勢に棋譜を進めていたのにもかかわらず、夜中になって最後の方の場面で詰み筋を間違えて危うく逆転されかけるということがあった。

しかし阿久津八段はすでに持ち時間少なく、佐々木五段が再逆転してやっと勝った。
そのシーソーゲームが、将棋の定石があんまりよく分かっていないわたしにもなんだか面白かった。

将棋の対局を観ていて思うのは、人間は間違える生き物だなあということである。
いかに間違いを最小限に抑えるか、またいかに敵を揺さぶって間違いを誘発させるか、その辺りの駆け引きが本当に面白いと思った。
posted by ヤス at 15:15| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月08日

退屈の感覚について

毎度のことながら、どうでもいいことをまた考えている。
それは「退屈の感覚」についてである。
人間はふとした瞬間に退屈を感じる。
これはなぜであろうか。

以前に何かの本で人間の脳みそは日常的にある程度以上の負荷を与えていないと退屈を感じる、みたいなことを読んだような気がする。
それはマグロが泳ぎ続けていないと息が止まるとかいうのと同じことなのだろうか。
人間の脳みそは、何しろ眠っている時でも夢を見るくらいに四六時中活発に動いている。
あるいは自分で思っている以上に自分の脳みそは勤勉であるのかもしれない。

注意しておくべきなのは、ここでいう脳みそとは大脳皮質と呼ばれる高等哺乳類などで特に発達している部位のこと、ということである。
人間の大脳皮質は容量・機能とも全生物の中で突出して発達しているとされる。
その大脳皮質が退屈を感じるのである。
ということは、人間よりは幾分か大脳皮質が小さい犬や猫もそれなりに退屈しているということだろうか。

実際、犬や猫を眺めていると、生存活動とは全然関係のない「遊び」を行なっているような場面がしばしばある。
あれは彼らなりに退屈して暇つぶしをやっているのであろう、と勝手に推測する。

ところで、退屈を感じるということでひとつ思いついたことがある。
それは退屈は、時間の流れを体感するというところに通じるのではないかということである。
人間、何もすることがない暇な時は死ぬほど退屈である。
一方で、趣味に没頭している時とかゲームに熱中している時など、一時的に時間が止まる。
あるいは、締め切りに追われて寝食を惜しんで仕事に励んでいる時などは暇な時の30倍くらいの速度で時間が経過する。

退屈を感じている時というのは、やや哲学的に表現するなら無為のうちに己の寿命がすり減っているのを感じている状態と言える。
一方で忙しくて時間が足りない状況というのは、寿命がすり減っている間を有為の時間で埋めることができている状態である。
そのように考えると、退屈という感覚を軸にして人間は時間の経過を感じていると思わざるを得ないのである。

一方で趣味に没頭している時というのはその時間感覚が麻痺している状態と言える。
それは生物的機能の停止という意味で後ろ向きに捉えることもできるだろうが、前向きには寿命の感覚からしばし自由になれた、という風に考えることができるのかもしれない。

いずれにせよ長い進化過程で人間が退屈を感じるようになったというのには、生存競争的にそれなりの意味があるものと思われる。
言い換えると時間に敏感な生き物であることが、人間の生物としての繁栄を支えていると思ったわけであるが、それ以上の考察は、字数が尽きたのでまた今度にする。
posted by ヤス at 14:02| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年07月07日

人に迷惑をかけない

最近、「人に迷惑をかけない」というマインドセットに対する批判をたびたび聞くような気がする。
人に迷惑をかけないというのは、おおよそ日本における家庭教育の共通理念だと思う。

人に迷惑をかけないことは迷惑をかけるよりは望ましいことであり、わたし自身もたまに迷惑をかけられるとその程度によっては腹が立つこともある。

だから日本の各家庭で、人に迷惑をかけたらダメだよと子どもに教育していることは妥当性があることのように思われる。

しかし考えてみると我々の人間関係においては、人に迷惑をかけた、かけられた、という場面がしょっちゅう出現する。
別にみんな意図して迷惑をかけようとしているわけではない。

例えば営業マンが寝坊して遅刻して商談を失敗させて会社に損害を与えたりすることもあるかもしれない。
または病気になって長期入院して、その間収入が途絶えて全面的に家族や友人の世話になることもあるだろう。
前の例の営業マンの場合は明らかな過失であって、これは他人に迷惑をかけるなというマインドセットがそもそも想定しているケースに入るだろう。
一方で病気で周辺に迷惑をかける、というのは必ずしも本人の過失とは言い難い。
誰しも病気になる可能性はあり、その場合大なり小なり人に迷惑をかけてしまう。

あるいは、例えばプロ野球選手の場合。
プロ野球選手はシーズン中は遠征も多く生活時間も不規則、食生活も大変だ。
プロ野球選手の奥さんになったりすると、かなりの努力や我慢を強いられるだろう。
それを迷惑と言ってしまっていいものかどうかよく分からないが、何かを猛烈に頑張っている人の周辺の人々は、往々にしてそれを支える努力を強いられる。

しかしまたまた考えてみると、プロ野球選手並みに激しく頑張っているわけではない普通の人でも、影に日向に周辺の人々の支援を受けているものである。
そしてそういうお世話になっている人々に、時々は「過失」による迷惑をかけたりすることもあるけれど、そこは日常からの人間関係で許してもらえる。

そうやって考えてみると、人間が周辺の人間に迷惑をかけたりある種の努力を強いたりするケースはかなり普遍的に存在するようにも思われる。
さらに言えば、何かでっかいことをやろうとしている人というのはだいたい周辺に多大の迷惑を撒き散らしているものである。

そういう中で「人に迷惑をかけない」というマインドセットがあまりに独り歩きするのは、世の中の挑戦する気分を損ねる心配がある。

だから本当は、「人に迷惑をかけない」という教育を子どもたちにするよりも、「人に上手に迷惑をかけよう」というように教えたほうがいいんじゃないか。

そうすれば、人生でずっと迷惑を撒き散らし続けている人にも立つ瀬があるっていうものだろう、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:00| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月06日

プロの給料

この間、公益社団法人日本将棋連盟の財務諸表を見たが、そういえば日本にはもう一つ伝統芸能的に継承されて現代においても活動盛んな日本相撲協会があるのを思い出した。

日本相撲協会の財務諸表は将棋連盟と比べてどうなのだろう。
相撲協会は正式名称「公益財団法人日本相撲協会」だそうである。

まず貸借を調べてみる。
将棋連盟は総資産22億円、現預金残高4億円だったけれど、相撲協会の方は総資産440億円、現預金残高55億円と一桁サイズが大きい。
損益にあたる財産増減計算書というのを見てみると、売上に該当する経常収益が相撲協会は120億円。
対する将棋連盟は27億円だった。
将棋連盟が地方の中堅企業とすると、相撲協会は東証2部上場の全国企業くらいの違いだろうか。

将棋のプロ棋士が160名いるというのは今回初めて知ったのだけれど、相撲取りは何人いるのか。
調べてみると2017年3月現在で692名いるらしい。
そのうち幕内が42名、十両が70名だそうである。

相撲協会の損益表では人件費関係が事業費と管理費に分かれている。
多分事業費に載っている給料や力士等奨励基金などが力士に支払われる給料に相当するのではないかと勝手に推測する。
それら事業費の人件費はおよそ59億円ほどなので単純に力士692名で割り算すると850万円くらいになる。

ちなみに別の情報源では横綱の年間給料は4500万円、大関3700万円、前頭2000万円で十両でも1600万円だそうである。
それ以下はスズメの涙で幕下が年額で90万円、序の口では42万円。
力士は基本部屋に住み込みで三食付きなのでこれでも生きていけるのだろう。

一方で将棋連盟の棋士に渡るお金は、多分こちらも事業費に載っている対局料と賞金であろうと見当をつける。
合わせて12億円ほどである。
棋士160名で割ると750万円である。
ただこちらも一番稼いでいると思われる羽生三冠が約1億円くらい取っているらしい。
それ以外にもタイトル戦の本戦に進むと対局料が予選の1局5万円から50万円くらいに上がるし、決勝進出やタイトル獲得でかなりの賞金が出る。
一方一番下位の方の棋士は1局5万円の対局を年間30戦くらいして150万円とかいう人もいるのかもしれない。

それでも相撲の序の口よりはいいと考えられなくもない。
ただしこちらは原則三食付きではないが。

いずれにせよ、プロの世界は上位と下位で差があって厳しいのである。
posted by ヤス at 10:00| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年07月05日

アジアインフラ投資銀行について

AIIB=アジアインフラ投資銀行に関するニュースが最近もいくつか流れている。
中国が主導するこの枠組みは2014年10月に設立され、かつての「シルクロード」沿いの地域のインフラ開発を目的に作られた。
AIIBの構想について、これを主導する中国は「一帯一路」というのを出している。
800年前にマルコ・ポーロも通ったヨーロッパから中国に至る陸のシルクロードが「一帯」で、アラビア半島・アフリカ東岸からインド洋、東南アジア地域を経て中国に繋がる海のシルクロードが「一路」ということらしい。

設立時の資本金は1000億ドルというからおよそ11兆円、2017年時点で日本とアメリカは入っていないがヨーロッパ主要国は英仏独など含めてあらかた域外加盟している。
ついでに言うとカナダとブラジルも参加しているらしい。
オーストラリアなんかは域内主要メンバーの一つである。
さらに言うと、台湾と北朝鮮も参加申請したがこれは多分中国の意向で申請が拒絶されている。

このAIIBに関しては、日本における取り扱いはかなり微妙な感じである。
またちょっと前に宇宙人・鳩山由紀夫元総理が顧問に就任したことがかなり批判の的にされたこともあった。
また日本の場合、アメリカと共同で出資しているADB=アジア開発銀行というのがあって、AIIBに入るとこれの立ち位置が曖昧になるというのもあったのかもしれない。
それと一番大きいと思うのは、日本の同盟国のアメリカが入っていないこと。

おそらく日本が参加する場合は、アメリカと同時参加か後追い参加になるのだろうと勝手に思っている。

日本ではネトウヨの人々に限らず中国アレルギーの空気がかなり根強いので、これも参加の障害になっている。
しかし日本とアメリカが傍観しているうちにAIIBの活動は確実に前に進んでいるようで、特に今力が注がれているのが中国の新疆ウイグルからパキスタンに抜けるルートの開発だそうである。

この沿線は、国内にテロ組織の温床をたくさん抱えて国際的批判にさらされているパキスタンがありその隣にアフガニスタンがあり、イランを挟んだ先には対ISの激しい戦闘が続いているシリアやイラクがつながっている。
この地域に投資を行って経済的な発展が実現すれば、世界の大問題であるテロ問題の根本的解決になる可能性があるような気がする。

そしてこの地域に縁が深いイランやロシア、トルコにサウジアラビア、インドなども軒並みAIIBに参加しているのである。
これらの国々はそれぞれの関係は必ずしも友好的ということではないが、とりあえずAIIBを通じた協力関係は出来上がりつつあるようである。

さて、AIIBに関して日本は(というかアメリカは)今後どのような方向でいくのだろうか、とちょっとだけ考えてみた。
posted by ヤス at 09:24| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月04日

ネットの評価について

たまに東京とかに遊びに行くと、どこでメシを食ったらいいか迷う。
そんな時は食べログとかぐるなびとか、いわゆるランキングサイトを見て店を選ぶことになる。
なるべく口コミの書き込みが多くて、それもステマっぽくないやつはないか。
場合によっては厳しい書き込みがあっても、それを補うに十分な良い評判があればむしろそっちの方がリアルな評価の感じがして選択に値する可能性だってあるだろう。

何はともあれ単純に点数が高くて評価の高いのが「当たり」の店と断言出来ないところがランキングサイトの難しさであり、ある意味面白いところでもある。
しかし実際のところ、現代ニッポンでそんなに大ハズレの店を選ぶのは稀だと思う。
むしろハズレの店に当たった方がSNSのネタになってラッキーかもしれない。

つまり、どこにどんな店があるかという基礎的情報を収集するにはこれらのランキグンサイトは非常に便利だと思うのだが、その店が自分にとって良いか悪いかは結局のところ入って試してみないと分からない。
目当ての店にたどり着いたら、まず外から店の佇まいをぐっと睨んでどういう料理が出てきそうかを想像するしかない。
その辺りの作法はネット社会以前とそんなに変わらないと思う。

ランキングサイトは、店選び初期段階の情報収集作業をかなり便利にしてくれたけれど、最終的にその店に入るかどうかの判断をするところは昔とそんなに変わらないのである。

このような考え方、つまりランキングサイトは店選びの決定打になり得ないというのは、店の側に立っても同じようなことが言えると思う。

口コミに思いがけず悪い評価を書かれると、店の人間としては当然気分は良くない。
少しメンタルの弱い人なら、そういうのを見たらひどく落ち込むこともあるだろう。
しかしそこそこ真面目に商売をやっている店であれば、そんなに気に病む必要はないのである。
まあ実際、お客によっては単純に悪い評価を気にしてその店をパスする、という人も多いかもしれない。
だがそういう客はそれなりの思慮の浅い客なんだから重視する必要もあるまい。

さらに別の客においては、虚実入り交じるネット評価の裏読みをして、その悪い評価をむしろ参考材料として選択側に心が傾くことだってあるに違いないのである。
例えば「量が少なくて腹一杯にならない」というような評価は、歳を食って胃袋のキャパが縮小したオジサンには好ましい情報かもしれない。

世の中のクレームとか悪い評判とかは、それが全顧客中の2〜3%の人の意見であっても、まるで過半数の意見であるかのように増幅して聞こえてくるものだと思う。
ということでネット情報はかなりの程度鷹揚な心構えで利用するのが適切であるなあ、と思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 14:25| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月03日

7月2日

昨日はなかなか激動の一日であった。
まず、公式戦29連勝中の藤井聡太四段がとうとう初の一敗を喫し、また東京都議選で都民ファーストが大勝、自民党が歴史的惨敗に終わる結果が出た。

藤井聡太四段と佐々木勇気五段の一戦はAbemaTVで途切れ途切れに観たのであるが、中盤以降は佐々木五段が終始圧倒したようである。
おそらく今回はかなり時間を割いて藤井対策を練ってきたのだろう。
わたしの想像としてはプロ棋士の世界は一年目の新人でも十年、二十年のベテランでも実力は拮抗しており、勝敗の要因はどれだけ相手の戦法を研究し有効な対策を準備できるかという部分に追うところが大きいように思う。

佐々木五段はその辺りの対策の立て方がかなり徹底的であったことが今回の勝ちにつながったようである。


さて一方の都議選。
こちらは自民の苦戦がある程度予想されたわけであるが、ふたを開けるとその予想を超える惨敗だった。
選挙前に立て続けに起きた国政自民の醜聞報道が逆風になったことは間違いない。
しかしそれ以前に都政自民党のオリンピックや築地移転問題に絡む利権疑惑が根底にあったこともまた事実であろう。

今回の都議選で分かったことは、現在の自民党はその実、政治基盤が決して盤石ではないということで、特に今回の都民ファーストのように有力な対抗勢力が現れると途端に票を失う、そのような脆弱性が明らかになった。

そしてもう一つ、地味に議席を減らした民進党。
本来は逆風に苦しむ自民に対し、反対票の受け皿になるべき存在だったはずなのに全く見せ場なく終わった。
今後都民ファーストが国政に打って出るという噂も流れているけれど、せっかく旧維新とくっついて勢力を増強したはずだったのに、党勢が回復する兆しが全く見えない。

次の総選挙は一年半以内に確実にやってくるわけであるが、今のままの民進党では存在意義が感じられない。
この調子で行くと逆風に喘ぐ安倍政権の対抗馬は自民党内部から出てくるか、都民ファーストの国政版(その場合党名は何になるのだろう)とかになって決して民進党にはならないだろう。

民進党は一旦解党して数を減らしてもリベラル寄りで出直した方がいいような気がする。

何にせよ絶対得票率25%に過ぎない現政権のアキレス腱がことのほか露骨に明らかになった都議選だったと思った。
posted by ヤス at 08:46| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年07月02日

盤石の財務内容

さて、先ほどいよいよ藤井聡太四段と佐々木勇気五段の将棋の竜王戦2回戦が始まった。
佐々木勇気五段はジュネーブ生まれのイケメンが話題になっていたが、将棋連盟のサイトで確認したところ今期の勝率7割8分の実力派でもある。

メディアでは「目力」がスゴイということになっているらしいが、確かに甘いマスクにやや不釣り合いな不敵な勝負師の面構えでいかにも強そうな感じがする。
対する藤井聡太四段は、いつもの通り茫洋とした、集中しているんだかいないんだか分からない、捉えどころのない感じで、30連勝も意識しているのかいないのかその表情を見ているだけでは判別がつかない。

これが小説や映画なら、ぼーっとしている方が戦ってみたら実は強い、という筋書きになるのかもしれない。
しかし現実の藤井聡太四段は、先手佐々木五段の初手目に続く藤井四段の2手目、すぐに駒に手を動かすのかと思ったら数分考え込んでその後さらにもったいぶってゆっくりお茶を一口すすって、そのあたりの仕草が百戦錬磨のベテランのようにも見えた。


ところで連盟のサイトを見ていたら財務諸表が公開してあって、ちょっと興味が湧いたのでチラ見してみた。
それによると、一般企業の売上に当たる連盟の経常収益は昨年度が約27億円。
収益は大きく3種類で、一番大きいのが事業収益の26億円、次が会費・入会金が5千万円弱、続いて寄付金・補助金などが5千万円弱。

さらに事業収益は棋戦等契約金などの契約金が約20億円。
それ以外の事業収益は普及事業、賃料収入、物販売上などである。
物販売上は売上収益として内訳も出ていて、出版関係27百万円、盤駒売上33百万円、扇子売上38百万円、書籍売上26百万円、その他売上が43百万円である。
最近話題の藤井聡太四段のクリアファイルや新発売のジグソーパズルはその他売上に集計されるものと思われる。
また、盤駒より扇子の売上の方が大きいのはやや驚きである。

ネットで検索してみたところ、日本の「扇子・うちわ」の市場規模は約80億円らしいので、将棋連盟の扇子販売量はその0.5%に相当する。(多いのか少ないのか評価がよく分からない)

貸借対照表を見ると総資産22億円、企業風に言うところの自己資本である正味財産は16億円弱。
なかなか手堅い内容なのである。

さらに見ていると資産のところにある土地1億8千万円とあるのは、東京、大阪、札幌の将棋会館だと思うが、国立競技場にほど近い東京千駄ヶ谷と大阪の梅田駅すぐ近くの将棋会館の土地は結構なお値段だと思うのでその含み益も想像すると将棋だけに盤石のバランスシートだと思った。
posted by ヤス at 11:19| Comment(2) | 徒然なるままに