2019年05月06日

完食指導について

ネットニュースに小学校での「完食指導」の話が出ていた。

もうおそろしく昔の話になるが、わたしが小学校の頃にももちろん給食はあった。
そしてその当時にもやはり「完食指導」らしきものがあったのを思い出した。
体のちっちゃい子とか食の細い子、食べるのが遅い子とかは時間内に給食を完食できなくて、他の子の食器が全部片付けられてすっかり給食の時間が終わってなお、机の上にトレーと食器を並べてずっと食べ続けていた子がいたのを思い出した。

わたしは今でも食べ残しのできない体質であり、また子供の頃もまあ人並みに食べるのは好きだったので、個人的には完食できない苦しみを味わったことはない。
だからその当時は、なんであれっぽちの給食が食べられないのかなあ、くらいにしか思っていなかったのだが、しかし今にして考えると、食べられない子供に完食を「強いる」のは完全な虐待行為だと思う。

子供といったってそれぞれ体のサイズも違うし、各家庭の食習慣とか食べ物の好みとかいろいろある。
なんなら昼飯は食わなくても平気だとかいう人だっているだろうし、昼飯はできれば3時くらいに食べたいとかいう人も中にはいるのだろう。
それを同じメニュー内容と分量で同じ時間に一斉に食べる給食は、そもそも数人の「落伍者」を産み出すのが必然のシステムであるように思われる。
この場合「落伍者」に対しては他の大多数に合わせるのではなくて、本人の適性や希望に沿ったところで処置してあげるのが本来のあり方だと思う。

まあそういう給食をめぐる虐待行為も、数十年前の昔の話ならまだ理解できる気がするのだが、それが今もって延々続いているのはちょっとした驚きである。

だいたい考えてみると、本来勉強するための部屋である教室に緊急避難的に食器を並べて給食を食べている絵柄そのものが、かなり時代錯誤的であると思う。
できれば各学校にビュッフェ式の食堂を備えて、各自好きな内容と分量を取るようにできればいいのになあと思う。
それでは給食費負担に不公平が生じるとかなら、選んだ内容と分量を記録して「従量課金」するとか、今の技術をもってすればできなくはないだろう。

またあんまり好きなものばっかり食べていると食が偏って問題とかいう話もあるかもしれないが、多少の偏食で死ぬほど人間はやわではないというのがわたしが人生経験で得た実感である。

結局いちばんのネックは各学校に食堂を備え、しかるべき調理スタッフを設置するほどの予算が今のところどこにもないということになるのかもしれない。

不幸中の幸いなことに、子供の数は減っており各学校のスペースにはだんだん余裕ができているのではないだろうか。
政府は多少予算を見直して、どーんと学校給食の金額を増やせば学校が時代錯誤的な状況から脱出できていいのになあと思う。

そうすれば各地の給食業者も新しい仕事が増えていいし。

まあ現実にはいろいろ難しいのだろうが、学校における食生活に苦痛を覚える子供がいる状況は早くなんとかしたいものである。


というわけで、2,897kmに及ぶバイクツーリングから昨日帰ってきて、今少しボーゼンとしている。
そして今から少し仕事でもしようかなと思ったりしている。


posted by ヤス at 15:01| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
2900キロも旅したんだ!
その間
食生活がカップラーメンが多かったのかしら?

給食は
世の中渡っていく
試練かもよー
嫌いなものをどうやって
食べずに済ませるかとかね〜
Posted by aoko at 2019年05月06日 17:45
献立見て事前に交換交渉を済ませておくが吉。
Posted by ヤス at 2019年05月06日 20:31
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