2018年11月11日

考え過ぎる人のために

考え過ぎは良くない。
心配性の人というのは、あれこれ考えることによって必要な行動に取りかかれない、あるいは心配がストレスの種になる、という点で問題を抱えているように見える。
それは例えばわたし自身がそうである。

わたしは昔から、
「おまえはいつも何も考えてないようで、のんきでいいよなあ」
という種類の指摘を周辺の人々からたびたび受けてきた。

しかしそれは間違いである。
わたしは人一倍の心配性である。
または何か重要な行動の前にあれこれと考える癖が強い。
学生の時の水泳部時代、まだ夏になりきっていない時期にプールに入る前、この水はさぞかし冷たかろうと、身体がまだ水に触れる前にぶるぶる震えたりしていた。
あるいは仕事で営業先に向かう時、お客さんから手酷く断られるシーンが脳内に自然に浮かんできて、足がすくんだ。

こういう風に行動の前にネガティブイメージが浮かんできて行動にブレーキをかけようとするのは、ある種の生物的防衛本能であるように思われる。
防衛本能である、と考えると「考え過ぎること」はあながちすべてが無駄である、と断言できない気もしてくる。

一方で、ポジティブでイケイケで考える間も無く身体が動くというタイプの人は、原始時代なら真っ先にライオンやオオカミの餌になるタイプの人類だったのではなかろうか。
そういうポジティブな種類の人類は、文明が十分に発達して弓矢や鉄砲ができてライオンやオオカミの脅威が過去のものになってから発生し始めた新しい人類であるように思われるのである。

つまり、ついネガティブなことを考える人は、より原始的人類の特徴を今に伝える種類の人なのではないか。
いや、もう少し論理の風呂敷を広げてみると、ネガティブに考える人は人類の精強さを根っからは信じていない人、または人類が実は脆弱な存在であることを忘れていない人、つまり母なる自然に対してあくまで謙虚である人類なのではないか、とポジティブに思考変換することもできなくはない。

おおよそ、人間というのは放っておくとあれやこれやいろいろと考えてしまう生き物のようで、しかも同じ考えるなら楽しいことを考えた方がいいのであるが、つい思考が心配の方角に向かう人というのはいる。
まだ事が起こっていないのに、心配だけしてストレスを溜め込むのはまったく無駄であるが、しかしそれは心配性の人にとっては抗いがたい性癖なので、これを自在に制御するのはなかなかむずかしい。
しかし一方で、防衛的に考えることそれ自体はまったく無駄でもないし、たまにであれば考え過ぎることもそんなに悪くないのではないか。

そこで提案であるが、心配性の人は少し考えが過ぎるな、と自覚してきたら散歩かジョギングで身体を動かすのが良い。
精神安定物質のセロトニンが分泌されて心の平静が回復し、血流が筋肉に取られることであまり複雑な思考はできなくなって「無の状態」に少し近づける。

ということで今日はどこかでマラソン大会があるらしい。
30km過ぎて心身ともに無の状態になる人々に、遠くからひそかに声援を送ろうかと思う。
posted by ヤス at 09:32| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
心配することにし過ぎと言うことは無いと思うなぁ!
いろんなことを想定して生活した方がいいと思う
🤗
Posted by aoko at 2018年11月12日 08:17
ワシはいろんなことを想定せずに、これからは生きていこう。
Posted by ヤス at 2018年11月12日 09:34
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