2018年11月03日

戦略の存在意義について

コンピューターゲームのいいところは、途中でセーブが出来たり上手くいかなかったらリセット出来たりするところだと思う。
しかしそれは現実ばなれしたゲームならではの部分であるわけで、リアルの人生にはデータセーブもリセットもない。
ゲームの仮想世界は、セーブ出来たりリセット出来たりするがゆえに「人生の厳しくドライな感じ」を却って強く意識させる。

だいたい人の人生は想像どおり、理想どおりに「行かない」ようになっている。
だからこそ思った通りのことが起きたら望外の喜びがある、ということなのだろう。

いやしかし、世の中には1%か0.5%か知らないが、自分の計画した人生プランを着々と実現に移しているツワモノもいるようである、という話もあるかもしれない。
しかしそういうツワモノも、現実には計画外のことが起こりまくっていて、要するに計画外のことが起こった場合の対応力、割り切り、柔軟性などが人一倍優れている結果、大きくは計画を外さないということなのに違いないのである。

そして世の中のほとんどの人はその手のツワモノではない。
少し予定が狂うと簡単に当初の「青雲の志」を失う軟弱ものばかりなのは、長く生きているとだんだんとそういう現実が見えてくるものである。
そして、周辺はほとんど軟弱な人間ばかりなのだから、自分が多少軟弱でもそれは世の中の平均値であるとだんだん安心出来るようになる。

話を変える。
例えば古代中国には「孫子」とか「呉子」とか、いくつもの兵法書なるものが伝わっていて、それらの兵法書が説くのはほぼ「弱者の戦略」であるということになっている。

大軍に兵法なしとか言って、強いものは無戦略でかまわない。
弱いからこそ巧妙な戦略が要る、そして世の中の圧倒的多数は弱者である、とかいうのが兵法とか戦略とか呼ばれるものの存在理由なのだろう。

しかしこの場合の「弱者」のニュアンスは「小さいけれど軟弱ではない」の意味だろう。
しかしこの戦略ヒエラルキーには続きがあって「小さくてかつ軟弱である」真の弱者というのがおそらくさらに下にいるのである。

整理すると、いちばん上に無戦略で生きていける一握りの真の強者、それを「弱者の戦略」でもって追いかけるフォロワー集団、そしてその下にいる多数の軟弱な真の弱者。

そういうかたちのピラミッドをふっと想像したりして、人生にはセーブボタンもリセットボタンもなくて、やっぱり人生って厳しいなあ、とか思った。
 
posted by ヤス at 11:14| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
左うちわで暮らしたい
Posted by aoko at 2018年11月03日 11:57
了解です。
Posted by ヤス at 2018年11月03日 12:41
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