2018年09月09日

形容詞の悪魔

文章を書いていてなんだか上手くいかないなあということがしばしばある。
それで見直しをして手直しをするわけだが、そういう時に直す部分というのは、おおよそにおいて「形容詞」に関するところだ。
わたしの場合、まずい文章には形容詞が多過ぎる傾向があるようだ。
いや「多過ぎる」というよりは、不要の場合にも余計な形容詞を付けていることが多い。

文法的にいうと形容詞というのは「大きい」「美しい」「すげえ」「みっともねえ」とか、後に続く名詞や動詞を修飾する単語のことであろう。
こういう修飾語は当然ながらあった方が好ましい場合も当然ある。

例えば「人がいる」、というようなことを書きたい場合。
単に「人がいる」では、1人なのか2、3人なのか大勢いるのか、分からない。
そこでとりあえず「人がたくさんいる」と書いてみる。
するととりあえず1人ではなく、10人だか100人だか知らないが、大勢いることは伝わる。
だがこの場合にもっとも好ましいのは「人が389人いる」とか、正確な数字を記すことである。

形容詞というのは、文章の中にあって書き手の主観を反映する単語であるようだ。
書き手が「美しい若い女性」と書くと、その女性は美しくて若いということにとりあえずなる。
しかし読み手にとってより重要なのは、俺好みの女性なのかとか、若いっていっても中学生とかじゃ若過ぎるしなあ、とかいうことだ。

こうやって考えてみると、文章中における形容詞はその使用をなるべく控えて、形容詞を付す代わりになるべく具体的で正確で客観的な「描写」を名詞や動詞の前に付けるのが「良い文章」なのではないか、とか思ったりする。

文章中の形容詞はそこに書き手の主観が入っていて、読み手はよほど書き手のことを理解していないとすんなりとその文章を読めないのではないか。
文中に形容詞が出てくるたびに、読み手は「これってどういうこと?どういう方向性のこと?どの程度のこと?」とかいうことがいちいち頭の中で引っかかって、円滑な読解が阻害される恐れがあるのではないか。

最近形容詞に関して、そのような反省をするようになった。
それで一回、形容詞を一切使わない文章を書いてみようと試みたりしたこともある。
しかしここで早速気がつくが、「一切使わない」の「一切」は「使わない」に掛かる連用形容詞ではあるまいか。
ここで正確を期するには「一つとして使わない」とか「ゼロ個の形容詞を使用する」とかいう風にきちんと書くべきだ。
いや、「きちんと」もちょっとまずい、そして「ちょっと」もどうだかなあである。

いやまったく、「形容詞」にはおそらく悪魔が宿っている。
「形容詞」は静かにいつの間にか、わたしの背後に忍び寄っているのである。
posted by ヤス at 09:24| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
まぁおそろしい
( ̄▽ ̄)
Posted by aoko at 2018年09月09日 13:24
すごい、おそろしい
Posted by ヤス at 2018年09月09日 13:45
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