2018年08月05日

戦争映画の視点

ハリウッド映画でクリント・イーストウッドが監督した「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」という2本セットの映画がある。
前者がアメリカ軍視点の映画で、後者が日本軍視点。
2本セットとは書いたが、もちろん1本ずつ独立した映画として鑑賞できる。
戦争映画の場合たいていふたつの国、ふたつの陣営が対立して戦うので、普通は大きくふたつの視点があることになる。
第二次大戦で言えば、日米戦争でなくともアメリカvsドイツとかイギリスvsドイツとかドイツvsソ連とかある。
スターリングラードの戦いをドイツ側から描いたドイツ映画もあるし、ソ連側から描いたハリウッド映画もある。

歴史上のある事件を対立するふたつの視点から別々に描くのは、なんというかものすごく変な感じだ。
だいたい映画の主人公はどちらかというと「正義の側」として描かれ、主人公たちが小銃でばったばったと倒す敵は名もなき端役として登場する。(登場した途端に倒れるのだが)
でもいつの時代からか戦争映画のひとつのお約束として、今殺した敵にもちゃんとした人生があって彼なりの視点があったのだ、というのを描くようになっている気がする。
ベトナム戦争映画の「ワンス・アンド・フォーエバー」でメル・ギブソンを殺そうとした北ベトナム兵を逆に射殺して、後でその北ベトナム兵が持っていた家族写真を見るシーンがあったりするけれど、そういうシーンが最近の戦争映画にはよくある。

戦争映画も大昔のやつで娯楽色の強い作品では、仮面ライダーがショッカーを倒すみたいに、敵兵はただ無機的に死んでいく。
なるべく無機的に死ぬことで、その死んで行く兵士への観客の同情が沸き起こらないようにしないと娯楽作品として楽しめないからだろう。

さすがに最近の戦争映画では単純な娯楽映画というのは無くなってきていて、よほどのB級C級作品でも「人道的配慮」のシーンがないと成立しにくくなっているような気がする。
ただクエンティン・タランティーノの戦争映画だけはその呪縛から自由なところにいて、彼の映画では敵も味方も何の感傷もなく無機的にどんどん死ぬ。
たぶんタランティーノの戦争映画はジャンルとしての戦争映画には当てはまらないのだろう。

戦争映画には本来敵と味方のふたつの視点があって、どちらか一方の視点に偏るべきではないというある種の配慮がないと成立しにくくなったのは、20世紀から21世紀にかけての人類にとっての進化と言えなくもない気がする。

ただ最近の戦争でいうとアフガン戦争とかイラク戦争とかIS掃討戦争など一連のシリアの戦闘などは「あちら側」の視点が見えていないのは少し気になる。
戦争だけではなくて、あちら側にも視点はあるというのはつい忘れがちなので、たまに思い出すようにしないといけない、と思ったりした。
posted by ヤス at 10:56| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
戦争は
どこにも起こらない世の中がいいと思うけどなぁ
Posted by aoko at 2018年08月05日 16:04
今のところそれは無理みたいだ。
Posted by ヤス at 2018年08月05日 16:29
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