2018年08月03日

東京医科大学問題

この世の中には理不尽なことが多い。
というか、生きていて発生する人生体験の多くは理屈に合わないことだったり、納得しがたい理不尽さを含んでいたりするものである。
これはそもそも人間一般のデタラメさ、思考における論理的一貫性の薄弱さによるもので、まあある程度仕方のないことだと思う。

それで少し慰めとして想像すると、個別の事象ひとつひとつは理不尽なものが多いが、それらが多数集まってある程度確率集合的なたくさんの数を集めるとそれなりに理屈にあって見えるようになることがある。
例えば夫婦が子供を産む場合、その子が女であるか男であるかは確率としてはほぼ半々に収束する。
あるいは病気になったり交通事故に遭ったりするのも、その凶事は当事者には或る日突然降りかかるわけであるが、しかし何万人もの人間の集合を観察する限りにおいては、ある一定の確率で「規則的に」発生するように見えるに違いない。

そういえばこの間のサッカーW杯でも、グループリーグ初戦に勝ったらほぼ決勝トーナメント進出が決まり、みたいなジンクスが盛んに言われていたと思うけれど、しかしああいう確率の数字というのはプレーしている当事者たちにとってどの程度「心の支え」になるものだろう。
まあ応援している方としては「確率・統計データ」という無感情で絶対的に公平なものに贔屓チームの未来を託したくなる気持ちはわからなくもない。

それで、このところニュースになっている東京医科大学の女子受験生の「合格調整」問題である。
世の中の多くの人々にとっては、各個人に個別に降りかかる理不尽は確率の小さなデコボコだと諦めることもできるかもしれない。
しかし今回のように「確率的傾向」が丸ごと操作されて性別で「えいやっ」と合否基準をいじる理不尽が行われていた場合、これにどう向き合えばよいのだろうかと思う。
東京医科歯科大学の言い分としては、女医は結婚や妊娠で離職する傾向があるので将来の医師不足を防止する観点から女子の受験点数を一律に低くしたという。

この問題は明らかなジェンダー差別である。
だが一方で結婚や妊娠を機会に仕事を辞める女性医師が多いのもひとつの事実である。
女性医師の場合、特に妊娠出産は身体的負担がたいへんで重労働である医師を継続するのに大きなハードルになりうる。

女性の場合、妊娠出産を望む限り職業生活に空白期間が生じるのは不可避だ。
それを前提の上で、それでも人々が好きな職業に就くことを自然と考えるか、あるいは女性には女性の適性・特性があるのだから女性の職業選択にある種の制限を加えて当然と思うべきか。
東京医科大学問題は、性差による特性を鑑みて各人の自由な職業選択にゲタを履かせるかどうかの話だろう。

わたしは、職業選択にあたっては職業選択の自由の考えからも「ゲタを履かせる」ことはあってはならないと思う。
そして最悪どうしても性差による制限を導入したいときは、事前にそれをオープンしておくことが最低限の大人のマナーだろうとも思う。
今回の東京医科大学の件は、なかなか改善しない日本のジェンダー問題の議論が活性化する、よい機会にしないといけない。
posted by ヤス at 11:28| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
子供を産んでも仕事をする
そんな人
いっぱいいると思うけど

要するに
赤ちゃんを預かってくれる場所を作ればみんな働けるのよ
Posted by aoko at 2018年08月03日 17:06
それ以外の闇もあるような気がする。
Posted by ヤス at 2018年08月03日 18:48
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