2018年08月01日

創造の孤独

見たわけじゃあないからほんとうのことは知らないが、しかしたぶん、アインシュタインとかエジソンやゴッホやモーツァルトなどの独創の人というのは、その創造のプロセスは非常に孤独なものだったと思う。
こういう独創の人が仲間とワイワイしながら創造するというのは考えにくいわけで、創造の瞬間というのは本来孤独なものに違いないと思うのである。
これはこういう天才的な独創の人以外にもあてはまって、何かを作る作業というのは一人きりにならないと出来ないのではないかという気がする。

創造のための材料を集めるところまでは、集団の中で普通に社会生活を送っていても出来るけれど、いざ何かを創造する段階では、そこでいったん他人の関与を断ち切り「ほんとうの一人」になって創造に集中することがおそらく不可欠である。

そういうことを考えていると、例えば大きな彫刻や壁画を残したミケランジェロとかはたくさんの弟子を使って創造していたけれど、あれはどう考えればいいのだろう。
でもたぶんミケランジェロも、弟子たちといっしょに彫刻を彫っている時も脳みそに余人の意見を混入させず、自分一人の思考で作品構想を練り上げていたのに違いない、そういう気がする。
物理的空間の中ではみんなと一緒なのに脳みその中では真に一人、というのはある意味孤独の究極的な姿であるような感じがするなあと勝手に想像したりする。

映画「風立ちぬ」で少し有名になった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の設計者の堀越二郎なんかの場合にも「創造における孤独」は当てはまると思う。
ゼロ戦はれっきとした工業製品であり、エンジンとか空力設計とか兵装、電装とか、セクションごとに担当が付いてみんなで共同して作り上げていくというのもまた確かである。
しかしゼロ戦が単なる工業製品を超えてある瞬間に最強の兵器として威力を発揮した背景には孤独な創造の力、ただ一人の人間の思考が複雑な製品の中に一貫していることが必ずあったと、そういう気がしている。

これは自動車なんかでもそうで、デザインからメカニズムから操縦感覚まで、その自動車のコンセプトに開発責任者個人の色が濃いほどにその自動車に創造物としての魂が宿り、結果その車は傑作になると思う。(それで売れるかどうかはまた別だとも思う)

だから真の創造物を生み出すには孤独に耐える強い個人が必要であるし、またもし誰かが何かを創造しようと思ったら、その人は真の孤独の中に身を置くことが必要不可欠なのだろうと思う
posted by ヤス at 07:28| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
安原さんはいつも孤独そーだから
きっと傑作な小説が出来上がることでしょー
\( ˆoˆ )/
Posted by aoko at 2018年08月01日 12:33
そういうことだ。
Posted by ヤス at 2018年08月01日 12:42
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