2018年07月13日

血液型占いは下火になったのか

最近、A型はまじめだからどうしたとかB型はいいかげんだからどうとかいうような、いわゆる血液型占い的な話を聞くことが少なくなった気がする。
従来から血液型占いの撲滅をひそかに念願していたわたしとしては、少しうれしい。

ただ人間というものは、いつでも何かよりどころを欲する生き物であるようで、だからいつの世にも占いとかのたぐいはなくならない。
O型はおおざっぱとかAB型は分裂症ぎみとか、とりあえず4つの血液型である程度その人物の傾向と対策を確定することができると、そこに至る人物判断のための思考が節約できて楽チンだ。
しかも血液型による性格類型は幅広く世間的に共有されており、A型だからどうだとかいうと、「わかるわかる」と他の人もそれに共感するようにできている。

血液型占いというのは、結局これは人物分析をやりたかったのではなく、その実体は知り合い同士で共感を得るためのコミュニケーションツール以外の何ものでもなかったのだ、と思う。
ところが世の中には人物分析のための血液型占いをいまもってかたくなに信じている人がいて、それも会社の社長とか国会議員とかそれなりの社会的地位にいる人だったりする。
そういう人は、血液型を参考にして社員の処遇や対人関係をやりくりしたりしているのだろう。


ここでもうひとつ思うことは、人間関係とか人物対応とかにおいては根拠のない血液型を使おうが使わなかろうが、結果にそんなに差異はないのではないかという点である。

出典はよく知らないが、フランスとスペインの国境地帯にあるピレネー山脈で遭難した登山隊の話がある。
山中で雪崩にあって装備をあらかた失い、死を覚悟した登山隊の中の一人がポケットから取り出した地図を頼りに、隊長はその地図を懸命に読んで下山ルートを探りそのルートに従って進んでなんとか無事生還するが、帰ってからふとその地図を見たらそれはアルプスの地図だった、というお話。

結局のところ正確な情報をせいいっぱい論理的に解析した上で行動するのと、いいかげんな情報をもとに適当に考えて行動するのとでは、実は得られる結論にほとんど違いはないのではないかということだ。
現実世界の人間の行動では、緻密かつ厳密に論理的な計画はあまり頼りにならなくて、それよりは行動しながらの臨機応変の方が結果に重大な影響を与えうる。

だから血液型で人を判断しようがしまいが、未来の結果にたいした影響はないのだろう。
だとすればなおさら、根拠もなしに人の性格を決めるのはやめた方がいいに違いない。

実際いろいろ人と接していると、ふとした時に当初思っていたのとはずいぶん違うな、と感じることが多々あるものであり、そういう意外性を見つける面白さにとって、根拠なき決めつけほど害悪になるものはないのである、と思う。
posted by ヤス at 09:40| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
血液型かぁ

血液の成分で何かが違うんじゃない?

AにあってBにない
AになくてBにある

それが性格の一部に現れてるとか?
Posted by aoko at 2018年07月14日 16:34
おだいじに。
Posted by ヤス at 2018年07月14日 16:58
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