2018年07月12日

人類の基本生態

最近の学説では、ホモ・サピエンスつまり現生人類は基本生態として「一夫一婦制」だったことが有力になっているらしい。
一夫一婦制による子育てがある種のアドバンテージになって、進化競争上有利に働いたということのようだ。

わたしはそれまでは、現生人類もチンパンジー型の「乱婚制」をベースにして子育てをしてきたのではないか、と勝手に思っていたので最近の学説に対する衝撃はかなり大きかった。

一夫一婦制においては、父親も子育てに参加することになるのだろう。
「ネオテニー」的な人類は出生から「成獣化」まで時間がかかり、そのため父親も参加して手厚い子育てをした方が子どもの生存確率が上がるということなのかもしれない。

チンパンジーのような乱婚制だと、子どもは基本的に「父無し子」として生まれるので子育てはもっぱら母子家庭で行われることになる。
一夫多妻制における社会でも、たまにボスザルも手伝ったりするのかもしれないが母親のみによる子育ては乱婚社会と同様だと想像される。

現生人類の基本生態が「一夫一婦制」だとすると、アラブの方の一夫多妻社会はどうなんだ、という話にもなるのだが、あれは人類特有の文化的多様性ということになるのかもしれない。
あるいは最近は(昔からかな)、父親のいない子どもとか、もっと言えば母親も蒸発して両親のいない子どもとかも少数だがいる。
野生状態なら親とはぐれた子どもはそのまま生きて行くことは難しいだろうが、人間の場合、役所とか慈善団体とか親切な他の人がたいていの場合助けてくれる。
フランスとかの場合、20〜30年前と比べるとシングルマザーの比率が急激に増えていて、全体の半分以上がシングルマザー家庭の子どもになっていたりする。

そんなこんなで人類の場合、文明化による文化的多様性とか社会システムによる「子育て支援」の機能も働いて、人類の基本的生態としての一夫一婦制は、もはや野生状態におけるレガシーシステムであって、現代人には必ずしも必須の「生態」とは言えなくなっているような気がする。

先進国では例外なく少子化が進行して、人類は文明の進行とともに野生状態におけるデフォルトであった一夫一婦制からだんだん離れて行っているようにみえる。

わたしは別に野生状態に戻ろう、ということを言いたいわけではない。
かといって子どもを社会の共有財産として共同して育てよう、とかいうつもりもない。
(これは共産主義のめざしたかたちである)

人類は野生状態における各種の「くびき」からずいぶんと自由になったんだな、ということを思ったまでである。
今後人類の家族のかたちや社会システムはどのように変化していくのか、というのは、わたしが心配してどうにかなるような話でもないが、でもやっぱり野生状態の形態からは離れてどんどん自由になって行くのではないか、などと思った。
posted by ヤス at 14:43| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
どんな形であれ
子供が育つ環境が大切だと思うわ
Posted by aoko at 2018年07月12日 15:18
わしはどっちでもいい
Posted by ヤス at 2018年07月12日 15:33
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