2018年07月06日

タイの洞窟の事故

タイの洞窟でコーチを含むサッカーチームの少年たちが閉じ込められている件。
閉じ込められてから今日ですでに2週間になるらしい。
無事が確認されて映像で見る彼らの姿は、ものすごく痩せてやつれているように見えたのだが、とりあえず全員生きていたというのはものすごくよかったと思った。
思うに、閉ざされた狭い空間の中、とぼしい食料を食いついないで2週間を過ごした状況は広々とした「外界」にいる人間には想像を絶するものがある。

コーチは僧侶の経歴も持つ25歳の人物ということだが、おそらくタイ人の少年たちもめいめい敬虔な仏教徒なのかもしれない。
手を合わせてするタイ式の挨拶をする姿が印象的であった。

ひとつ間違えばパニック状態に陥りかねないこのような極限状況下では、確かに彼らの宗教的バックボーンというのは非常に役に立ったのだろう。
それはひとことで言ってしまうと「祈り」の力であると思う。
祈ることによって外界につながる穴が開いたり溜まった地下水がなくなったりするものではない。
ただ、祈ることは祈り手自身に作用して事態を好転させうる。
それが祈りの効果なんだろうと、神も仏も信じないおじさんは思うのである。

このタイの事故で思い出したのだが、吉村昭が書いた小説「漂流」というのがある。
これは江戸時代に4人の水夫を乗せて土佐を出帆した船が暴風にあって難破し、黒潮に流されて600kmも離れた無人島に流れ着く話である。
主人公の長平は、仲間が次々と死ぬ中で経を唱え、島での日常で神仏に祈りながら生き延びる。
やがて数年おいて大阪と薩摩から船が漂着。
その島はアホウドリが群生する鳥島で、その肉を食い雨水を貯めて飲料水としながら彼らは命をつなぐ。

樹木がまったく生えない南海の孤島で、長平はあとから漂着した十数人と数年がかりで流木や破船の残骸を集めて小舟を作り、島を脱出するという物語である。
この時長平は、12年半もの間人類文明のまったく及ばない無人島で生き続けた。
気力を失って病死したり、精神を病んで自死するものが相次ぐ中で長平を生きながらえさせたのは祈りの作用だったと小説は描写している。

また、数年かかって安定した生活方法を確立したのちに寄せ集めの材料で船を作って脱出するわけであるが、ボロ船で大洋に出るのは無人島に居続けるのよりは当然死亡するリスクが高い。
そこをあえて危険をおかして文明社会に帰り着こうとする人間の気持ちというのも、非常に興味深いものがある。

タイのサッカー少年たちには無事を祈るくらいしかできることもないが、せっかくがんばって助かった命であるからここは慎重に時間をかけて、元気で帰ってきてほしいと切に願う。
posted by ヤス at 13:28| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
少年たち
無事に帰って欲しいね

絶対
そんな境遇に遭いたくないわぁ

と思う今日この頃です
Posted by aoko at 2018年07月07日 20:13
救出にあたっていたダイバーが亡くなったらしい、非常に残念です。
Posted by ヤス at 2018年07月08日 07:07
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