2018年06月15日

普通名詞とは発見である

名詞には普通名詞と固有名詞がある。
そのように昔学校で習ったと思う。
ややうろ覚えだが、「漏れ無く重複無く」分類した場合、普通と固有以外には分けられそうにもない感じがするので、たぶんそれで合っているはずだ。
普通名詞とは、世界のある事物現象の中で似たものを集めて、その集合体に対して付けられた名詞であろう。
「犬」といえば、セントバーナードもチワワも、4軒向こうの家で飼われている薄茶色の雑種犬も、全部ひっくるめて犬である。
それに対して、「ヒロシ君ちのお父さん」ということになると、その人物はおそらく地球上のたった一人のことを指す。
「ヒロシ君ちのお父さん」は、普通名詞やら固有名詞やら助詞やらがくっついて出来上がっているが、しかしその出来上がった言葉は紛れもなく固有名詞的存在であることはいうまでもない。

普通このように、「普通名詞」と「固有名詞」について文章を書き始めた場合、その文章のオチの持って行き方として、「固有名詞」というのはオンリーワンな感じがする、だから「固有名詞」は「普通名詞」より偉い、という風にしたくなるような気がする。

しかしここで書きたいのは「普通名詞」の偉大さについてである。
今新しい「普通名詞」が出来上がるということの意味を考えてみると、そこにはある種の発見があったのだ、と考えていいと思うのである。
前述の「犬」という普通名詞は、いつ頃出来たものかは知らない。
おそらく、人類が狼を家畜に飼い慣らして狩猟のお供に連れたりするようになった時分に、「犬」という普通名詞は出来上がったのに違いない。
それは犬と野生の狼を分けるために出来た言葉かもしれず、あるいは家畜として役に立つ犬の機能を定義する意味合いがあったりしたのかもしれない。
いずれにせよ今となっては「犬」といったら、でっかいのもちっちゃいのも、働く犬も、メシと散歩と昼寝のサイクルをひたすら繰り返している犬も、同じ普通名詞の「犬」にくくられる。

あるいは人類の創作物である料理の名前にも、いろいろと普通名詞がつけられている。
たとえば「ラーメン」というのがあって、ただラーメンには味噌や豚骨や具材の種類とかつけ麺とか、無限のバリエーションがある。
ただ、今まで見たことのない新しいラーメンを見たときにも、我々はほとんどの場合、「ああこれはラーメンだな」とつい思ってしまう。

ラーメンを見たとき、我々はそこに何か「ラーメン性」とでも呼べるオーラのようなものを感じてそれがラーメンであると認識する。
その「ラーメン性」は、料理としてのラーメンが発見され、人々の間でその「ラーメン性」が形作られ共有されていく中で出来上がったのである。
その結果人々が「ラーメン性」を感じる料理は、「ラーメン」という普通名詞で呼ばれるようになった。
「ラーメン」という普通名詞の誕生である。

今までにない「普通名詞」を何かつくることが出来たら、それはものすごく面白そうだ、と思った。
posted by ヤス at 09:52| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
論文の一コマ????
Posted by aoko at 2018年06月15日 12:34
論文まだ考えてない。
Posted by ヤス at 2018年06月15日 13:46
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