2018年06月14日

オジサン的

一般に、オジサン的であることは世の人々から嫌われることが多いのではないかと思う。
これは決しておじさん一般が嫌われるということではなく、あくまでも「オジサン的要素」が嫌われるということである。
まあオジサンではなかったとしても、オバサンでもオジイサンでもオバアサンでもニイチャンでもネエチャンでも、嫌われる人は嫌われるものではあろうが。

しかし中でも特にオジサン的要素はいろいろとあぶない要素をはらんでいるのではないかと想像される。
今わたしの脳裏にぱっと思い浮かぶオジサン的要素は、自慢と言い訳であったりする。

オジサンに自慢が多かったりするのは、これはひとつには必要に迫られて、という面があることは否めない。
今ではかなり時代が変わったのかもしれないが、基本この世はオトコ社会である。
あるいはオジサン社会であるといってもよい。
男性主体の社会構造に年功序列システムがあわさって、オジサン社会はできあがる。
だからたまに仕事の会議に行っても、座っているのはほぼ99%オジサンばかりである。

それで世の中の偉い人のかなりの部分をオジサンが占めることになるわけだが、その人のポジションとその人の中身に大きく乖離があったりすると、少し具合が悪い。
それで少なくないオジサンが必要以上にマウンティング的行動に走って、必要以上におのれの権威づけのための自慢行動に走りがちだ。
あるいは、おのれの実力不足を塗糊するために言い訳がましくなったりする。

この間ハリウッドの戦争映画を観ていて思ったのであるが、映画の中でそのオジサン的要素が散見されてちょっと面白かった。
軍隊というのは、現場指揮官でも中尉や少尉の将校は「学校出」のエリートで、この人たちがたたき上げの軍曹や伍長や兵卒たちを統率する。
そうすると多くの場合現場指揮官の将校の方が若かったり現場経験が少なかったりする。
そうするとその将校は、出来の悪い将校であればあるほど言い訳がましく、自慢げになる。
軍隊における小隊長や分隊長はまだオジサンというには早い20代の若者だろうが、しかし映画の中では見事にオジサン的に見えた。

それで思ったのであるが、オジサン的であるには必ずしも現実におじさんである必要はない。
おじさんだからオジサン的になるのではなく、オジサン的であるからオジサンになるのである。
あとわたし自身が、ややオジサン的である場合が万が一にもあるかもしれないが、それはわたしがおじさんなのでしょうがないということにしておく。
いやしかし、できることならオジサン的でない何かで居続けたいものである。
posted by ヤス at 14:27| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
可愛らしいボクちゃんを目指すのなんてどー?
Posted by aoko at 2018年06月14日 23:36
うるせえよ。
Posted by ヤス at 2018年06月15日 04:57
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