2018年06月03日

毛利黒幕説

今日は6月3日であるが、昨日6月2日はいちおう400年ちょい前に「本能寺の変」があった日である。
ただこの6月2日は「旧暦」の太陰暦であり、「新暦」の西暦では1982年6月21日である。
とにもかくにも、旧暦の天正10年6月2日に明智光秀が京都の本能に宿営していた主人、織田信長を討ち滅ぼした。
そしてすぐ近くにいた信長の嫡男信忠も同時に討ち、この時点では下克上が成功して光秀が新たな天下びとになりおおせたようにも見えた。
しかし史実では、はるか200km離れた備中高松城で毛利軍と戦闘中だった羽柴秀吉が、あっという間に引き返してきて光秀の構想はあっけなく崩れる。

今さらであるが、6月2日はそういう日であった。
それで光秀が信長親子を討った実行犯であることは、あらゆる歴史資料が示していてほぼ明らかなことである。
しかしずっと議論されているのが、これが光秀の単独犯なのか、あるいは誰かの指示によるものなのかということである。
いちおう本能寺の変は、基本線としては光秀の怨恨による単独犯行というのが基本線にあって、まあいろいろと考えてみるとそんなに致命的な矛盾点があるわけでもなく、単独犯行のままでも十分に説得力のある話である。

にも関わらず黒幕説が根強いのは、智謀に優れ何ごとにも用意周到な光秀が、変からわずか11日後に秀吉に討たれていること。
優秀な戦略家の光秀があまりに簡単に討たれ過ぎじゃないかという点。
それと当時の信長は、周囲は敵だらけで「信長を殺したい」という動機を持つ人はたくさんいたことだ。
そういうことがあって、光秀の他に黒幕がいるんじゃないかというのは、普通に考えているとつい想像に浮かんでしまうということなのだろう。

世間で挙げられている主要な黒幕としては「朝廷」「イエズス会」「秀吉(黒田官兵衛)」「徳川家康」などがある。
それでわたし個人としては、秀吉黒幕、もしくは官兵衛黒幕説がいちばんしっくりくる。
実際は朝廷もイエズス会も、そして家康にだって「すきあらば」という気持ちはあったのだと思う。
あるいはそれぞれの動機が複合的に作用してこの時はたまたま光秀が実行犯になったということなのかもしれない。

あとネット記事に転がっていたが「毛利黒幕説」というのもあるらしい。
秀吉を介して織田軍と戦っていた中国地方の雄の毛利家が策謀を巡らして光秀を動かし、信長を討ったのだという。
確かに、毛利が黒幕だと秀吉が中国大返しを円滑にできた理由がすんなり説明できる。
ひょっとしたら毛利は秀吉ともつながって、彼が光秀の待つ山崎に向かうのを背後から襲うこともなくあえて黙認したのではないかと想像できる。

本能寺の変で思うのは、実行犯は証拠が残って分かりやすいけれど、黒幕がいた場合に後からその存在を証明するのはものすごく難しいのだなあ、ということである。
posted by ヤス at 13:13| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
皆の想像力がそこはかとなく歴史に魅力をつけてるんじゃないかしら?
あーでもないこーでもない
いや待てそーじゃないきっと‥
(*^_^*)
Posted by aoko at 2018年06月04日 21:18
黒幕は山口県の人。
Posted by ヤス at 2018年06月05日 07:51
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