2018年05月18日

暴力より知力の方が強い件

なんか今、アメフトの「危険なタックル」問題がニュースでたくさん流れている。
わたしは、あまりまともにニュースの内容を見ていないので詳細についてはまったくよく分からない。
日大の選手が試合中にルールで禁止された危険なタックルをして相手選手が怪我をしたとか、そのタックルは実は監督の指示だったとかいう話らしいが、しかしアメフトにほとんど興味がないのであまりそれ以上掘り下げてニュースを読もうという気力も起きない。

しかしこの問題はけっこうな社会問題になっているらしくこの数時間頻繁にニュースで見る。
だから以下、問題を一般論的に敷衍して、想像を交えながらやや適当に考えてみる。

スポーツにしても経済活動にしても、近代以降における人類の活動はかなりの程度ルールに定められた範囲内で行うことが決まりになっている。
それ以前の大昔の人類は、暴力によって勝ちをもぎ取るようなやり方が主流だったと思われる。
しかし人類は文明的になるにつれてルールによる社会秩序の維持ということをするようになる。

古代ギリシャの哲人ソクラテスは「悪法といえども法なり」と言ったとか言わないとかいう話があるが、その頃にはすでに「ルールに従ったほうがよい」という秩序維持の考えが出来上がっていたことが想像される。

それで思うのだが、なぜ人類は秩序のある社会を重んじるようになったのかということだ。
別に野生時代のように、全部暴力で決着をつければいいんじゃないのか。
ルールを守るとか面倒くさいことを言ってないで、脅したり暴れたりしてものごとを思い通りにすればいいんじゃないか。
それで最終的に力の強い奴が勝ち残ればいいのではないか。

人類が暴力よりも秩序を重んじたというのは、結局のところ暴力より知力の方がよりパワーが大きいということに他ならないということだと思う。
人類が地球上で今日の繁栄を築いた理由は、人類がライオンより喧嘩が強かったからではなくて知力が優れていたからであるのは間違いない。

また同じ知力を用いるのでも、嘘をついて相手を騙すのではなく、正直を貫いた方が周囲からの信頼が得られて最終的にゲームに勝ち残る確率が大きくなる。
そういうことがゲーム理論で数学的にきわめて厳密に証明されているらしい。

いろんなスポーツでいちいち細かいルールが決められているのは、一定の制約条件の中で工夫して勝利することは非常に「人間的な勝利」であって、そのよい練習になるという側面もあるのではないか。

あと、ボクシングなどの格闘技でもそうだが、スポーツ中に意図的に相手に怪我を負わせるのはほんとうは「傷害罪」だと思うが、しかし意図的かどうかの判断が難しく罪に問いにくい。
さらに今回の問題のように「誰が指示したのか」ということもある。
しかしそれだと怪我をする方はたまったものではないので、専門家がよく吟味してもう少し厳重に刑事罰に問うようにするとか、それこそ人工知能で判定する仕組みを導入するとか、その辺もうちょっと厳しくてもいいような気はする。
posted by ヤス at 09:37| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
暴力はなんだか痛そーじゃない
だから法律ができたんだわ
(*^o^*)
Posted by aoko at 2018年05月18日 15:39
勉強になります。
Posted by ヤス at 2018年05月18日 16:40
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