2018年05月15日

有印私文書を投函する

今朝、下駄箱の上に切手を貼った封筒を置きっぱなしなのが、ふと目に入った。

この封筒は本当なら昨日の朝に出すはずだったのに、なんやかんやしているうちに存在を忘れて約24時間放置してしまっていたらしい。
さあ今からシャワーでも浴びようかなと思っていたところではあったが、それでまた忘れると困ったことになるので、それでかなり面倒臭くはあったのだが、そのまま下駄箱から「つっかけ」を取り出して履き、徒歩3分の距離にある郵便局に向かった。

いや、本来なら徒歩1分のところに赤い郵便ポストがある。
そっちに投函する方がずっと合理的な選択といえる。
おそらく、徒歩1分のポストも3分の郵便局のポストも、朝の郵便物は集荷で一緒くたにされて中央郵便局かどこかに集められるのに違いない。
しかしこれは人間のサガというものだろうか、ぽつんと道端に心細げにたたずむ郵便ポストに投函するよりは、寄らば大樹とばかり白亜の郵便局の真ん前に誇らしげに立っているポストに投函した方が、何かより確実に届きそうな感じがする。

こういうところで合理的行動を貫けないのがわたしの弱さであろうか、と少し反省したりもしていたのだが、しかしよく考えてみるとそれ以前に、今の時代に紙の郵便物を物理的に送付しなければならないことの非合理について思いが至った。

世の中でEメールがポピュラーになってもう20年以上も経っているだろう。
そんな電子化時代に数百文字の情報が記入されたA4の紙切れを莫大なコストを費やして送付するのは恐ろしく理屈に反していないか。

ただわたしには、業務上紙の書類を郵送することがいまだになくならない理由はちゃんと分かっている。
それは「ハンコ」の存在である。
有印私文書は、その性格上なかなか電子的送付で済ますということにはいかないらしい。

ただ最近は携帯ショップでもハンコなしで契約ができる時代である。
近頃は「ハンコの不思議」についての議論も少しずつ聞こえてくるようになった。
そもそもハンコというのは、志賀島で発見された「漢の倭の奴の国王」の金印のように、皇帝からその地位を認められた各地の支配者が使ったりするものだった。
下々がハンコを勝手に作ったりすると首がはねられたりという時代がかつてはあった。
それが、時代が下って日本の戦国時代とかには、中央の権威が弱った影響もあったのか戦国武将が勝手にデザインした自分のハンコを使うようになった。
江戸時代以降にはそれまで母印とかで済ませていた庶民層も私印を使うようになり、明治時代になって法律によって印章制度が定められたそうである。

そういう経緯からすれば、偉い人から下賜された二つと無いハンコを押す場合か、あるいは戦国武将のように自分の文書に格好をつけてお洒落なハンコを押すというのが本来のハンコの押し方で、現在のように三文判でもなんでも押さないと文書の効力が発揮しないというハンコの押し方は邪道であるとしか思えない。

そんなことを思いながら、3分ほどかけてより遠いポストに封筒を投函したのだった。
posted by ヤス at 09:35| Comment(1) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
ハンコ押さずにハガキ投函して

総会参加って事で

よろしくお願いいたします。

(*^o^*)
Posted by aoko at 2018年05月15日 16:25
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