2018年05月10日

「小説」を書くことについて

昨日は「小説を読むこと」の意味について少し考えたのだが、それで結局結論までは出ていない気がするのだけれど、今日は「小説を書くこと」について考えてみることにする。
というのもこの間実際に小説を書くことがあって、それで人生で初めて「小説」についていろいろと考える機会を得た。
その時に感じたことなどを振り返ってみたい。

まず何が「小説」かというのが難しい。
それによっては、小説を書いたつもりが、実は小説ではないものを書いていたということになりかねない。
起承転結のような抑揚のある物語があればよいのか、なくてもいいのか。
登場人物は何人くらい必要か、あるいは登場人物のいない小説もありうるのか。
考えてみるとその定義はますます分からなくなる。

ところで漢字で「小説」と書くけれど、この語源は古代中国の歴史書「漢書」から出たらしい。
市中の出来事を王様に伝える文章として「稗史(はいし)」というのがあり、その稗史の中でも巷に伝わる伝承話とか王様にとっては特に価値のない「どうでもいい話」のことを特に「小説」として分類したらしい。
なるほどそれで「小説」の頭の「小」の字のニュアンスが分かった気がする。

さらに小説は英語では「novel」である。
これは「new story」を意味するラテン語が元であるらしく、つまり「新しい物語」ということらしい。
また「新しい物語」と同時に「奇抜な物語」というニュアンスもあるそうだ。

これらを無理やり総合すると「世間に流布している、取るに足りないけれどちょっと新しく、一風変わった物語」であれば「小説」または「novel」と呼んで差し支えない。
そういうことになりはしないか。

つまり「小説」というのは、世界を揺るがすような大事件を描く必要は特になく、その辺に転がっている日常の風景を描くのでまったく構わない。
むしろそちらの方が「取るに足らないお話」たる「小説」にふさわしい。

ただそこに、少しだけ新鮮に感じられる何か、心に引っ掛かる要素をどう加えるか、そのあたりが小説の品質に大きく影響を与えるのだろうと想像する。

しかし語源というのは調べてみるものだと思った。
世の中の取るに足らないどうでもいい話を書き連ねて、十分にそれが小説の範疇に収まるのであればこれは気分としてはぐっと楽になる。
後はこれが「new story」になっているかどうかだ。
そこが次に考えるべき宿題であるかもしれない。
posted by ヤス at 08:50| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
今から小説家になろーとしてる?
Posted by aoko at 2018年05月11日 17:24
すでに文豪。
Posted by ヤス at 2018年05月11日 19:31
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