2018年05月09日

「小説」の効用について

突然だが、少し「小説」というものについて考えてみたい。
わたしの読書量は、おそらく世の中の平均値より上だとは思うが、しかし読書家と言われるような種類の人々に比べるとそんなに多くない。
なかでも小説というジャンルの書籍を読むことはこれまであまりなかったように思う。
わたしがこれまでに読んだ小説といえば司馬遼太郎や宮城谷昌光などの歴史もの、吉村昭などのドキュメンタリー的なものが中心だった。
いわゆる純粋に文芸的な小説は、食わず嫌いというのか、読めばそれなりに面白いというものもあるにはあったが、あまりそればかりを読むということにはならなかった。

後、読書といえば科学や歴史などに関する新書(といっても電子書籍がほとんどだが)なども多いかもしれない。
とにかく、司馬遼太郎作品で読むものがなくなり、宮城谷昌光も文章に漢字が多くて読み疲れするようになって、歴史小説さえもここ数年やや遠ざかっている。

自分が小説を読まないことには少し心当たりがある。
小説にはいわゆる実利性というのが乏しい。
つまりあまり生活の役には立たない。

役に立たないということでいえば、人類のDNAにネアンデルタール人の成分が何パーセント入っているかとかいうような話の本を読んでもまったく役には立たない。
だがそういうサイエンス的な本を読むと少し賢くなった気分がする。
一方小説というのは、それを読み終わった後にオレは賢くなったぞと思うことがない。
娯楽的な小説などは読んでいる間確かに面白さを感じている。
脳内である種の快感物質が出ているに違いない。
しかしそれだけのことである。

また純粋文芸的な小説、例えば村上春樹のものはどこがどう面白いのか、あるいは多少人生の役に立つ教訓でも紛れ込んでいるのか、そのあたりの「効用」の在りかがまことに分かりにくい。
ただ何となく引き込まれる感じがして(それさえ感じない箇所もあるが)、読み終わった後何となく感動したような、していないような微妙な心情になる。

世の中の文芸小説というのは、そういう掴み所のなさ、あるいは解釈の幅の広さと言ってもいいかもしれないが、そのような分かりにくさに存在意義があるのかもしれないと今改めて思う。

ところで現在の日本国内の書籍市場というのは、雑誌やコミックなど合わせて1兆円を超えるくらいらしい。
データによっては1兆7千億円くらいとするものもあるが、書籍分類の仕方や電子版の扱いでかなり幅が出るのかもしれない。
そういう数字を眺めてみた感じ、日本国内における「小説」の市場はざっと2千億円くらいのように見える。

文字が読める日本国民一人当たり、おおよそ年間2千円とか3千円とか払っている勘定である。
世の人々は小説にいったい何を求めて金を払っているのだろう。
そこのところがわたしには明瞭には分からないわけであるが、しかしそうこうするうちに紙幅が尽きたのでまた今度落ち着いて考えてみようと思う。おしまい。
posted by ヤス at 08:35| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
久しく小説読んでないなぁ
漫画は常日頃からチェックしてるものもあるんだけどね〜
(*^o^*)
絵で読むタイプ
Posted by aoko at 2018年05月09日 12:50
読む人の割合がどれくらいか気になるな。
Posted by ヤス at 2018年05月09日 14:35
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。