2018年05月06日

騎馬民族匈奴の出現のいきさつ

昔、2千年以上昔のアジア大陸、中国の北方のゴビ砂漠のあたりに「匈奴」と呼ばれる遊牧騎馬民族が存在した。
日本で言えば弥生時代が始まって間もない頃のことだと思う。
匈奴は古代中国を描いた歴史物語にはたびたび登場し、最初に出てくるのは「戦国の七雄」の時代、秦の始皇帝が中国大陸を統一する直前だろう。

七雄のうちの一国の「趙の武霊王」が、自国の兵にズボンを履かせ馬に直接騎乗して戦う「胡服騎馬」を採用して戦力アップを果たしたわけだが、おそらくそのモデルは趙のすぐ北方を跋扈していた匈奴たちの姿であったと思われる。

古代中国の戦国時代には、土造の原始的な構造ながら既に「長城」が築かれているのでその当時から北方騎馬民族による侵略・略奪行為は始まっていたようである。
というか、どちらかというと黄河流域で沸き起こった中華文明が東西南北にどんどん拡張していって、北の端で初めて異民族とぶつかったのがゴビ砂漠の南の端のあたりだった、ということかもしれない。
それまで平和裡に暮らしていた遊牧民族は、勝手に草原地帯を耕して畑にしていく農耕民の出現に驚き、狩猟で培った騎乗・騎射の技術を活かしてにわかに一軍を催したのではないだろうか。
そういういきさつは専門家の本にも歴史小説にもほとんど書かれていないのだが、素人の自由な妄想の中ではそういう風景が浮かんでくる。

草原というのは、灌漑をして水を引きいったん耕して畑にしてしまうとなかなか元の草原には戻らないものらしい。
おそらく周辺の天候条件と土壌の乾燥具合のバランスの中でこそ緑の大地が保たれるということがあって、草原地帯をものすごい勢いで耕していく農耕民族は、草原を重要な生活基盤とする遊牧騎馬民族にとってはたいへんな脅威であったはずだ。
だから自分たちのテリトリーを侵す農民たちに定期的に打撃を与えてその北上を防ぐというのが年中行事のひとつになった。
遊牧民族たちはそのための襲撃技術や遁走術を磨いていくうち、それが本格的な軍事技術に変貌し、中華文明の正規軍をやすやす打ち破るほどに成長したのではないか。

「匈奴」というのはその人種的な分類とか、使用していた言語や文字の判定とかが不明の謎の民族である。
しかし上記想像したように「中華文明の北方拡張」が、そこにいた遊牧民を激しく刺激して、「匈奴」というひとかたまりの戦闘集団を生成した、そういう側面があるような気がする。

その辺のいきさつは、アフガンのタリバーンとか、ISとか、現在政情不安定な中東周辺の状況と若干の共通部分もなくはないと思う。

おそらく農耕民族というのは、自分たちの地道な「農耕活動」が匈奴のような存在を作っていることに無自覚なのではないか。
というのは根拠薄弱な歴史素人の妄想で、甚だ不確かな想像の域を出ない。
posted by ヤス at 10:34| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
耕したら元の草原になかなか戻らない?
耕しても放置してたら
またすぐに元の草原に戻るわよ
最近やたらと草が生えて困るぅ
( ̄◇ ̄;)
Posted by aoko at 2018年05月07日 20:52
今すぐ遊牧民になれる。
Posted by ヤス at 2018年05月08日 07:07
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