2018年05月05日

非日常体験と退屈

ゴールデンウィークも残り少なくなってきた。
多くの日本人が連休の間、全国の観光地に繰り出し、あるいは海外に渡航して束の間の非日常を楽しんだことだろう。
そして少なくない人々がそれらの観光地で押し寄せる客を相手にせっせと商売に汗を流したのだろう。
(まだ終わっていないが)

それでもう帰省ラッシュが始まっていて、主要な高速道路とかは大渋滞に見舞われている。
しかしこのような光景は、年間に数度ある大型連休期間中のいわば風物詩である。
だから高速道路で渋滞が20kmとかいっても、「去年は22kmだったけな」とか思ってなんとか我慢できるのに違いない。

大型連休で観光地に繰り出すのは一種の「非日常体験」であるが、しかし一年を通した繰り返しの行事として見てみればやはりこれも日常風景の範疇を出ていない、と思えなくもない。

ところで大型連休のたびに人々が観光地に繰り出したりするのは、やはりたまには新鮮な刺激を入れないと人生が退屈になるからだろう。
しかし5年10年のスパンで俯瞰してみると、連休のたびに少し遠出をして観光をしたところで「なんか連休でドライブもそろそろ飽きてきたな」とか思ったりするのではないか。
それで今年は思い切って家で存分にごろ寝をして過ごしたりすれば、あるいはそれが新しい非日常になるかと言えば、そうでもない。

非日常というからにはそれなりの強さの「刺激」が必要なのであり、それは家でごろ寝では得られない。
やはりいつもいる場所とは違う場所にテレポートし、会ったこともない人、それがどこにでもいそうなありふれたおじさんおばさんとかでも、そういう初めて顔を見る人とひとことふたこと会話を交わすとかうのでも、それなりに非日常な感じがする。

おそらく人間の脳みそは、想像以上に退屈しがちなものらしい。
赤ん坊の頃は何をするのも初めてで新鮮で、驚きの連続であったものが、だんだんと人生経験というのに慣れが出てきて、過去のデータベースの引き出しの範囲でいろいろとやり過ごすことができるようになってくる。
それは20歳代30歳代くらいならまだしも、40年50年と生きてくるとどんどん新しい刺激が薄まってきて、これは脳みそ的にはけっこうクライシスな状況なのに違いない。

だから人々は連休のたびに刺激を求めて遠方に繰り出す。
だがその年に数度の刺激もまた年月を経るうちに効果が薄れる。

何十年も生きてなお脳みそを退屈させないよい方法としては、日常生活の中に非日常的体験がしょっちゅう出て来る、そういう波乱万丈な毎日を送るのがいちばんである。
しかし見渡したところ、そのようなけっこう疲れる波乱万丈の毎日を送っている人はそんなには多くないかもしれない。
しかしそれでも各人類が首の上にいただいている脳みそは、定期的に刺激を求め、刺激を得るために連休のたびに遠出をして渋滞に巻き込まれる。
なんとも因果な人間のサガである、と思わずにはいられない今日この頃であったりする。
posted by ヤス at 09:28| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
連休は家の近くの道が大渋滞になる
この非日常はちょっと困るぅ
Posted by aoko at 2018年05月05日 22:11
困った非日常もあるのね。
Posted by ヤス at 2018年05月06日 08:25
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