2018年05月04日

ゴム膜としてのルール

この社会にはいろいろとルールがある。
法律とか条例とかそれを破るとなんらかの罰を受けるのもあるし、道徳とか倫理観とか、なんとなく社会的に共有されているゆるいやつもある。

生きているとたびたびこのルールにぶつかることがあって、なんなら時々破ってしまうこともある。
車で道を走っていて制限速度を超えることなんかはよくあるし、「このことは誰にも言わないで」と言われて聞いた話をよそでべらべら披露するようなこともあるかもしれない。

ルールの破り様にも様々あって、意図的に「悪意」を持って破ることもあれば、ついうっかり、知らない間に破っていて、あれいけねえと思うこともある。
とにかく、この世にはルールがあり普通に生きているとたまにはそれを破ることもあるのである。

そうやって考えると、「ルール」のイメージについてのある想念が脳内に浮かんで来る。
それはトランポリンに張られた布のような、あるいはゴム風船の表面のような弾力のあるゴム膜のようなものの気がする。

ルールに関して「セーフ」と「アウト」の二つの領域があってその二つの世界を分けている膜が「ルール」である。
人々は普段は「セーフ」の領域で活動しているが、何かの拍子に「ルールのゴム膜」に近づいて行ってそれを突き破ろうとするような格好になる。
だがその膜には弾力があってある程度の「破り具合」であれば膜に穴が開くことはなく、その弾力によって人々を「セーフ」の領域にそっと押し戻す。

そういう、ルールを破りがちな人には都合の良すぎるイメージを想像してみたのだが、しかし実際問題、ルールの種類によってはみんなしょっちゅう破っており、それにいちいち全部罰を与えていると世の中が忙しくなり過ぎるという側面は間違いなくある。

だからゴム膜を突き破って穴が開いた案件のみ罰を与える。
どんな時に膜が破れるのかというと、実はそれはかなり偶然に左右されるいい加減なもののような気がする。
いや、膜が破れるかどうかは「運次第」なのは間違いなく、この間は大丈夫だったのに次の時は驚くほど簡単に穴が開く、みたいなのが普通なのである。

ルールというのは人間が作ったものなので、これによって犬や猫が罰せられることはない。
それどころか人間でも、ルールを承服しない、つまり国家とか世間とかを承服していない人は実は原理的にはルールの仕組みの外側にいるとも考えられる。
つまりルールのゴム膜の形、構造は人によって全然違っている可能性だってある。

気まぐれで捉えどころがなく、しかし突然罰を与えて来たりする「ルール」とは、そういうイメージで付き合った方がいいんじゃないかとふと思ったが、まあそういうことでもないのかもしれない。
posted by ヤス at 07:45| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
人間が作ったルールだから
人間として守ればいい話かもしれない
ただそのルールも見直す事も必要だと思うわぁ
Posted by aoko at 2018年05月04日 14:14
承知しました。
Posted by ヤス at 2018年05月04日 14:39
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