2017年06月12日

零式艦上戦闘機二二型

今月の3日、4日に「レッドブルエアレース」という単発プロペラ飛行機によるレースがあったらしい。
そこで復元された「零式艦上戦闘機二二型」、つまり旧帝国海軍の「ゼロ戦」が展示飛行を行った。
復元されたゼロ戦が日本の空を飛ぶのは20年ぶりだとネットニュースには書いてあった。

ゼロ戦は、第二次世界大戦の日本軍を象徴する存在であると言われることがある。
それはつまり、ゼロ戦が1940年の夏に中国戦線に初登場してから太平洋戦争初戦の真珠湾やインドシナ戦線、そして1943年頃のガダルカナルくらいまでは圧倒的な「キルレシオ」(被撃墜に対する撃墜率)を誇る無敵の戦闘機であったのが、戦争中盤以降敵の対策が進んで急激に勝てなくなっていったからだ。

太平洋戦線初期の連合国軍の戦闘機は、米海軍がF4Fワイルドキャット、米陸軍はP40ウォーフォークやP38ライトニングなど、イギリス空軍はハリケーンなどだったがいずれもゼロ戦との空戦では分が悪かった。
また1943年にオーストラリア上空でゼロ戦と戦ったスピットファイアは新型のマーク5型であったそうだが、高出力のロールス・ロイス・グリフォンエンジンを積んだ高速機で、欧州戦線ではドイツ軍のBf109Fと互角以上だったにもかかわらずゼロ戦にはかなり苦戦した。

その後アメリカ海軍は大型戦闘機のF6Fヘルキャットが主力になり、陸軍も超大型のP47サンダーボルトが出て来て対戦後半にはP51マスタングが主力になる。

この間、日本海軍はゼロ戦を細々と改造してずっと主力に据えたまま。
ちなみに「零式艦上戦闘機二二型」の、型番の最初の二は機体番号、次の二は発動機番号である。
だから二二型は最初の型に対して機体にマイナーチェンジ(主翼端折りたたみ)を一回加え、発動機も換えた(栄一二型→二一型)やつだ。
最終的にゼロ戦は五二型が主力で終戦を迎える。
機体のマイチェン6回目の六二型も数百機作られているがこれは急降下爆撃能力を付与された戦闘爆撃機型で、最後の方は特攻に使用されたらしい。

つまりこの間ゼロ戦のエンジンは1回チェンジされただけ。
スピットファイアなどは対戦中に「マーク22」まで延々と改良が加えられ、エンジンは最初千馬力程度のロールス・ロイスマリーンが2千馬力超のグリフォンにまで強化されている。
ゼロ戦の方は栄一二型の940馬力が二一型の1130馬力になっただけである。

機体改良以外にも、レーダーの導入や編隊空戦方法の刷新など戦術面でも日本軍はどんどん立ち遅れて、戦争の終盤ではかつてカモにしていたF4Fにも勝てなくなっている。




日本で国家が成立し大和朝廷が出来上がる頃、当時の「日本」はかなりの積極外交を行っており朝鮮半島にも何度か大規模派兵を行ったらしい。
しかし半島介入政策は最終的にはうまくいかず、有名な白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗戦を喫する。
以来豊臣秀吉の半島遠征まで引きこもりの消極外交時代がずっと続き、秀吉以降は明治維新まで再び引きこもる。

要するに日本という国は歴史的に戦争下手の国なのである。
秀吉の時もそうだが、たまたま技術革新が上手くいって一時的に強くなっても、継続的に強い状態を維持することができない。
少なくとも歴史的にはそういう実績がない。

ゼロ戦二二型は、そういう長期スパンでの日本歴史も象徴している、と思った。
posted by ヤス at 10:11| Comment(0) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。