2017年05月29日

慣れてくると事故しやすい

大昔、運転免許を取りに教習所に通っていた若かりし頃、クルマの運転はちょうど慣れてきた頃がいちばん事故を起こしやすい、みたいな話を聞いたような気がする。

車の運転は慣れていないと、次はクラッチを踏んで、そしてミッションをセカンドに上げてとかいうことをいちいち明示的に考えながらでないと上手くいかない。(マニュアルミッション車の場合です)
つまり運転の手順を「運動能」とも呼ばれる小脳で処理するのでなく、大脳でいったん言語化して考えることが必要である。
どうも動作手順をいちいち言語化して処理していると、小脳と大脳のやりとりの「コンパイル」に若干の時間がかかる。
動作がワンテンポ遅れるためにクルマの動きもギクシャクする。


しかしそういう動作がギクシャクしている時期よりも、ある程度小脳で処理が完結し動きがスムーズになった方が事故の可能性が増えるとしたら、それはどうしてだろう。
これは今適当に思いついた想像であるが、たぶん運転経験がまだ多くない段階で運転処理を自動化すると、危険事象の発生時に対応するパターンの当てはめを間違えることがあるからだろうと思う。

かなりの程度経験を積んだ段階では、例えば横から突然歩行者が飛び出てきた場合に「ブレーキをかける」「ハンドルを切ってよける」などの回避動作が大脳と小脳のコンパイル作業抜きで出来るようになっている。
しかし経験少なく、危険対応の回避パターンが小脳にインプットされていない場合、突然の出来事に小脳はフリーズするか、あるいはその時点でふと我に返って大脳で時間をかけて言語的に対応を考える、ということになると思う。


クルマの運転に限らず、少し慣れてきたがまだ経験値が少ない段階、というのは他のいろんな場面でも起こりうる。

あるいは、十分長いこと運転して慣れている人でも、突然田舎から都会に出てきて交通状況が変わるとかいう場合には、まるで初心者のようにとまどうこともあるかもしれない。

話はずいぶんと飛ぶのだけれど、今の日本という国家の置かれた状況、これもこのクルマの運転に喩えることが出来はしないか。
「日本」は戦後長いこと平和国家として安全保障のことをほとんど考えずに経済成長に専心してきた。
この数十年間、国家としての行動についてほとんど明示的に意識すること無く半ば自動運転で来たのではなかったか。

石油ショックとかプラザ合意後の円高とか、高度成長の延長線のさらなる効率化路線で乗り切ったのも、そこには言語化された思考はあまりなくただ自動的にそう対応したようにも見える。

しかし最近の20年くらいでいろんな状況が凄まじく変わった。
特にこのところ隣の方の国から定期的にミサイルが飛んできて、弾着点がだんだんこっちに近づいている。
こういう今の状況は、従来の延長線上の自動運転では上手く乗り切れないと思う。

しかし日本では、今までの数十年の小脳的学習パターンを相変わらず当てはめようとする傾向が強すぎはしないか。
特にわたしのようなオジサン世代以上の人間はよくよく自戒しないといけない。
その辺が日本の混迷の理由ではないか、と思ってみたりした。
posted by ヤス at 16:40| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
なんで、ミサイル作るんだろう?
ミサイル作るより、国を豊かにして行く方が政治をしてても楽しそうだけどなぁ。
不思議な国が多いわね。
Posted by aoko at 2017年05月30日 12:52
ミサイル作んのはけっこう楽しそうだぞ。
Posted by ヤス at 2017年06月02日 09:13
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