2017年05月23日

無理好きの本能

さて、いつも同じことばかり書いているような気もするのだが、人間というのは、無理をするい生き物であると思うのである。
無理をするというのは、野生動物にはない「自我」の働きによるものであろう。
野生の世界では無用の無理はしないのが決まりである。
しかし人類は無理をすることによってDNA的生物進化とは別系列の人工的進化の道筋を手に入れた。

今、日本の陸上競技界では日本初の100m10秒切りが話題になっている。
100m競技の最初の公認世界記録は、ウキペディア情報によると1912年の10秒6であるらしい。
思ったよりも速い。

そこから56年後、メキシコオリンピックで9秒9の記録が生まれ、100年ほど経過してボルトが9秒58というのを出した。
人類は100年かけて100mの記録を1秒縮めたわけだ。

陸上競技でも水泳でもその他のスポーツでもそうであるが、競技の一線で活躍するには厳しいトレーニングは不可欠である。

そしていつも思うことだが、特にタイムなどの記録を競う競技の場合、世界記録は時とともに確実に少しずつ向上している。
マラソンは2時間切りを目指し、100m走は次は9秒4台がターゲットになるのだろう。
現代人はどちらかというと確実に野生生活からは遠ざかり、体力的には厳しくなっているような気もするのだが、しかしスポーツの記録は上がる一方。

これは走り方のフォームやペース配分、スタートのテクニックなどの技術系の知見が積み上がり、そして同時にトレーニングの技術も進化しているからだ。

そしてスポーツのトレーニングはある種究極の「無理」であると思う。
トレーニングの進化というのは、「無理」の仕方の進化である。

人類は、もはや狩をするために速く走る必要もなく、ただ移動するなら自転車やバイクだってある。
しかし記録のためだけに、科学技術も総動員していろんな種類の「無理」をするのだ。

マラソンのトレーニングも、疲労骨折とか怪我をしないギリギリまで追い込んだ「無理」をした選手がオリンピックなどで勝利を得る。

人類の社会でこのように各種のスポーツが盛んなのは、人類の「無理好き」が反映されているような気がする。

おそらく人類の「無理好き」は本能的なものである。
ふとした瞬間になんとなく無理してしまうのが人間というものではないか。

そして現在日本で議論が巻き起こっている「働き方改革」にも、このような人類の「無理好き」本能に関する考察が必要ではないか、とも少し思うのである。
posted by ヤス at 12:06| Comment(0) | 徒然なるままに
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