2017年05月19日

捨てる痛み

多くの人間にとって、何かを得る喜びよりも何かを失う悲しみの方が大きい、そういう話をたまに聞く。
だからなのだろう、物が捨てられなくてだんだん家が狭くなるという現象はかなり一般的のようである。

わたし自身を振り返ってみてもなかなか物が捨てられない。
この間も、自分的にはかなり思い切ってもう長いこと着ていない服をいくつか廃棄処分した。
もともとわたしは、仕事の時以外は大抵ジャージとTシャツで生きているので、それ以外の服は本来ほぼ必要ではない。

しかし長く生きていると、さほど必要でもない服が、いつの間にかたまっている。
ユニクロで買った2千円くらいの上着とか、つい出来心で買ってしまったようなものなどである。

それで少し思い立つことがあって、そういうのをばさっとまとめて捨ててみた。
今まで不要の服が占めていた空間が解放されて、確かに家の中がスッキリしたように思う。

しかし服を捨てるときに、胸の奥にかすかな「痛み」を感じたのは確かである。
週に2回あるゴミの日に、そういう痛みを感じることはない。
人間は、ゴミを捨てるときには痛みを感じない。
しかし日常の品を「ゴミ化」するとき、まだ実用に耐えるものをゴミに変換するときに、心に痛みを感じるものらしい。


TV番組などでアイドルが先輩の要らなくなった服を後輩がもらうみたいな話を時々している。
これは職業柄、私服も新しいのをどんどん導入していないと次の握手会に行けない、みたいなことがあって、しかし家の収納キャパシティには限界があって既存の服を処分しないといけない。
そういう時は捨てるのはストレスになるので誰かにあげてしまおう、ということなのだと思う。

服以外では書籍も捨てられないものの最右翼であろう。

ということで、服にしても書籍にしてもリサイクルショップができていて、不要のものを引き取ってくれる仕組みができている。

そう言えば先日来、ブックオフの経営悪化のニュースが流れている。
これは中古品ビジネスそのものが縮小したのではなくて、ブックオフの顧客がネットオークションに流れていっている結果らしい。

ブックオフには定期的にマンガなどを持ち込む固定客がいるのだろう。
そういう客は、少しでも高く売れるほうがいい。
手間を考えてもネットで売ったほうがよさそうなら当然そっちに流れるだろう。

しかしこの場合買取価格の高低だけが集客要素になって、それだとリサイクル業者的には厳しいのではないか。
もっと、物を手放す時の心の痛みを考えた商売を考えたほうがいいんじゃないか、とふと思ったのだが、もう考えてやっているところもあるのかもしれない。
いずれにしても、ものを捨てるのはなかなか大変だと思った。
posted by ヤス at 10:43| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
知らぬ間に、私が捨ててあげようか?
なら、心も痛まない。
Posted by aoko at 2017年05月19日 13:44
それがいちばんつらい。
Posted by ヤス at 2017年05月19日 14:14
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