2017年04月16日

日本的統治

今の日本には色々問題があるが、それでも他の多くの国に比べるとかなり過ごしやすい国のような気がする。
よその国に住んだことがないので実際のところはよく知らないが、多分そう思う。

その理由は、まず日本は様々な意味での自由が概ね保証されている、ということがある。
この国には、過剰に場の空気を読んで自縄自縛に陥ったりする謎の風習とか、メディアが過度に権力の意向を忖度して追唱報道を行ったりということはある。
またあまりに社会的に突出すると検察権力に拘束されたり、未熟な司法制度のせいで無辜の人が冤罪で罰せられたりという統治システム上の欠陥もあったりする。

ただし検察の捜査動機は、多くの場合国民世論の空気を読んだ結果だったりする。

しかしまあ、一般庶民がごく普通に生活するにおいては、発言も行動もほぼ自由で制限がない。
欧米のいくつかの国、特にイギリスなんかはロンドンの街中に監視カメラが設置してあって、そういう監視体制は国民にとってはある種無言のプレッシャーになっているのではないか。
こういう監視体制は、テロの脅威がよほど身近にあるためなのだろうけれど、想像するだに息苦しい。

ただ時々思うのは、日本における自由というのは、世間に漂う「空気による縛り」がかなり有効に働いていて、その分の抑制効果がある意味国家による規制や監視体制を肩代わりしているのではないかということである。

これは、アジア的というのか、日本的というのか、個人の権利よりも社会規範を重要視する風土の賜物であると思われる。
この間から問題になっている行政官僚組織における忖度騒動やメディアの自主規制など、我々には「お上」の意向を先取りして、統治業務の一部を自主的に実施する仕組みが社会に組み込まれているのではないか。
また自動車業界における馬力規制とか、行政命令によらない業界自主規制というのも日本の特徴だろう。

それらの自主規制は、権力側の指示命令によるものではないので責任の所在はあくまで自主的に規制している業界側に存する。

忖度社会の特徴は、責任ある立場の人や組織が責任を取らず、忖度する「下々」の方の人間が責任を一身に引き受けるというところにある。
なにやら赤穂浪士の忠臣蔵を思い出さないこともない。

おそらく日本における「お上」というのは、神輿に担がれて「無為の治」の流儀で統治を行うイメージなのだろう。
そういう日本的統治って果たしてどうなのだろう、と思ったりしている。
posted by ヤス at 07:58| Comment(0) | 徒然なるままに
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