2017年04月11日

人生の不平等 前編

よく、ぐれた子どもが親に言う決めゼリフとして「産んでくれと頼んだ覚えない」というのがある。
まったく、子どもとしてはどんな家庭環境に生まれてくるか、どういう人物を親に持つかは一種のバクチである。
最近の調査では、富裕家庭に生まれた子どもは教育機会も手厚くなって結果よい大学に進学可能となり、将来の年収も貧困家庭生まれより高くなる傾向がある、という結果が明らかになっている。

運命論というのはあまり信じたくないけれど、子どもとしては生まれ落ちた瞬間にある程度人生の方向性が決まっている、という感じになる。
もちろん豊臣秀吉のように極貧の身から天下人になる例もあるし、その逆に金持ちからホームレスに転落する例も枚挙にいとまがないだろう。

しかし統計的に俯瞰で見る限り、どんな家庭環境に生まれるかはその子どもの人生にとって影響が大きい。
それは喩えるならマラソンのスタートラインが他の人より1kmとか2km前方からスタート出来るイメージかもしれない。
それは実力差によっては逆転不可能な差ではないが、場合によっては絶対的なアドバンテージになりうる。

ましてや視点をグローバルに広げると、平均国民所得が年8万円のコンゴ民主共和国の貧困家庭に生まれるのと、今の日本の年収800万円くらい、そこそこ豊かな家庭に生まれるのとでは、人生の困難さや寿命・健康状態なども考え合わせると恐ろしいくらいの不平等があるのは間違いない。



こういう根源的な不平等というのは、普通の日常ではあまり意識されないけれど、ひとたび人生の困難にぶち当たった時、会社をリストラされたとか大病を患ったり大失恋をしたとかいう時に、ふと脳裏によぎるものであろう。
自分の人生における不幸は、育った環境に恵まれなかったせいではないか。
自分だけが著しく、人類における不平等の害を一身に負っているのではないか。

そういう被害妄想が自分の身にもいつか生じないとは限らない。
そして、今各地で頻発している暴力事件や銃乱射やテロ事件などは、その類の被害妄想がいくらか影響していることはこれも間違いない。

テロや銃乱射にまで至らずとも、やけ酒を喰らって健康を害したりやる気を失って仕事に支障を来たしたりということは十分ありうる。
だから我々は、来るべき人生の危機に備えて人類における人生の絶望的不平等に対する心構えを日頃から用意しておくべきだろうと思う。

そのことについて今から考えようかとも思ったが、今日は長くなったので続きはたぶん明日書く。
posted by ヤス at 11:15| Comment(0) | 徒然なるままに
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