2017年03月15日

篠山城

さて、お城の話だ。
兵庫県のわりかし山奥の方に、篠山城というのがある。
ここは毎年3月第一日曜日に篠山ABCマラソンが開催されてその発着点になるところで、わたしも過去に3回くらい出走したことがある。
そのうち一回は吹雪の中でベストタイムを出したそれなりに思い出深い場所である。
もう10年以上前の話だが。

で、その篠山城であるが、ここは近世城郭史跡としてもなかなかのものだと思う。
まず、石垣が高くて立派なものが往時のままに残っている。
そして幅の広い水堀が高石垣をぐるりと囲んでいて、さらにその濠の要所の3箇所に「馬出」と呼ばれる戦闘陣地が設置されている。
(馬出のうちのひとつはほとんど埋め立てられて現存しない)

馬出は出入り口に設置される防御・攻撃用の施設である。
篠山城は徳川氏のもとで多くの城を縄張りした藤堂高虎の手になるものだそうだ。
幅の広い外堀と高石垣、四角い形の馬出は藤堂高虎の築城の特徴で、濠の幅は当時の火縄銃の射程距離を意識したものらしい。

篠山城は、1609年に徳川家康が山陰道の押さえとして築城を命じたものである。
ちょうど関ヶ原の戦いと大阪の陣の間の時期で、豊臣陣営包囲網の一環としてわずか6ヶ月ほどの突貫工事で築城された。
工事をあまりに急いでいたので、天守閣を建てる土台の天守台までは造っていたがついに天守閣そのものが建つことはなかった。

篠山城は外堀の一辺が約400mのほぼ真四角の形をしており、その周りをてくてく歩くとサイズのデカさを実感できる。
もし籠城戦をすれば、たぶん数千人単位の兵を楽々収容出来ただろう。

篠山城は城の分類上「平城」になるのだろう。
日本のお城は古いのは自然の高い山を利用した「山城」がほとんどで、年代が新しくなるほど平地に降りてくる感じである。

山城と言えば、現存天守が残る備中松山城や天空の城で有名な竹田城があるが、そういう山城は麓に日常の行政事務を行う屋敷があって、いざという時には山の上のお城に籠城することになる。
実際に備中松山城では信長の中国平定戦に伴う宇喜多と毛利の小競り合いがあって実戦も経験しているようだ。
その痕跡なのかどうか、備中松山城天守の一階には暖房用の囲炉裏が掘ってあって、それを見ると籠城時のひもじい感じが伝わってくる。
(実際には城内での火気は火事の恐れがあって囲炉裏は使われなかったらしい)

そこへいくと、立派な濠と高石垣で守られた篠山城は、籠城よりはむしろ攻撃軍の出撃に重きをおいているようである。

だから山城よりは平城の方がその背後にある権勢の強大さが見えて、もしお城をもらえるなら断然平城がいいと思った。
(たぶんもらえないけれど)
posted by ヤス at 14:02| Comment(0) | 徒然なるままに
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