2017年01月23日

ユニフォームの効用

昨日、仕事をしている人のスイッチのことを考えていて、その続きである。
職業によっては、制服=ユニフォームがあるものがある。
軍人、警官、お店のユニフォームや工場の作業服などがパッと頭に浮かぶ。
ついでに言うと小学校や中学・高校の生徒が着る制服もある。

その制服の効用も、それを着ることによって心にある種のスイッチを入れるための装置であると思われる。
学校の制服の場合、場合によっては制服が無くて私服で通うパターンも多い。
わたしの場合、小学校五年生まで制服で通っていたのだが、六年生になって私服の学校に転向したことがあった。
その時に、制服だったのが私服で通学するようになって何を感じたか、もうはるか昔のことなので憶えていないが、着ていく服を毎朝吟味しないといけない心理的負担は、わたしの場合かなり面倒臭い事態だったのではないかという気がする。

制服には、それを着て職場に立つことによって「仕事のスイッチ」を入れる効果がある。
その場合のスイッチオンの内容には、喋り方がテキパキしたりお辞儀の仕方がキレ味良くなったりする効果とともに、その職業に対する心構えや思想を頭の中に明確にすることがあると思う。
あるいは職業に臨む姿勢に加えてその組織の一員としての帰属意識、忠誠心などというのも制服を着ることの意味に含まれるのだろう。

そんなことを考えていると、軍人の制服というのは数ある制服の中でも究極的な制服のような気がする。
兵隊の制服を着ることの意味は、敵兵を殺したり自分が敵兵に殺されたりする戦場に自ら進んで放り込まれることを意味しており、それによって敵味方がきっちり識別され、敵を欺くのにわざと敵の軍服を着て撹乱したりすると国際法的に問答無用に殺されても文句が言えない。

軍服の効用は、殺したり殺されたりという人間性の許容範囲を大きく超えるような精神的犠牲を兵士に強いるほど、かなり強力だ。
しかしその他の平和的な制服にも、軍服ほどではないにしろ、心の在りようをある一定方向に「前倣え」させる機能があると思われる。
小学校の制服でも、その制服を着ていれば、外から見てその子がどこの学校の生徒かよく分かるし、着ている本人にも、制服を着ていることによるある種の緊張が発生するものと思われる。

そういう意味では、今まで制服の小学生だった子供が私服で学校に通うようになることは、ちょっとしたステルス機能の獲得である。
そこではたぶん、少しだけかもしれないが気持ち的に自由な気分が発生したはずであるが、はてどうだったろう。

制服と似た機能を果たすものとして、肩書きとか、またカタチはあまり無いが「どこそこ会社の社員である」という強い帰属意識などがある。
制服の場合、それを脱いでしまえばとりあえずカタチ状はその人はただの個人に戻ることが出来るが、肩書きとか帰属意識はその人のアイデンティティと一体化して、なかな脱ぐことが難しいのかもしれない、などと思った。
posted by ヤス at 08:52| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
自動車販売店の受付などしてる女性の制服。
カローラ店で勤めてるとVW店の制服がおしゃれに見えるらしい。羨ましがってた。
Posted by aoko at 2017年01月23日 12:51
VWのを入手して着ればよい。
Posted by ヤス at 2017年01月23日 17:54
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