2017年01月21日

謙虚と自信

この間、何かのネット記事で自己評価と能力の関係、みたいなのをチラ見した。
一般によく努力して能力が高い人というのは、みな自己評価が厳しめだという。
逆に、自己評価の甘い人、実力以上に自分は出来るやつだと思い込んでいるような人は、努力も甘くなって能力も低くなる。

まあ考えてみれば当たり前の話に思える。
それに、大きな声では言えないが、わたし自身は当然のことながら自己評価はわりかしちゃんとしてると思いますよ、と思っていたりする。
しかし、自分自身のその自己評価は果たして適正か。
そう考えると確かに少し焦る感じがしないでもない。

第一、客観的な適正評価がどの程度かというのが、なかなか明確でない。
自分の仕事の出来具合や人間関係の力量、あるいは精神的なタフさとか他人に親切かどうかなど、そういうあいまいな領域における評価は、客観化とか数値化でスパッと明確になりにくい。

明確になりにくい評価領域では、どうせ自分のレベルは誰にも分からないのであるから、自分の希望的観測に沿った水準に自己評価が高止まりするのはまあしょうがない気がする。

そういうあいまいな領域においてもなお、自身の強み弱みを正確に把握しようと努め、不足する部分を補おうと努力出来る人が、結果能力的に秀でて来るものであるらしい。


「謙虚」という概念が、特にアジア儒教圏にはわりかし深く根ざしている。
いつでも偉そうにしない、へりくだって丁寧を心がける、目下の人にも敬意を保って接するなどの基本姿勢は、意地悪く考えると「出る杭」が生じるのをなるべく防いで為政者のまつりごとを容易にする効果もあったろうが、それとは別に人間形成のひとつの教訓としてそれなりの効用があったものと考えられる。

しかし、この世を生きていくにはもうひとつ重要な資質が要る。
「自信」である。
何かにチャレンジしようという人は、「絶対上手くいく」「たぶん上手くいくかな」「ひょっとして上手くいくかも」など、必要最小限であってもいくらかの自信がないと前には進まないものだろう。

真に優れたチャレンジャーというのは、日頃は謙虚に自分を磨きつつ、いざチャレンジの際はそれなりの成算、自信を抱いているに違いない。

そのような謙虚と自信の両立は、考えてみるだに容易ではないように見える。

話は変わるが市民マラソンの大会では、たいていのランナーが最初の数キロ走ったところで「今日は調子がいいなあ」と感じてそのままオーバーペースになる。
こういうのをランナーズハイならぬ「セカンドウィンド」というらしい。
しかしマラソンで自身の限界に挑むのであれば、やはり最初から飛ばして行かないといけない。
「ベストラン」はたぶん無謀と紙一重である。

そんなことを考えていると、世の中がチャレンジャブルになるためには、謙虚よりも自信過剰が少し勝るぐらいの方がいいと感じる。
どうせ精神状態のバランスが狂って傾くのなら、謙虚側より自信側に傾くぐらいでなきゃあいかん。
と、思ったりした。
posted by ヤス at 15:59| Comment(0) | 徒然なるままに
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