2017年01月18日

無の境地

長く生きていると、それなりにいろいろな試行錯誤をするものである。
何かを計画して時々上手くいったり上手くいかなかったり、というかだいたい上手くいかないことが多いわけだが。
で、結局のところいちばん難しいのは、自分を動機づけること、自分自身のやる気を起こさせてそれを維持することだなあと感じる。

しかし「やる気」というのはいったい何者であろうか。
我ながらやる気があるな、と思う瞬間が時々あったりする。
例えば客先で打ち合わせをして「それじゃあその件は帰って書類にまとめてまた提案させていただきます」とかなんとか言って、その時はどういう風にまとめようかとあれこれ頭の中で想像を巡らせながら帰路に着く。
その瞬間は、やる気がみなぎって早くパソコンの前に座って作業を始めなきゃ、と思っていたりする。

しかし帰っていざパソコンのスイッチを入れた瞬間に、すーっと熱が冷めたように脳みそがフリーズして来て、作業を始めるのがなんだか億劫になることが多い。
あれは不思議な感覚だ。

結局のところ、客先からの帰り道に頭の中でいろいろ考えているのは、脳みそにとっての暇つぶしのようなもので、それほど負荷が掛かっているわけではない。
これは、マラソンを走っている自分をただ頭の中で想像するのは、少し脈が上がってドキドキしはするけれど本当にはしんどくないっていうのと同じようなものだと思う。
実際にマラソンを走ると、特に最後の方はゼーゼーと疲労困憊してなぜこんなのに参加したのだろうかと後悔する。

パソコンの作業というのも、マラソンとは少々種類が違うがいろいろと考えないといけないので結構しんどい。
書類の完成イメージはどんななのか、そこに至る手順をどうするか、内容作成のための材料は何が必要でどうやって入手するか、それなりに複雑な思考を重ねる必要があって、パソコンの前に座った瞬間にその複雑な工程が眼前にそびえているのが見えるような気がする。
恐ろしく面倒臭い作業の数々が、急に具体的になって頭の上からのしかかってくるわけで、さっきまでの「やる気」はどこへ行ったか、気持ちが萎えて作業に入るのがためらわれる。

長く生きていると、その類の、まるでシーシュポスの神話のような永遠ループが何度も繰り返される。
まるで進歩がないのではないか。
しかし、少しの希望がなくもない。

このような具体的な作業が具体化してのしかかって来た瞬間に気持ちが萎える、という症状は、「無の境地」を導入することによってある程度対策出来るのではないか、ということを最近思う。
とにかく面倒臭いことをあれこれイメージしないままに作業になだれ込んでしまうに如くはないないのである。
やる気満々の状態からパソコンの最初のキーボードを打つところまで、脳内を無にしてシームレスに自分自身でも気が付かないくらい、いつの間にか移行する、というのがこの手の面倒臭がりには効果的である、ということにようやっと最近気が付いた。

考えてもしょうがないことで脳内を占有すべきではない。
いやはやまったく、生きるって難しい。
posted by ヤス at 09:39| Comment(2) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
私も私も

そー思う。

何も考えることなく、パソコンに向かえば、

なんとかなるものなのよ。

パソコンを立ち上げてしまえば

ほんと なんとかなるわ。
Posted by aoko at 2017年01月19日 12:33
なんとかなるものだわな。
Posted by ヤス at 2017年01月20日 10:26
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