2017年01月16日

意識高い系など

英語で「ワナビー」という言い回しがあるらしい、というのを遅ればせながら2、3日前に知った。
「want to be」=「ワナビー」で、元はネイティブアメリカンの習俗を真似る人たちを揶揄する言葉だったそうな。
ネイティブアメリカンを真似てはいるが本質が伴っていないのをバカにした表現らしい。

また、よく知らないが「スパイスガールズ」の1996年のヒット曲にも「ワナビー」という女性を励ますようなのがあったらしい。
少なくともスパイスガールズのワナビーはポジティブな意味合いのようなので、ワナビーがネガティブな意味を帯びるようになったのはその後のことかもしれない、などと想像してみる。

日本語でも最近は「意識高い系」というのがある。
しかしこの表現も、元々は就職に向けて勉強したり社会活動をする優秀な学生を意味していたという。
それがいつの間にか、SNSで華麗な人脈や空疎な名言をひけらかす痛い人を指すようになったようである。
英語の「ワナビー」と「意識高い系」の共通点は中身を伴っていないことである。

ここで中身がピーマンだと言って意識高い系についてバッサリ斬って捨てるのは比較的簡単だろう。

人間は、出来れば自分の中のダークサイドや欠陥には目をつぶっていたいものだろう。
しかし残念ながら、どんな人にもひとつやふたつ、人より劣っていたり、あるいはやや風変わりに思えたりする「欠陥」のようなものが存在するものである。
そういう自分の中の見たくない真実について、出来ればあんまり自覚したくもないのであるが、しかし何せ自分自身のことなので薄々は自分でも気がついている。

そういう、自分の「欠陥」に対する無自覚的な自覚は、時に人を卑屈にしたり、その反作用で自己を過剰に演出したりすることがあるのだろう。
「意識高い系」や英語における「ワナビー」はそういうものだと思う。

そもそも、何も「欠陥」の無い人間というのはいない。
また「欠陥」と見えるものは、本当は人間の個性をつくる重要な要素で、食べ物でも多少のエグ味や苦味があるからこその味覚があるのと同じようなものだと思う。

人間というのは不思議な生き物で、他の生き物と比べても社会的な承認欲求がかなり強く出来ているらしい。
それは人間の社会性がいかに強力かということを示しているように思われる。
そういう意味では我々は、程度の差こそあれみんな「意識高い系」なのかもしれないと思う。

重要なのは、単に「ワナビー」と心の中で念仏を唱えるだけでなく、具体的な行動を起こして中身が伴うようにすることなのだろうけれど、しかし本当に中身が伴うようにするのも、それはそれでなかなか難しいことだと思った。
posted by ヤス at 10:16| Comment(0) | 徒然なるままに
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