2016年12月18日

偽ニュース対策

先日、Facebookが偽ニュース対策の実施について発表していたけれど、ネット上に出回るニュースの真偽を判断するのはものすごく難しいことだと思う。
というか、ニュースというのは完全な真実を伝えるものはない。
いくらか肝心な部分が漏れていたり、少し事実と違う部分があったり、意図的にミスリードする要素が紛れ込んでいたり、いろいろあるだろう。
昔から、人の噂話や風の便りとはそういうものである。
それを聞く人が受け止めて、いろいろと頭の中で想像をめぐらして事実はこうであったろうかと推測する。
それが昔ながらの、伝聞情報の受け止め方であったはずだ。

しかし何時の頃からか、新聞やテレビなどのマスメディアがある種の権威としてニュースの配信をやり始め、人々がそれを丸呑みする習慣が出来始めたのではないか。
ネット社会になって、その構造がやっと崩れるのかと思ったら、今度はあら手の「ニュース詐欺」が発生し始めたようである。
ネット上の情報空間では、人々は自分自身の思想信条に沿った情報集を行うことになり、思想信条の偏向がどんどん進んで世の中が過激化しやすいように思われる。

こういう時代には意図して自分の思想と反対側の情報を集めるように努力し、バランスを取るようにする必要があるのだろう。
それがまたなかなか難しいことではあるけれど。

いずれにせよ、Facebookでニュースの真偽をユーザーに示す試みが始まり他のサイトでも同様の動きが進むのだろうが、しかし根本的な原理として、こっちのニュースは偽物であっちは真実だと単純に白黒付けられないだろう。
だからこの動きは「いちおう努力してます」というパフォーマンスに留まる公算が強い気がする。

やはりニュースを受け止めるユーザーがいちいち半信半疑でニュースを読んで、その内容を自分の頭でしっかり咀嚼すること以外に、ことの解決方法はないと思う。


話が少し飛躍するが、ひとつの対策として「虚構新聞」とかの嘘ニュースサイトがもっといろんな種類出来て、どんどん嘘ニュースを流して世の中の人々が嘘に対する免疫を付けていく、というようなこともある意味有効なのではないか、という気すらしてくる。
ネット上の偽ニュース問題の本質は、人々が楽して真実を知りたいと思っているところにあるように思われる。
でもたぶん、楽して真実は手に入らない。
それどころか「本当の真実」は存在すらしていないかもしれない。
そういう非常に難解な哲学的命題であって、ネットでニュース配信をやるのもたいへんだなあ、と思ったりした。
posted by ヤス at 15:07| Comment(0) | 徒然なるままに
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