2016年11月30日

人間の限界

街の中をフラフラ歩いていて、たまに細い路地に迷い込んだるすることがある。
そういう時に、ふとこの道を通るのは初めてだなと思ったりする。
その細い道の数本隣の大通りはもう数えきれないくらい何度も往復しているはずであるが、少し奥に入るとそこにはまだまだ「未踏の地」がある。

たぶん自分が住んでいる場所の半径1kmくらいの範囲の中にも未踏の地はたくさんある。
考えてみると、すぐそこにあって、死ぬまでのうちに一度も通らずに終わる場所、というのが存外多い気がして少し驚く。

世の中には「無知の知」なんていう言葉もあるようだが、この世界には知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多い。
通ったことのある道、足を踏み入れたことのある場所よりも、通ったことも行ったこともない場所の方が圧倒的に多いのは言うまでも無い。
最近はGPS機器がいろいろ出ていて、スマホアプリなんかでも自分の通った軌跡を地図上に描画して見ることの出来るのがあるけれど、例えばその調子で死ぬまでの間、自分の軌跡を全部地図上に描画したらどんなことになるだろう。

わたしは最近はあまり県外に忙しく出掛けるようなこともなく、もう久しく海外旅行もしていない。
だからその軌跡は地元を中心に狭い地域に集中し、たまに細い線が何百キロか先の県外に伸びる、そういう地球規模で眺めれば非常にせせこましい軌跡を描くことになるだろう。

よく海外に出掛ける人の場合は、飛行機に乗って数千キロの線がたびたび海外に伸び、それは国内中心のドメスティックなわたしの描画とはまるで違う模様を描いているに違いない。

また、これまでに高度100km以上のいわゆる宇宙空間に行った人は、男性489人、女性60人の計549人になるそうだ。
さらに、アポロ計画では27人が月の周回軌道に達し、うち12人が月面の地を踏んだらしい。
そういう宇宙旅行者の軌跡は、地球上を移動するだけの人とはまたかなり違ったラインを描いていると思われる。

さて、自分の軌跡が長く遠くに伸びている人は、わたしのようなドメスティックな種類の人間とは、見聞の広さや体験の強さが明らかに違うだろう。
しかし一方で、一人の人間が一度に踏みしめることの出来る面積は、どんな人でも大差ないはずである。

したがって軌跡が遠く長く伸びている人でも、今までに踏みしめた地面の面積は、そうでない人と大差ないのだと思う。
さらに言えば、自分のすぐ身近には、死ぬまで一度も踏むことのない場所が残る。

スマホの画面に描画される赤い線を見ながら、人間の限界を感じたような気がした。
まあだからこそ、無理して月に行ったり火星を目指したりするのかもしれない、とも思った。
posted by ヤス at 10:41| Comment(0) | 徒然なるままに
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