2016年10月26日

生きている感じの造形

美人顔の条件の一つには「左右対称」がある。
逆に言うと、普通の人間の顔は左右がかなり違っているということだ。
人間の顔をじっくり観察すると、目の大きさや傾きが違うとか、ほうれい線やエクボの出方、ホクロや口角の上がり具合など実にいろんなところが左右で違っている。

「人型ロボット」の業界で「不気味の谷」というのがあって、ロボットをだんだん人間に似せていくと、かなり人間っぽくなってきたある段階で、やっぱり何かが本物の人間と違う感じになって不気味になる。
その原因は、ひとつにはきっちり左右対称の造形とか、そこかしこのラインの綺麗さとかが、生きている人間と違う感じを強く発しているのがある。

生き物としての人間の造形は左右の形も違うし細かい部分の造形、例えば鼻の穴の形が妙だとか、耳のサイズが顔の大きさとバランスしていなくてちょっと大きいとか、不完全な造形が集合してなんとなくまとまった感じになっているので不思議だ。
もしこれをいちいち大きさのバランスやラインの綺麗さを人工的に修正していくと、たぶん非常に不自然な人間が出来上がる。
時々、身体全体を1億円かけて整形手術しました、とかいう人がいるけれど、整形を繰り返した人物に感じる不自然さもその辺にあるのだろう。


これに類する話は自動車デザインなんかにも共通である。
部分部分の形を完璧に整えて出来上がった自動車デザインは、たぶん非常につまらない、印象に残らないデザインになる。
良い自動車デザインには、微妙なアンバランスが適当に配合されているように思う。
横から見たときのウエストラインが期待通りに後ろに伸びていくのではなく、途中で突然向きが変わったり、全体のプロポーションが微妙に寸詰りになっていたりするデザインは見る人の心にさざ波を立てる。
そのような造形の不完全さは、生き物の持つ造形と共通の何かがあるのだろう。
自動車だけではなく、いろいろなプロダクトデザインやグラフィックデザインには、造形の作り込みの中で微妙な崩し、あるいはハズしを入れ込むことによって、デザインが「生きている感じ」になるような気がするのである。

話は少し変わるけれど、たまに都会の超お洒落なカフェとかに迷い込んだりした時、何か非常に落ち着かない違和感に包まれることがある。
それは超お洒落なカフェと田舎のオジさんとのマッチングがそもそも成立していないところに最大の原因があるわけであるが、もうひとつついでに言ってみると、そのカフェがあまりにお洒落過ぎる、というのもあるのではないか。
完璧に作り込まれたお洒落空間に、少し気張りすぎではないか、というお洒落なお客さんの取り合わせは、前述の話で言う有機的な「生き物の感じ」があまりないような気がする。

もうちょっとお洒落でないハズしの要素を空間に入れ込んでみたら田舎のオジさんとしても少し落ち着くのではないか、と数日前に思ったりしたのである。
だがまあ大きなお世話だろうからここで思うだけで以降は心に納めておく、そういうことにする。


posted by ヤス at 14:28| Comment(0) | 徒然なるままに
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