2016年10月17日

敬語の不思議

敬語は難しい。
目下の人間は「ご苦労様」を上の人間に使ってはいけないらしい。
さらに厳密に言うと、一昔前までは「お疲れ様」も目上の人に使う言葉ではなかったという。
ねぎらいの言葉は目上から目下に、というのが基本だったので、「ご苦労様」「お疲れ様」はもっぱら目上の人間の占有物であったという。

しかしいつの頃からか日本社会も階層の平等化がいくらか進んで、目下の人間がわりかし気軽に目上の人をねぎらえるようになった。
ただ個人的には「ご苦労」と「お疲れ」の使い分けの根拠が今ひとつ分からない。
考えられるのは「お疲れ」の方がより口語的でくだけた表現なので目下の人間が使うにふさわしい、ということなのかもしれない。
ただそれだと逆に硬い表現の「ご苦労」の方がかしこまっていていいのではないか、という疑問も湧く。

あと、「了解しました」「承知しました」も同様である。
一般には「承知しました」の方が目下の人間が使うべき言葉とされる。
だからお店やさんなんかでは店員さんはほとんど「承知しました」を言うように教育されている。
間違って「了解しました」や「分かりました」と言っていると、マナーに厳しい会社では教育的指導が入ることだろう。
しかし「了解」と「承知」では意味の違いはかなり明確だと思う。
「了解」は、「理屈を理解する」ことであるのに対し、「承知」は「事情を知って承ること」になる。
つまり「了解」は理屈を理解した上で承るのに対し、「承知」は、理屈はどうあれ承る。

理不尽でも承る「承知」には、ちょっとだけ絶対服従の香りが付いている。
その意味で目下の人間が使うにふさわしい、と言えるだろう。


わたしの個人的な想像だが、今日に至る敬語システムの土台は、江戸時代に定式化されたものだろうと思う。
江戸時代というのは、その前の戦国乱世の反省に立ち、なるべく下剋上や国境侵犯が発生しない安定した社会秩序を目指す時代だっと思われる。
特にどこかの藩が勝手に隣の藩域を侵したりしないよう、徳川幕府は各藩に対する監視の目を光らせ、人々の移動の自由を制限し、結果、極限的な「定住社会」が実現した。
多くの人々は生まれた村や町で一生を終える。
役人の登用も実力より家系が重視されて実力主義による波乱が出来るだけ起きないようになる。
そのために幕府や各藩の組織にはアホな上司の割合が増加し、理不尽を感じる部下も増えたことだろう。

そのままでは部下は上司を小馬鹿にし、組織秩序が乱れる。
対策として、部下は上司を無条件に崇拝する、あるいは年長者は理屈抜きで偉い、という基本思想を定着させねばならない。
そのツールのひとつとして敬語は発達したのだろうと想像する。

考えてみると1867年の明治維新からまだ150年ほどしか経っていない。
250年以上かけて作りまれた江戸時代の社会思想のベースは、それが新しくなるにはもうあと100年くらい必要なのかもしれない。

あと100年経った時に日本の敬語がどう変化しているのか、想像するとかなり興味深い、と思った。
posted by ヤス at 11:48| Comment(0) | 徒然なるままに
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