2016年09月21日

通勤者の表情について

朝、ちんたらジョギングをしていると時間帯によって通勤者の群れに出くわすことがある。
今朝も8時前後の時間だったと思うが、いくつかの群れとすれ違った。
県庁の近所を走っていると徒歩や自転車の通勤者が県庁に向かっている。
定時より少し早いのではないか、とも思われる。
県庁周辺以外でも、街の中心部に向けて主に自転車に乗った通勤者が小さな群れを形成している。

今朝の天気はあいにくの曇り空でどんよりとしていた。
その曇り空のせいでもあるまいが、すれ違う通勤者の方々の表情が一様に厳しい顔、もしくはやや不機嫌そうな顔をしている気がしたのである。

人間というのは誰かと話をしている時とか、にこやかな表情をすることがままある。
お笑いのテレビ番組を観ている時、面白い漫画を読んでいる時なども思わずニヤけたりする。

しかし、目の前に人がいて話をしているわけでもない無為の瞬間において、人間というのはかなりの無表情になって、それがやや不機嫌に見えるのかもしれない。
ただ目的地に向かって歩いている時、自転車のペダルを漕いでいる時、あの通勤者の脳みその中ではどんな想像が巡らされているのであろうか。
そんなことがふと気になった。

ちんたらとジョギングしているおじさんの場合、走っている最中にはいろいろなことが脳裏を駆け巡る。
少し空腹を感じた場合はこのあと朝マックしようかなとか、たまには真面目に仕事の用事を思い出して今週が終わるまでにあの仕事を片付けなきゃな、とかいろいろ浮かぶ。
だから県庁に向かう通勤者の方々もペダルを漕ぎながらきっといろいろ思っているのに違いない。
ただその時に思わず頰が緩むような想像というのは、どうもあまり無いらしい。
どちらかというと眉間に皺のよるような厳しい想像の方が多いのだろうか。
あるいは、あまり何も考えていない人間の無表情は、何か厳しい想像をしている風に見えるものなのだろうか。

以前、鈴木宗男事件に連座して逮捕された元外務省のラスプーチン・佐藤優氏が何かで書いていたが、メディアのカメラに撮影されている時はなるべく無表情を心がけていたそうである。
この場合の無表情は不機嫌でもなくニヤけているのでもない、一切の感情を殺したニュートラルな「無」表情である。
メディアに笑っている顔を撮られたら「不遜に高笑い」とかタイトルが付き、不機嫌を撮られたら「怒り心頭」とか言われる。
だからタイトルの付きようのない無表情。

そうやって考えてみると人間の表情というのは、何か楽しい時はにこやかであるけれど、それ以外の大半の時間は無表情でそれがどちらかというと不機嫌そうに見える、そしてまったくのニュートラルな無表情の瞬間は案外少ない、そういう風になっているのではないかと思った。

人間の表情が、外から見てどちらかというと不機嫌そうに見える瞬間が多いと仮定すると、不機嫌な表情の形がだんだん固着してきて、何十年も経つと物凄く不機嫌そうなおじさんが出来上がる、そういうことかもしれない。
そして箸が転んでも面白い女子高生とかはいつもゲラゲラ笑っているので、それが固着して楽しそうな感じになる。
これは一歩間違うといかにもアホっぽい感じになる危険もあるわけだが、しかし不機嫌そうな顔よりはよっぽどましだ。

ということで、たまにはおのれの表情にも気を付けないといけないな、と思ったのでした。
posted by ヤス at 15:13| Comment(0) | 徒然なるままに
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