2016年09月13日

国籍について再びちょっと考えてみる

蓮舫氏の二重国籍疑惑のおかげで、国籍について考える機会が出来た。
以前に書いた通り、客観的に見て今回は問題なしというのが現在のわたしの結論である。
そして今回の疑惑の出処には日本という国に対する過度の純血性、閉鎖性を求める心理があるのではないかと思っている。
だからこの問題の本質は、国家というものをどの程度オープンにするのかという点についての議論なのではないかと思う。

例えば、外国人の地方参政権の問題が以前からある。
いろいろ考えはあるだろうけれど、個人としては認めてもいいんじゃないかと、半分くらいそう考えている。
これには反対の人が多いのかもしれない。
何が何でも絶対反対の人も少なくないだろう。

反対意見の中身は、外国籍者が政治家になればその出身国や出身者に便宜を図って従来からの日本国籍者の利益が損なわれる、というものだろう。
極論すれば、その国出身者が勢力を伸張してその自治体が外国の属領化する、という恐怖がある。
そういうリスクもまったく無い、ということはないだろう。

例えばEU離脱を国民投票で決めたイギリスでは、際限なく流入する移民の人々に対する不満や潜在的な恐怖の心理があったことは想像に難くない。
イギリスの場合はポーランドなどからの東欧移民が主に「排斥」の対象になっていたという。

東欧から次々に移民が来て、「古くからの」イギリス国民は仕事を奪われたりして利益を失う感覚を覚えたとしても不思議ではない。

しかし他方で、国家が人的移動の面でオープンであることがその活力維持に重要であることもまた間違いない。
日本でも外国人労働力活用の中で高度人材に注力する話が聞かれるようになった。
アメリカなんかは多くの移民が経済的高付加価値分野で活躍することで隆盛を保っている。
ただその分市民権に対する意識や国家に対する忠誠にはかなりセンシティブであるように思われる。


知的に高度な外国出身者を活用するのであれば、政治家にも国籍を超えて有能な人材を求めてもいいのではないかと思う。

特に日本の場合、政治家の出身基盤である小さいコミュニティーに対する「利益還元」がひとつのお約束になっていて、それがしがらみになって国家視点での全体最適の政策が行われない。
それならばそういうしがらみになる出身基盤を持たない外国籍者または外国出身者で、能力が高く職務に忠実な人物を政治家にスカウトした方が、ベタベタの日本人ばかりで政治をするより良い結果が出はしないか。
そういう気がしてならない。

いずれにしても、国民国家の成立は歴史的には高々この200年ほどのものであり、国籍の概念もまた同様である。
国家も国籍も何か絶対的で神聖なものだと思っている人もいるのかもしれないが、それらはこの100年200年試行錯誤しつつその有り様が微調整されて今日まで来ているのである。

だから蓮舫氏の国籍問題も端から国籍を絶対的なものと決めつけて考えるのではなく、もう少し土台のところから議論した方がいいのではないか、と思う。
posted by ヤス at 11:36| Comment(0) | 徒然なるままに
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