2016年07月31日

シマウマの達観と人類らしさ

時々思うことであるが、アフリカのサバンナにはライオンがいて、シマウマや水牛、あと諸々の生き物がいる。
シマウマはその一部がライオンの食料として襲われて食べられる。
一体全てのシマウマのうちの何パーセントがライオンに食べられるのだろうか。
そういう疑問もあるけれど、アフリカのサバンナを映した動画なんかを見ると、シマウマたちは案外のんびり水を飲んだり草を食べたりしている。
次の瞬間ライオンが襲ってくるかも分からないのにも関わらず、である。

ライオンとシマウマの例以外でも、捕食動物とその餌になる動物とは、同じ環境に仲良く暮らしている。
シマウマを人間に置き換えてみるとしたら、果たしてライオン襲来の恐怖に対し、シマウマのように達観してのんびり出来るだろうか。

いやほんとうに、達観というのはサバンナのシマウマのような生き方を言うのだと思う。
生命の危機と隣り合わせにありながら、のんびり草を食べる、この状態こそが達観、悟りの境地の真髄であるに違いない。

シマウマの場合長い進化の過程において、群の何パーセントかがライオンの餌となるそういうライフスタイルに完全に馴染んでいるのであろう。
運の悪い個体の犠牲と引き換えに、残りの大多数はのんびり生きることが出来る。

ひるがえって人類のライフスタイル。
人類は、いつの頃からか知恵がついて、ライオン対策には達観ではなく知恵を持って犠牲の割合を低減しようとするに至った。
人生におけるリスクを自然の成り行き任せにするのでなく、知恵によってなんとか減らそう、というのが人類らしさと言えるのかもしれない。

逆に我々人類は、なかなか達観出来なくなった。
簡単に諦めなくなったのは、粘り強くなったということで良いことのようでもあり、粘り強く頑張ることのストレスにさいなまれ、なかなかのんびり出来なくなったという意味で必ずしも良いことだけでないような気もする。

さらに言うと、科学技術の発達とともに人類の視野は驚異的に広がり、オゾンホールや地球温暖化の傾向、病原体ウイルスの脅威や放射能汚染のリスクなどなど、ライオンやシマウマではとても思いつかないであろうあらゆるリスクについて認識可能になっている。
そして何か新しいリスクが見つかるたびに人類のストレスはいくらか増加する。

ひょっとしていつかそのうち、リスクに対していちいち心配してストレスに感じることこそが最大のリスク、ということになって一切の心配事を解消してくれる薬物が開発されたりして、そうしたらどうなるのだろう。

そんなこんなで、いろいろ心配して常にそわそわしている状態、達観や悟りから程遠い生き方こそが人類らしさなのではないか、とふと思ったのである。
posted by ヤス at 11:27| Comment(0) | 徒然なるままに
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