2016年07月28日

アジェンダセッティング

もうわりかし長いこと生きてきたのだが、最近になってやっとその存在に気付いた人生の重大事がある。
それは人と議論する時は前提条件をきちんと明確にしないといけない、ということである。

まあ日常生活では理屈をこねて議論ばかりふっかけているとウザいヤツと思われるから適当に思いつくまましゃべるのでもいい。
でも仕事における議論では、何らかの答えを出さない議論は非生産的で儲けにならない。
だからちゃんとした議論をしないといけない。
で、その時にちゃんと前提は整理されているか、二人で議論しているのであればその二人が共通の前提をイメージできているかどうかは、正しい議論にとって不可欠であろう。

営業のやり方の話をしていて、片方が市場は飽和しており既存路線では売上拡大は難しいと考え、もう片方がまだ掘り起こしの余地が十分にあると思っている時、既存市場飽和の真偽をすっ飛ばして新規市場に打って出ようとか既存市場に引き続き注力しようとか言い合っていても埒があかない。

あるいは最近ちょいちょい耳にするアジェンダセッティング、というのも重要なのだろう。
いわゆる争点設定。
これは正しく議論するかどうかのもうひとつ上位にある概念であると思うが、議論の方法がいくら正しくても、議論のテーマが無意味なものでは仕方がない。
したがって真に正しい議論のやり方は、正しいアジェンダセッティングによってもっとも議論が必要なテーマを選び出し、このテーマについての前提情報を整理共有して正しく議論されるべきだと考える。


ところでたびたび選挙の話になってしまうのだが、参院選にしても都知事選にしてもアジェンダセッティングや議論のやり方は果たして適切だったろうか。
都知事選では各候補とも特養の待機者や保育園の待機児童について言及している。
それはよいとして、それらは主要政策にはなり得ないはずだ。
特養や保育園の待機者問題は、大もとを辿れば財源問題であり、別の角度で見れば縦割り行政問題である。
つまり財源さえあれば解決可能、あるいは縦割り行政の壁を壊せば解決可能な問題なので、財源確保や役所システムの改革が本来議論すべきテーマのはずだ。
たった数千人規模の待機者問題は、テレビの話題としては良くても東京都政的にはサブテーマに過ぎまい。

国政におけるアジェンダセッティングは、現在さらに混迷を極めている。
第二次大戦後の数十年間は日本のアジェンダは比較的単純で、それは敗戦からの復興であり、欧米に追いつけ追い越せだった。
で、いざ追い付いてみたら次のアジェンダが見つからず、しょうがないので追いつけ追い越せ路線の延長戦をやって暇をつぶしているように見える。

ということで正しいアジェンダセッティングは必要であるが、何が正しいか適切に判断するのは、かなりむずかしそうだと思った。
posted by ヤス at 10:36| Comment(0) | 徒然なるままに
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