2016年06月25日

日課のストレス

三日坊主ということばがあるが、これはお坊さんの修行がつらくてヘタレな奴だと三日ともたないことの例えであると思われる。
お坊さんの修行というのは、これは宗派やお寺によって違うと思うけれど、基本的には早寝早起きして、食事は一汁一菜、長時間の読経や座禅、寒い冬の早朝から広いお堂を雑巾掛けする、などであろうか。
わたしはお寺の修行を実際には知らないが、まあその中身について今は議論するつもりはない。
今論じたいのは、三日坊主はなぜ生じるかについてである。

お寺の修行よりはむしろ、オリンピック選手の合宿であるとかの方が肉体的にも精神的にも負荷は高いだろうと想像する。
スポーツにおけるトレーニングの肉体的ストレスの指標としては「心拍数」がある。
スピードスケート五輪金メダリストの清水宏保は、最大心拍数毎分200回を超えるような壮絶なトレーニングをして練習のたびに失神していた、みたいな話を聞いたことがある。

それらに比べると、お寺の修行は心拍数が200を超える場面とかはおそらく無い。
そういう意味ではお寺の修行は楽々続けていけそうにも思えるが、しかし三日坊主ということばは厳然と存在する。

修行がつらいのは、ご飯が粗食であったり少々退屈なお経を長い時間唱えたりということのひとつひとつのストレスは小さいが、これらを毎日ずっと続けねばならないことを想像した時の心的ストレスがそれなりに大きいということなのであろう。

別にお寺に限らず今年こそは毎日30分英語の勉強をしようとか、ストレスの小さそうな日課を決意しても、これがなかなか続かない。
それこそ三日坊主事例による死屍累々。

これはやはり「毎日続ける」ことの心的ストレスが意外に大きいことが原因と思われる。
たぶんスポーツのトレーニングでは、時々自己記録を更新したりして脳内報酬系から気持ちがよくなる物質が出たりする。
だから厳しいトレーニングに取り組む動機付けが維持できる。

日課のストレスも、その負荷に勝るような脳内報酬系からのご褒美があればきっと三日坊主を回避できる。

で、思い出すと日課は何日か続けて、ある日面倒くせえなあもう今日は思い切って止めてやれ、と思い切ると、気持ちがスッと楽になって脳内で少し気持ちのいい物質が出ている感触が得られたりする。

ということで日課はそれを止めた瞬間に小さな幸せを感じるので、三日坊主は永遠にこの世から無くならないだろう、と思った。
posted by ヤス at 14:10| Comment(0) | 徒然なるままに
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