2016年06月12日

日本のロボットは反乱しない

最近は人工知能の技術がどんどん進化して、将棋や囲碁でも人間が人工知能にだんだん敵わなくなりつつある。
また、人工知能によって弁護士や会計、企業経営の仕事もやがて人間にとって代わられるとかいう話もある。
さらには、人工知能に小説を書かせたり絵画を制作させたりすることも研究が進んでいるという。
少し前までは、単純肉体労働はロボットに代わられることはあっても、知的に高度な作業は人間にしかできないのだろうと思っていたがそれもどうも怪しい。
ましてや芸術活動に関わる仕事なら人間の独壇場であろうとたかをくくっていた訳であるが、どうもその分野も危ないらしい。

ハリウッド映画なんかでもヒット作品にはかなりの法則性があることが分かっていて、今ではどの映画もその法則性に則って作られているという。
音楽でも絵画でも、人間の心情に訴えるような芸術作品にはある種の機械的な法則性があって、ひょっとしたら昔は人間の独壇場だと思っていた芸術分野が、実は人工知能のいちばんの得意分野であった、ということも十分あり得る。

いったいこの先人工知能によって人間社会はどのくらい影響を受けるのか、はたして人類の仕事は彼らに奪われてしまうのか、少し心配になる。

実際、人工知能研究で世界の先端を走るアメリカでは、研究推進と同時に人工知能の「反乱」を防止するさまざまな取り組みもあったりして面白い。


おそらく欧米では人工知能はロボットとほぼ同義に捉えられているのだと思う。
わりかし有名な話だが、「ロボット」という単語は1920年のチェコスロバキアのカレル・チャペックが創造したものである。
チャペックは「R.U.R」という戯曲を書いたそうで、その戯曲に人間そっくりの「ロボット」が登場して、物語の中でロボットは人間の代わりに働いてくれる。
やがてすっかり怠惰な生活を送るようになった人間は、ロボットたちに滅ぼされるという恐るべき物語である。
この戯曲ではロボットは人間そっくりという設定になっているが、これは劇場にロボットを登場させるのに、人間そっくりの方が何かと手間が省けたからだろう。

おかげで以来、ロボットは人の形をして人の労働を肩代わりしてくれる存在として認知された。
ついでに、ロボットは最終的に反乱を起こして人間を滅ぼす、というお約束もチャペックの戯曲によって確立されたと思われる。
そしてチャペックの世界観の記憶が反映されたのが「ブレードランナー」であり「ターミネーター」なのである。たぶん。

ということでロボットの要素は人間の形をしていることと、人間の代わりに働けるくらいの自律的知能を持っていることである。

現在、人工知能に対して欧米人が心配をしているのには、チャペックのロボットの影響が強いと思われる。

ところで、日本におけるロボットの代表は鉄腕アトムだろうが、鉄腕アトムは早逝した天馬博士の息子の心を持った絶対的な人類の味方、救世主として描かれ、反乱の心配はない。
あるいは、日本では鉄人28号やマジンガーゼット、ガンダムなど、ロボットは人が操縦するもので自ら考えないものが多い。
したがって日本におけるロボットには反乱の心配がない。
おそらく古くからカラクリ人形を製造してきた日本では、ロボットの2要素=人の形・自律的知能のうちの知能の方はあくまで人間が担う設定に書き換えられているようである。

それがなぜかを考えようと思ったが、長くなったのでまた今度にする。
posted by ヤス at 08:37| Comment(0) | 徒然なるままに
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