2016年05月21日

印鑑本人説

昨日のニュースで、りそな銀行が3年以内に口座開設やローン手続きにおける印鑑を廃止するというのが流れていた。
ニュースの後半には印鑑に代わる本人確認の方法としてチップ内臓のICカードや生体認証を使う予定、みたいな内容がくっついていて、そこでこれってどうなのよ、と思ってしまった。

印鑑が本人確認の手段として有効、というのはどう考えても正しいとは思えない。
ネット上にあった一説によると、明治時代に農民町民などの一般庶民には名字が無かったのが明治8年に解禁になって、その時に行政機構も整って庶民もいろんな書類にサインをしないといけなくなったが、字の書けない人もけっこう居て、ある時からサインを書かないで済むように印鑑が流行したという。
この説が本当かウソかはよく分からないが、まあ印鑑も最初はその程度のモノだったのではないか。

歴史的に振り返ってみると、古代中国の歴代皇帝は権力の証として玉璽を代々引き継ぎ、織田信長は天下布武の印鑑を各種書類に押し、アジア諸国を貿易して回った御朱印船は御朱印が押された御朱印状を持って航海したことだろう。
こうして見ると印鑑というのは権力の証、命令や布告が時の権力者から発せられたものであることを証明するモノ、というのが本来の姿であるように思われる。

三国志の場面にも、皇帝の正統性を確保するために血みどろになって玉璽の奪い合いをする、というようなのがあったような気がするけれど、かつての印鑑は、それの所有者に天下を支配する力を与える、そういう妖力を持つ神器の性格を帯びていたと想像される。

つまり、古代歴史社会における印鑑には、むしろ印鑑の方が主役でそれの所有者は添え物、みたいな構図があったと思うのである。

明治時代に庶民が名字を書くのが面倒臭くて印鑑が一般化した説が本当かどうか定かではないが、しかし印鑑の持つ神秘性は今日にまで密かに継承されてきたと思われる。
だからこそ国際取引が禁止されている象牙が印鑑材料として今だに珍重されるのだろう。

ところで、元に戻って印鑑の本人確認機能。

印鑑の歴史的経緯を踏まえると、銀行で借用書に押す印鑑は、あれは実は本人確認のために押しているのではない。
借用書を交わす場面においては、本人確認のために印鑑を押すということではなく、本当は印鑑自体が主役であり本人であると言える。
「本人」と呼ばれている人間は実は印鑑の運搬者、紙に印鑑を押し付ける労働を担っているに過ぎないのである。
だから金を借りているのは本当は「本人」ではなく「印鑑さん」なのである。

その証拠に印鑑は物理的に貸し借りが出来る。
本人が押印しないとブルブル震えて印が付けない、というような機能は無く誰でも押印可能であり、この事実ひとつとっても印鑑主役説が限りなく正しいことが推察される。

ということで、りそな銀行の印鑑廃止は案外と歴史的大事件であるような気がしてきたのであった。

posted by ヤス at 11:23| Comment(0) | 徒然なるままに
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