2016年04月22日

不謹慎狩り

「不謹慎狩り」なるものが話題になっている。
今回の熊本地震に際して多くの有名人がSNSにいろんな投稿を行った。
不謹慎狩りの多くは、それら投稿内容についての「不謹慎」であるようだ。
基本的に、不謹慎狩りには非常に問題が多いと考える。

不謹慎狩りの構図ってどうなのだろう。
有名人が被災者を応援する発言をしたり、寄付をするとか支援の表明を行う。
で、その時に笑顔やピースサインの自撮りが添えられていたりするとその写真に腹が立つ、ということがあるらしい。
あるいは被災地で10万人の人々が避難生活を送り、辛酸を舐めているその同じ瞬間に、テレビでアホなお笑い番組とか能天気なバラエティーとかをやっているのが許せない、というのもある。

インターネット社会の進展は名もない個人に社会的な発言の機会を作り出し、ツイッターなどのSNSで名のある人も名もない個人も思ったことをその都度発言するようになった。
不謹慎狩りは、ネット社会の進展が産み出した比較的新しい社会現象であることは間違いない。
たくさんの個人が各々思ったこと感じたことを投稿するのであるから、その中に有名人へのやっかみや嫉妬や、あんまり関係無いけれど日常生活に起因する八つ当たりとか、負の感情も含めた多くの意見が浮上してくることは避けられない。

さらに誤解を恐れずに書くならば、不謹慎を指摘する側の気持ち、ほんの少しだけであるが分からないでもない。
言ってしまえば人間の種類、思考方式の埋めがたい溝がそこにはあるように思う。
有名人の笑顔が癪に触る種類の人にとっては、SNSに出てくる笑顔は常に癪に触る。
あるいはそのような負の感情は普通の人々の心の中にも、多寡に差はあれいくらかはあると思う。

有名人の側には、自身の応援投稿がいくらかでも社会に波及してより支援の輪が広がって欲しいという真面目な思いがあるのだろう。
また日頃SNSを頻繁に利用している有名人なら、大災害発生時にこれをまったくスルーするというのもかなり勇気が要るので、なんらかのコメントをせざるを得ない。
勢い余っていくらか営業的要素が入る、ということもあるだろう。

名もなき個人の側には不謹慎狩りの基礎になる負の感情がいくらか存在し、有名人の側には災害に際して何か発信しなければならぬプレッシャーがある。
そういう状況設定の中では、これからもこの種の炎上事故は不可避であるように見える。

まあこのような事故経験が繰り返されて炎上防止のノウハウが蓄積され、ネット炎上は今後次第に制御されたものになっていくだろう。

ネット社会は情報技術で世の中をスマートにするだけでなく、人々の感情の爆発を直接各方面に拡散する。
それは側から見聞きしていてかなり疲れる。
少し希望的なことを思えば、このような感情爆発が増幅されるメカニズムが、感情の理性によるコントロールを促し、人類の精神的な進化に役に立つかもしれない、と考えられなくもないのではないか。
いずれにしても、ネット上であれリアル空間であれ、感情のままに金切声を上げるのはいかにも文化的でない。
そのあたり他山の石として自省せねばな、などと思った。
posted by ヤス at 09:30| Comment(0) | 徒然なるままに
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