2016年03月25日

先入観

人間の精神機能にはコントロールしがたい部分がいくつかあって、そのひとつは「先入観」であると思う。
先入観の構造とかルーツって、いったいどういうものなのだろう、と少し気になる。

なぜ先入観が生まれるのか。
「羹に懲りて膾を吹く(アツモノニコリテナマスヲフク)」というけれど、痛い目にあった経験を通じて脳みその中に刷込みがされて、その過去の痛い目に似た状況で刷り込まれた記憶が蘇る、そういうことがあるのかもしれない。
痛い目だけでなくて、楽しいことや気持ちいいことも同じことだ。
また自身が痛い目に会わなくても、人から聞いた話やテレビのニュースや映画のワンシーンとかの伝聞情報によっても同様の刷込みは生まれるだろう。
そうすると、ごついベンツに乗ったサングラスにパンチパーマのお兄さんは恐い人、というような先入観が形成される。

おそらく脳みその効率化を促進するためのある種の裏ワザとして、先入観という「機能」はあるのではないかと思う。
先入観によって、ある状況に臨んだ時にあれこれ考えず条件反射的に対処することが出来る、というのがそのメリットであろう。

ところが人間の社会は複雑怪奇なので、先入観は外れることが多い。

また、先入観はある種の精神安定作用の機能を果たしているのではないか、と思う時がある。
何か、人生におけるモヤモヤしたこと、腑に落ちないことがあっても、とりあえず先入観で蓋をして腑に落ちたことにしてしまう。
男は外で働いて女は家を守るとか、血液型がBの人は変なのが多いとか、どこでどう刷り込まれたか良く分からない思い込み、先入観はいろいろあるように思われる。

あるいは科学の世界でも、例えばSTAP現象は必ず存在するというようなある種の思い込みは、真実の探求を粘り強く継続する原動力にもなるだろう。
もっとも理性的・数学的世界であるべき科学業界においても、10年も20年も研究を続けるには強烈なパッションが必要不可欠で、そのパッションの元は、科学的論理を超えた「絶対にそれはあるに違いない」という先入観だろう。

しかしあまりもその思いが強くなり過ぎて、実験で得られたデータが思い描いていたのと違っていたりして、その時に事態を安易にショートカットしてその実験データを無視するとか、改ざんして論文を書くとかいうことが時々起こる。


先入観による思考停止や事実の捻じ曲げを防ぐためには、自分の信念はしっかり持ちつつ、ただし心のどこかでこの信念はあるいは間違っているかもしれない、と冷静に考える二重性、そういうやや超人的な心得を身に付けなければいけないよなあ、などと思った。




posted by ヤス at 11:45| Comment(0) | 徒然なるままに
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