2016年02月25日

技術革新と個人の仕事2

1995年わたしは 職場を移り、Macのある世界からワープロ専用機の世界に逆戻りした。
この年は阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そして年末にWindows95が発売された、わりかしメルクマールな年だった。

新しい職場はいちおうコンサルタント会社であったが本当の意味でそうだったかは、今となっては疑わしい。
何せ請求書や旅費精算などあらゆる社内書類は手書きだった。

自分のMacを買い、ニフティでパソコン通信などしていたわたしはその頃には「手書き機能」がかなり退化しており、手書きの書類はたいそう骨が折れた。
頃合を見計らって自分の分だけ書類のパソコン化をしらっと進めたりもした。
そうすると、社内の調和を乱した罪でひどく説教されたもんである。
おまえは貴重な勤務時間中に、書類を「わざわざ」パソコンで作って時間を無駄に使った。
書類は手で書いた方が早い、計算は電卓でした方が頭の訓練になる、その辺りが説教の基本論理になっていたようである。

まるで末期の社会主義ソビエト連邦だ。
だが当時の世の中はまだそういう説教をするバカがあまり目立たない時代だったのだ。

中小企業でパソコンを置いてあるのはまだ少数派だったと思う。


あれから20年以上経ってパソコンのない会社やお店の方が稀になった。
パソコンで出来ることの基本線は20年前とさして変わっていない。
それよりも、通信ネットワークの革命的な普及が世界を変えてしまった。

アップルのiPhoneが出たのは2008年であったらしい。
今からまだ10年経っていない。

それ以前にも「スマートフォン」と呼ばれた携帯電話はあったし、シャープのザウルスみたいなPDAも一時期流行った。
だがiPhoneとそのフォロワーのAndroid端末の大群がまたたくまに普及して、今街中にいる若者もおじさんもおばさんも10人のうち7〜8人はうつむきがちに手元のスマホ画面に没入している。

世の中の人々をしてそこまでその小さな画面に視線を釘付けにさせるほどのスマホであるから、世界を変えるのは訳はない。
実際、かなり世界を変えた。
まず、人々の視線を小さい画面に釘付けにすることによって、テレビの視聴率を低下させ、新聞購読を減少させ、書籍出版を退潮に追いやり、年賀状はLINEにだいぶんとって代わられた。

それは、既存産業のうちのいくつかの会社を廃業に追い込むほどのものであるが、変化の有り様がひどく自然で滑らかだったので、世の中の多くの人々はそのことにさしたる関心を抱いていないようである。
それこそ、スマホの画面を追うのに忙しいのかもしれない。

適当に書いていたら長くなった。
次こそは新しい時代の個人単位の仕事のあり方について考えたい。
と思う。
posted by ヤス at 10:54| Comment(0) | 徒然なるままに
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