2016年02月13日

執着心

少し前から断捨離なんていう言葉が流行っている。

日本の国が豊かになってだんだんモノが溢れるように増えてきて、それでちょっと困った、という人が増えているのだろう。
モノが溢れて家の中で邪魔でしょうがないなら捨てればよい。
しかし、いざ捨てようと思ってそのモノを手に取るとなんか心に「引っかかり」があって捨てられない。
わたし自身もそういうことが多い。

世の中には気持ち良いくらいにモノをスパスパと捨てられる人がいる。

モノを捨てられない人と捨てられる人の違いは何なのだろう。


わたしは写真が趣味で、というか「写真機」が好きで今でも数台のデジカメがうちに転がっている。
10年くらい前まではデジカメの代わりにフィルムカメラが転がっていた。
当時すでに実用的なデジカメが登場していてフィルムカメラはだんだん使わなくなっていた。
それでも年に数回、山に登ったり海に出掛けたりした時にフィルムカメラを持って行き、パチパチ撮影する事もあった。
だがフィルムは現像も面倒だしデジカメはどんどん高性能になるし、いつしかフィルムカメラは部屋の置物になり果てた。

全然使わないでいると、それはそれでなんだかカメラに対して申し訳ない気持ちが芽生えてくる。
部屋の置物になっていたニコンのカメラは、大事に使えば後20年くらいは壊れないで動き続けるだろう。
中古屋に売りに出せば誰かに買われて使ってくれるかもしれない。

そういうカメラに対する申し訳なさの一方で、これらのフィルムカメラを手放す事への猛烈な抵抗感があった。
あれは世間で言うところの典型的な執着心というものであろう。


人間生きていて何か事を成し遂げようと思ったら、それに対する執着心が必要だろう。
だが、世の中には適度で適切な執着心と、過剰で不適切な執着心があるように思われる。

商売でも、お店なんかを出すことがあったら何が何でも成功させるのだ、という熱い気持ちは大切である。
だが、諸般の理由でその店が上手くいかず撤退を迫られたとき、それでも続けると言うのか、あっさり撤退するのか、どちらが正しいかはやってみないと分からない。

何が何でもという成功への執着と、あっさり諦める執着の無さ、この相反する二つの面を自由自在に使い分けることが出来れば便利で良い。
世間の偉大な経営者と言われるような人は、この二面性を上手く使い分けているように見えるが実際どうなのだろう。


ところでわたしの部屋の置物のフィルムカメラは、ある時思い切って処分した。
その時はそれなりの寂しさを感じたような気もするが、売り飛ばしてしばらくすれば何という事もない。

これは捨てられないな、と思うような大事なモノ、そういうモノを捨てる事は、人生修養として時々やった方が良いのかもしれない。
などと思った。
posted by ヤス at 11:19| Comment(0) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。